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2021.04.20
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カテゴリ:教育・職業
帰ってきた怪しい話 第0006話 「ゆたぽん学」

 小学校への不登校を3年生の頃から売りにしていた某・小学生(職業:ユーチューバー)が2021年3月をもって目出度く小学校を卒業し、卒業後の個人的なイベントとして卒業証書を自ら破いた(もちろん、それをネタにネットで一稼ぎしたそうな)上で、中学校も引き続き不登校を続ける宣言をネット上でも表明したそうな(賢いのか馬鹿なのか?)。

 ちなみに、革命家を自称する彼の個人名を揚げる気は無いので通称というか俗称というか自称というかこれまた微妙な”ゆたぽん”と表記していきますが、知り合いでも何でもありませんので”彼が今後どうなろうとしったこっちゃない”というのが、私の、立ち位置になることをここで明記しておきます。

 ”ゆたぽん”の言動に関しては、”ごもっとも”と思うところもありますし、それに対して激論を繰り広げている暇な人達の持論にも”ごもっとも”と思うところがあります。

 しかしながら、怪しい話で何度となく取り上げて来たネタにも”別に学校に行かなくても、ネット経由で学習動画などを利用して効率よく勉強した方がいい時代になっている”という分野の話があるのですが、”黒板にチョークで板書していた時代の呪縛”に日本人はここまでとらわれているのか?”の方が、自ら学ぶ権利の一つを放棄している赤の他人の言動をあれこれ斟酌するより優先して考えてみる必要があると、私は、思います。

 義務教育制度の裏側にはとんでもない利権構造が存在していて、その利権構造を死守することが何よりも優先されている ・・・ それこそ”子供たちを一人前の社会人に成長させていく”という(私に言わせれば)学校教育の最優先事項よりも”教育関係者にとって何かとおいしい既得権や利権構造を維持する”ことの方が優先され続けているんじゃね?ということ。

 一番わかりやすいのが、スポーツや芸術の分野などで「将来、プロとして飯を食っていく(つもりでいる)子供」は「学校の体育の授業も部活動もあてにしなくなって久しい」という現実があり、世界規模で稼げる、ゴルフ、テニス、・・・、サッカー、野球といった辺りを思い浮かべてもらえればわかりやすいかなと。

 野球やサッカーなんかは学校の部活動を経由してプロになってる人が多いんじゃね?という人もおいででしょうが、野球やサッカーで将来的にプロになるような子たちは「学校の外のクラブチームの類にも小学生の頃から所属している」割合が年々高くなって来ている現実がある ・・・ 学校の体育の授業や部活動で指導する”学校の先生”達の技術や知識は総じて低く、考え方にしても大東亜戦争当時の新兵訓練の残滓が延々と継承され続けていることは比較的知られた話になりますな。

 もっとも、学校の先生自身が「部活動の顧問を引き受けても時間外手当がまともにつかない上に過労死するレベルで過酷(なのでやりたくない)」と声を上げる光景が珍しく無くなってきているのも御存知の通り ・・・ 教える側の技術や知識などの水準の低さといった辺りを自省する声がほとんど聞こえてこないあたりで「学校の先生って自意識過剰というか自己評価だけ高すぎじゃね?」という気が、私は、してきてるんですが?

 別の視点では、日本の学校の先生たちが「部活動の顧問をすることに不平不満をぶちあげる」ようになる直前、某・大陸国家が「なぜ亜細亜の小国である日本が(我が国と比較して)オリンピうれックで好成績を上げることができるのか?」と疑問を持って研究した結果として「日本では学校の部活動を通じて優秀な人材を発掘して効率よく養成している。故に、我が国においても学校教育への部活動制度の導入を検討すべきである云々」といった主旨の結論を公式に公表したというのは実話です。

 逆に動制度”を崩壊させればよいということですが、某国の研究結果が公表された時期と日本の学校の先生たちが唐突に部活動の顧問は嫌だ過労死しかねないと全国一斉に騒ぎ始めた時期から邪推すれば”ある意味でとてもわかりやすい”現象だと、私は、考えていますし、少なくともそうした邪推が成立するくらい胡散臭い話だったなあと。

