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2011.12.21
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カテゴリ:植物
一夢庵 怪しい話 第4シリーズ 第294話 「竹林の北限」

 なまじ馴染みがあるだけに、”竹も外来植物ですがそれが何か?”と言うと絶句する人が多いのですが、竹はイネ科の植物ですから稲と同時期かやや早く日本に渡来したのではないか?と(私は)考えています。

 世界的に竹、笹、バンブーの分布は広く、北阿弗利加~欧羅巴、北亜米利加に見られない程度ですが、日本に渡来して定着した時期に関しては、3世紀頃の日本に関する(ほぼ唯一の)文字の資料である”魏志倭人伝”の中に倭には竹が生えて(日用品として竹製品が)用いられている旨の記述があるのですが、揚子江下流域あたりの亜熱帯に自生している植物が、寒冷な地域で生えているのが謎だったのかもしれませんし、竹が自生ではなく計画的に管理栽培されて利用されていたのが意外だったのかもしれません。

 怪しい話の仮説として、3世紀頃に大陸で呉が滅んだときに大量の難民が日本にも押し寄せたのではないか?という話を何度かしているのですが、それ以前から、呉があったというか揚子江の下流域あたりから日本へ渡来している人達がいたからこそ、大量の難民も移住を決断できるだけの情報が既にあったと考えた方が良さそうですから、中国南部からベトナム北部あたりの民族は意外と早い時期から日本に渡来していた可能性が高いのではないかと。

 興味深いのは、ハチクとか呉竹(くれたけ)として知られている種があることで、従来の竹とは異なる竹だったから呉の竹と呼ばれたのでしょうが、呉の国からの渡来人集団と一緒にやってきたのか?と考えると、起源が今ひとつはっきりしないもののハチクが黄河流域にも自生する寒冷に比較的強い種であることなどから、呉から大量の渡来人がやってきた頃に、別口で半島経由で持ち込まれた竹の可能性もあり、確かなのは勝宝3(750)年頃には日本で珍しい竹では無くなっていたことくらいになります。

 いずれにしても、渡海して日本へ竹を移植する場合、そもそも採種が困難な種よりも筍(たけのこ)の形で持ち込むのが簡単だったでしょうし、本来、日本に自生していない植物でありながら、これを書いている時点で自生している種類が多いあたりからも、複数の地域から異なる種が何次にも渡って渡来してきたと考えた方がよさそうですが、その内の幾つかの種は持ち込まれた場所の(当時の)気候などが主因で繁殖できずに消えていったかもしれません。

 竹の海を越えた移植に関して最大の謎は、モウソウチクをほぼ唯一の例外として、なぜか繁殖させてみると一定の地域でしか生育しない竹が多いことがあり、主に地下茎で繁殖するためか、環境に対応した変異種が出にくい傾向があるようですし、根が繋がっているだけに病気などで一網打尽になりやすいようです。

 逆に言えば、そういった特性があるのに、どうやって日本へ渡来して根付いたのか?という事がそもそもの謎になるのですが、それこそ”泥付き”というか土に埋めた状態で持ち込んで原産地の土壌の細菌ごと定植したためなのか?筍状態で運送中に育ったことが幸いしたのか?古代人達は何らかの竹栽培の(今となっては失われた)ノウハウを持っていたのか?ま、竹という身近な植物の事でさえ、全てが分かっているわけではないということですが(笑)。

 もっとも、竹はイネ科の植物といいながらも木質多年生の茎をもつものの総称というアバウトな捉え方も出来る(イネ目イネ科タケ亜科とする考え方もある)ことから、定義の仕方によって分類に幅が生じてしまい、約30属、600から1200種くらいが該当するという、かなりアバウトな括りになっています。

 分類ということでは、バンブーと竹を英語と日本語の違いくらいに考えている人が珍しく無いのですが、熱帯に多いバンブーは外観こそ竹に似ているものの、竹が地下茎で横に繁殖するのに対して、バンブーは株立ちという点が一番分かりやすい違いですが、分類すると別物になります。

 竹はイネ科だけに、葉身が披針形で葉鞘との間にはっきりした葉柄があるのですが、主として地下茎で無性的に繁殖する種が多い上に、数十年とか百数十年といった周期で花が咲くと地下茎で連なった一群というか一個体全てが枯死することが知られていますし、希に全群落が一斉に開花して結実した後、一斉に全部枯れた記録もあるそうです。

 花が咲く周期は竹の種類によって幅が見られ、マダケの場合は120年周期が有力で、モウソウチクだと60~70年周期ではないか?と考えられているのですが、明確な記録が残っている事例が少なく、一斉に開花し結実して枯死することは知られていても、人生50年の時代に実際に遭遇した人は少数派のようです。

 竹の実の栄養価は高いようで、竹の実を食べて飢饉を免れた逸話がある一方で、竹の実を餌にすることで野ネズミが大量繁殖してしまい、穀類を食い荒らして飢饉を招いた話の方が多く、印度などでも同様の話が知られているというか実際に被害が出た記録があることから、竹の花が咲くのは凶事の印とする国や地域が多いようですし、竹林が枯れてしまうと竹細工の材料の減少にも直結するだけに、いずれにしてもデメリットの方が大きいようです。

