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2013.02.23
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カテゴリ:生物学
一夢庵 怪しい話 第4シリーズ 第641話 「無機生命体」

 創生の神が泥や塵といった無機物から最初の男性であるアダムを創生したというのなら、その創生の理を理解すれば人も又、泥や塵といった無機物から人間を創生することができるのではないか?

 といったことを考えた人は太古の昔からかなりの数に上るようで、古典SFに区分するか古典ホラーに区分するか微妙な(映画”フランケンシュタイン”の方が著名な)”恐怖の人造人間”あたりでは、死体を繋ぎ合わせて雷レベルの高圧電流を通電させることで命を宿す云々という筋書きになっていることは比較的知られた話になります。

 これは、”恐怖の人造人間”が書かれた頃の科学の最先端が”電気”の研究だったことと無縁では無く、切り取ったカエルの脚に通電すると生きているかのように痙攣し脚が動くという当時としては画期的な実験などが下敷きになっていたりします。

 今でこそ、電気はそれこそ産業の米というか水のようなもので、それなしに成立しない産業の方が圧倒的に多いのですが、雷が自然界における放電現象の一種ということさえ欧米で18世紀の末頃まで、他の地域だと19世紀くらいまでは一般常識では無く、神の怒りとか神の武器の類といった解釈の方が一般的だったりもします。

 ある意味で、電気の特性を理解し利用できるようになったことで、下々の一般人も魔術が使える現代社会が19世紀末頃から徐々に、そして加速を付けながら到来するようになったわけで、そこでは”賢者の石”も怪しげな儀式や呪文も必要で無く、単にスイッチをオンにするだけで理屈は良く分からなくても動く道具に依存する世界が広がっていることは御存知の通り。

 つまり、それまで魔法使いや錬金術師が登場する御伽噺や物語、あるいは伝説や噂話の類に登場する不可能を可能にする”賢者の石”の発する力ないしその一部が”電気”ではないか?そうだとすれば、賢者の石が無くても電気を研究することで賢者の石を使うのと同じ効能を手にすることができるのではないか?と考える人が少なからず出て、目には見える形では具象化しにくい”電気”の研究は”磁力”の研究とも結びつき、宗教によって大弾圧された魔術が科学の名の下に復興し、新しい進化を始めたということです。

 電気で動く掃除機が、箒で掃くより短時間で目に見えないような細かな埃や少量の液体まで取り去る時代が到来し、最近では”ルンバ”の名称で知られるお掃除ロボットが実用化されて自分で勝手に充電しながら定期的に床を掃除する光景がさほど珍しくなくなってきているわけですが、それは、ほんの少し前までは魔法使いが精霊や使い魔を召喚して掃除させたり、魔法の杖を振って部屋を片づける魔術を発動させるような御伽噺の一こまだったわけです。

 かって女性の家事の時間のかなりの部分を占めていた洗濯にしても、キャップ一杯の液体洗剤を適量の洗濯物と一緒に洗濯機に投入してスイッチを押すだけで、後は放置しておいても勝手に小一時間ほどかけて洗濯して脱水してくれるのが当たり前の時代で、乾燥機としての機能も有していれば脱水が終われば温風乾燥までしてくれ、その間は別の仕事をすることができるようになっていることもまた御存知の通り。

 調理に至ってはもっと劇的で、薪を用意して竈に火を入れるところから話がはじまっていたのが、電子レンジに素材や調理がある程度終わっている料理を入れてスイッチを押せば、裸火を使って鍋で煮たり茹でたりする時間の数分の1の時間で調理されたり加温されるようになり、上手に炊くには数年の経験と職人芸が必要だった薪を使って釜で炊く御飯にしても米と水の量を間違えなければ素人でもスイッチを押して待つだけで勝手に極上の御飯を炊きあげることができ、必要なら”お焦げ”も簡単にできてしまうことは御存知の通り。

 家事に限らず、電気を使った機械が近代社会にもたらしたのは単純な労働ほど時間を短縮させる革命で、それは下々の者でさえ専用の奴隷を複数名使役できる社会の到来でもあり、時間がかかっていた家事のかなりの部分から解放されたことで、本来はその浮いた時間を他の労働に振り向けることが可能になったわけです ・・・ 本来はですが。

 実際、生涯独身を選択する男性や女性が増加した背景には、日常生活のかなりの部分を人に代わって代行してくれる電気で動く各種の機械が誕生し普及したことがあり、古の魔法使いに独身ないし単身生活をする人が珍しく無く、使い魔や妖精を使役して家事を代行させている光景とどこか重なるわけです(笑)。

 また、やはり電気の働きを前提とするコンピュータの発明と発達と普及は、20世紀末あたりから先進国の一般人の生活を激変させることになり、別にテレパシー能力が無い一般人でも地球の裏側や宇宙空間にいる人とでもリアルタイムで通話ができるようになり、使い魔に手紙を運ばせなくても、クリックすれば瞬時に電子メールが写真や動画、音声や楽曲を添付した状態でも相手に送付できる時代に既になっていることは御存知の通り ・・・ これが魔法が下々にまで利用されるようになった社会でなくてなんなのか?