 これを書いている時点の日本では、孟宗竹(モウソウチク)、真竹(マダケ)、ハチク(呉竹)、クロチクなどが主流というか普遍的に見られる種ですが、俗に”竹の小型のものを一般に笹(ささ)と呼ぶ”ことが多く、そもそも呼び分けがいい加減なのですが、あえて植物学的に言えば、笹は筍の皮の部分(稈鞘)が生長しても落剥せず、茎というか稈を包んだままで成長していくことが特徴になります。

 日本だと、一般に寒冷地に多い小型の竹をざっくりと”笹”と呼び、孟宗竹のような竹材として利用できる太い中型から大型の竹を”竹”と呼び分けていれば実生活に問題は無かったようですが、その意味で稈の部分を利用するものを竹、葉の部分を利用するものを笹と呼び分けたという説ももっともかないと。

 ササ類には日本原産種が多いのですが、開花が数十年に一度ということもあって分類は未だに不完全なのですが、葉を鑑賞する隈笹(クマザサ。ちなみに”熊笹”は葉が大きい笹の総称。)、メンマに加工されることもあり筍が好まれるチシマザサ(ネマガリダケ)、食物などを包むのに葉が利用さている(いた)粽笹(チマキザサ)などが代表格というか、”言われてみれば・・・”な比較的知られた品種になります。

 竹は日用品の竹細工の材料として多用されてきたのですが、伐採の時期によって耐久性に違いがあるのは知られた話で、春から夏場の水を盛んに上げている活動期に伐採されたものは水分含有量が高いためか耐久期間が短く、晩秋から冬の乾燥しがちな休眠期に伐採されたものは耐久性が高いとされています。

 その辺りの竹材の季節変化は、刀の目釘(刀身が柄から抜けるのを防ぐため、茎(なかご) の穴と柄の表面の穴を貫通して刺し通す釘)にも反映されていて冬場の○に伐採して○するとかいったことにこだわる流派もあるのですが、竹の目釘は消耗品でだいたい一度まともに斬り合えば駄目になるとしたものですが、だからといって硬い金属で目釘を作ると、振り回している内に相対的に柔らかければ刀身の目釘穴の方が広がってしまい、逆に刀身の方が硬ければ目釘が折れて柄から刀身が飛び出してしまいがちです。

 目釘に限らず金属は粘りと硬度が背反しがちですし、金属製の目釘が金属疲労や過大な力がかかって亀裂が入ったり折れて駄目になってしまうと、当時の日本で(ましてや戦場や移動中に)そうそう簡単に目釘穴に合致して強度的にも満足できる目釘が調達できたとも思えませんが、それに対して竹の目釘の場合は現地調達が容易で加工もしやすいことから目釘穴にあわせやすく、多少の隙間なら水気を与えると木材よりも湿気で膨らんで塞いでしまって抜けにくくなることなどから、竹を目釘にして使い捨てにする人が多かったのではないか?と考えられます。

 ある意味で、材料が簡単に入手でき、一定の強度があって柄の中で折れてもちぎれにくく、それでいて加工はしやすいという点だけでも竹材の方が目釘としては実戦的だったということでしょうし、多少の閑がある平時には竹の性質を理解し、どの時期にどの場所のどの品種の竹のどの部位を使うとベターな目釘ができるのか?といった研究をする人も珍しく無かったようで、流派の口伝というか、身近に接している弟子が師匠から実戦の口訣として教わったり、観察して盗み取るノウハウの一つだったのではないかとは思われます。

 もっとも、戦が長期化したり乱戦状態になって、当座をしのぐために青竹を加工して目釘とした事例も珍しく無かったようですし、どういった目釘が多かったのか?に関して正確な話は、例によって統計資料があるわけではありませんので藪の中となります。

 そういえば、竹と言われて連想する人が多い”孟宗竹”ですが、中国原産で、日本に渡来したのは18世紀前半頃という説が有力な比較的新顔の種なのですが、寒冷に強かったため北海道南部以南の各地で広く栽植に成功して短期間で主流になったようです。

 国産筍として市場流通している筍の大半が孟宗竹の筍ですし、強度があり比較的長い材が取れる稈の部分は細工物の材料や床柱を含む建築資材としても多用されたのですが、生活の洋風化や洋風建築の増加などで次第に日常生活から姿を消していったのは御存知の通り。

 真竹も中国原産ですが、こちらはやや寒冷に弱いものの本州以南の各地に広く栽植されていますから、大型の竹の竹林があれば、だいたい孟宗竹か真竹と言っておけばよろしいようです(笑)。

 なお、真竹も筍は食用ですが、多少の苦味があることから”ニガタケ”と呼ばれることがあり、苦みが少ない孟宗竹が増えてくると次第に好んで食べる人は減っていったようですが、竹細工の材料や建築資材などには孟宗竹と同じように使われていますというか使われていました。

 ところで、竹は地下茎が地面を広く覆うことから地震や崖崩れには強いとされていて、地震のときは竹林に逃げ込めと教えていた地域が珍しく無いのですが、根が浅いことから強風や地滑りなどには弱く、特に以前は管理されていた竹林が放置されて荒れてくると地滑りの発生が増加することが知られていますし、放置されたことで野放図に竹林が広がって日光を遮ってしまった結果として、広葉樹や針葉樹が減少する(竹に森が呑まれる)こともあるのですが、森林の側も管理が不足して従来の里山でさえ駄目になっていったケースの方が多いのではないかと。

初出:一夢庵 怪しい話 第4シリーズ 第294話:(2011/12/15)





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Last updated  2011.12.21 01:19:28
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