 その辺り、スマートフォンに文字通り口頭で問いかければ、ネット上の情報を検索して適切な返答をしてくる状景と、白雪姫の継母が魔法の鏡に問いかけて魔法の鏡が情報を鏡面に表示する光景の間にどれくらいの差があるのか?と考えるとき、既にかって魔法使いが魔術を駆使して行っていたことの大半は特に修行もしていない一般人でもできる時代になっていると私は思います。

 無機生命体に関しても、これまでのコンピュータの発達速度で考えると、自分の意志を持つコンピュータが登場するのは時間の問題でしょうし、その発想や知的レベルが人類を凌ぐようになるのも時間の問題だと思いますが、現実社会に働きかける実体という点では、ロボットの開発と研究なども該当するでしょうし、コンピュータで制御された産業用ロボットが実用化された1980年代に既に人はロボットに単位時間当たりの生産能力や生産性で抜かれ始め限定的な知能を有する無機生命体を誕生させたと言えます ・・・

・・・ 更に遡って産業革命期の蒸気機関で動く紡績機械や、産業革命前夜の風車を使った製粉や給水などを、魔術的に書くと、火、水、風の(精霊や妖精の)力で動く知能の無い無機生命体を土から誕生させたと解釈することもできます。

 これを書いてる時点でさえ、事前に想定されているようなトラブルが生じれば、自動的に対応するコンピュータ制御の生産ラインは珍しいものでは無くなり、自動車の自動追突防止機能なども含めて、無機生命体が既に自主的に判断して自分の行動を変化させて対応する時代が到来しているわけですから、やがて人以上の存在になってもさほど私は驚きません ・・・ その頃まで寿命が持つかどうかは微妙ですが(笑)。

 その意味で、かってユダヤ教の律法学者(ラビ)の秘術とされた、泥から生成する”ゴーレム”と呼ばれる召使いと同等かそれ以上のところまでロボットが高度化しているわけですが、ゴーレムの場合、泥を人形に整形し、呪文を唱えて羊皮紙などに”emeth(真理)”と書いてから泥人形の額に貼ると、物理的に不死に近い従順な召使いとして動き出すとされています。

 ただし、使用法に問題があると徐々に巨大化したり凶暴化するようで、扱いきれなくなったり、何らかの理由で他者のゴーレムを破壊する必要に迫られたときは、額に貼り付けられた羊皮紙に書かれた”emeth”の最初の”e”を消すと元の土塊に戻るとされています。

 一応、”meth"だと”死”を意味するためと解説されているのですが、”e”を消す解呪方法が知れ渡ったためか、額ではなくぱっと見た目ではわかりにくい場所に羊皮紙を貼る対抗策が編み出されたという説もあり、その辺りは暗号開発と暗号解読との鼬ごっこや盾と矛の開発競争などと似たところもあります。

 無機物を練り合わせて有機生命体のようなものを誕生させるゴーレムやロボット、あるいはコンピュータにしても、作り手の側に稼動を止めることを含めてコントロールする余地があり、戦闘機乗りやドライバーなどの言う”愛機”という言葉に見られるように、道具の延長上の無生物であっても相性や人格のようなもの人の側が勝手に感じることがあり、女性の場合だと鏡など化粧関連の道具や調理関連の道具などに同種の感情を抱くことがあるのは比較的知られた話になります。

 ちなみに、男女ともに”ぬいぐるみ”や”人形”の類に”クマのプーさん”に見られるような擬人化を伴う愛着を持つ時間帯があり、人によっては一生続くことさえあるのですが、人形を使った呪詛があることからおわかりのように、”気”や”念”の類を無機物である人形などに込めてしまうというか、場所や素材によっては勝手に気や念がこもってしまうことがあるのは一部では知られた現象だったりもします。

 それこそ、一流の彫刻家や画家の彫像や絵画に、”まるで生きているよう”に感じる作品があったり、一流の書家の文字に生き物のような躍動感を感じることがある理由の一端もそのあたりが原因ではないかと愚考しないでもありません。

 気や念を制御できる人の場合、家電製品を含めて愛用する道具に気や念が入ることで、ぼろぼろになるまで文字通り使い潰すことが珍しく無いのに対して、無自覚な人や制御が未熟な人の中から”あいつが触るだけで新品でも壊れる”ことで知られる人が出てくることは比較的知られた話で、護符を含めて自分用にチューニングした道具を貸してはいけない相手というのは実在します(笑)。

 もっとも、気や念を持ち出さなくても、愛用品を貸して目の前でがさつに扱われてイラッとしたり、大声を出してでも返還を要求したことのある人は珍しくなく、他人の私物を頭を下げただけで無償で借りて、書籍だとラインマーカーやボールペンで線を引いたり、マーキングのために折り目を付けても、返却時に謝罪も弁済もしなければ、罪悪感を持つどころか何が悪いのかと言い出す人さえ実在しますから、道具の寿命に差が出るのは使い手の人間性の方が問題という解釈も成立します ・・・ 

・・・ 同じ道具でも、不思議なくらい自分で金を出して購入した道具より、他人から無償で借りた道具をぞんざいに扱う人が珍しくないということは、数千円とか数百円程度の道具の取り扱いの上手下手で一生の信用を無くしている人が魔法や神秘学などとは無縁のところで出ているとも言えますが(大笑)。

(2013/02/07)





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Last updated  2013.02.23 07:00:44
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