 少なくとも公立の学校の先生の多くは地方公務員ですが、暗黙の了解事項として”地元の国立大学の教育学部を卒業して教員免許を取得した者”から優先的に採用され、一定の年数を勤務するだけで奨学金の返済が免除される制度などなど一般的な地方公務員よりも優遇されている雇用体制だったりしたものですが、ま、学生時代から外の世界というか一般的な労働環境を知らないまま定年を迎える人材が珍しくないかなり閉鎖的な職場というのは21世紀に入ってからも確かな話かなと。
 
 というか、前職の頃から学校の先生たちが「いかに自分たちは過酷な労働をしているか!」と熱弁をふるっても、霞ヶ関の中央官庁でまともに勤務したことのある国家公務員からは特に「すげ~楽な職場じゃね??どこが過酷なの??」という感想しか上がらない ・・・ たぶん、21世紀になって以降も(暗い笑)。

 謎なのが、国家公務員に限らずサービス残業や休日出勤の類が常態化している私企業などで勤務した経験のある人達でも、「学校の先生達って夜の8時過ぎまでどのくらいの割合で残業してるから過労死するとか言っているの?」といった「素朴な疑問」を持つことと、「週休二日で、祝祭日は公休。それに加えて、エアコンが完備された後も夏休み(7月中旬~8月)、冬休み(12月末~1月初旬)、春休み(3月末~4月初旬)といった”勤務を要さない日というか生徒や学生が学校に登校してこない日”があるじゃん??しかも、(利用できるかどうかはともかく年に20日程度の)年休とか病気休暇とかはそれとは別枠でしょ?? ・・・ 

・・・ と、考えると、”学校の先生たちが授業を実施するという本業に限定すると年に何日というか年に何時間働いてるの?そう考えると40歳くらいの小学校の(或いは中学校の)平均的な先生の”授業一コマあたりって時間給与に換算したらどのくらいになるの??と思うようになるわけですな。

*大雑把な単純計算だと、土日祝祭を除くと勤務を要する日が月に20日程度。春夏冬の長期休暇の累計を2カ月とすれば、10カ月×20日=年に200日 となる(200/365日だと年間稼働率で約55%)。
*或いは、40~50歳くらいの小中学校の一般的な先生の平均的な年収がどのくらいで、それを200で割って日給換算をしてみると・・・(以下略)。

 まあ、こう書くと「生徒や学生たちの長期休暇中でも研修とか自己研鑽とかなんとかを行っているので、学校で授業をしていないからといって遊んでいるわけではない云々」といった声が上がることがままあるようですが、別に学校の先生に限らず休日に自腹で知見を広げたり自腹で学習して各種の資格を習得したりする行為は民間のサラリーマンでも珍しくありませんし、自営業者に至ってはそもそも公休もなければ飯の種絡みで自腹で研鑽するのは現役でいる限り当たり前のことですがなにか??

 或いは、ごく普通の学校の先生が定年まで勤めて手にする給与総額、退職金の額、公的年金の月額っていくら?といった視点で考えると、”そりゃあ、(計算上は年間約55%の稼働率ですが)過労死するかもと思うレベルで働くことには一定以上の合理性があるんじゃね?” ・・・ と。

 ま、学校の先生の待遇が過労死するレベルでブラックならば、”なんで学校の先生の子供や親戚の子の中から学校の先生になる子があんなにいるの??”という疑問を持つ人が珍しくないんじゃなかろうか? ・・・ 少なくとも「ユーチューバーより学校の先生の方が堅実な職業」だと、私は、思っています。

 それはそれとして、先生の側からだと”小学校だと6年、中学校だと3年我慢すれば、いかなる問題児も卒業して関係がなくなる。”というのも日本の義務教育制度の良い点で、よほどのことが無ければ小中学校で留年という経験をする子は極めて稀なことは御存知の通りで、逆に言えば”ゆたぽん”が泣き叫んだとしても3年後には目出度く中学卒業となる可能性が高いわけです。

 では、”ゆたぽん”が高校以上の学歴を取得できないのか?と聞かれれば、抜け道の一つとして”海外移住”や”海外留学”という手があるなあと、で、海外の高校を卒業ないし経由して「帰国子女枠」や「一芸入試」、「外国人留学生枠」などなどを使って大学に入学すれば、いけるんじゃないかと ・・・ そのために必要な金はユーチューバー活動などで稼ぐとすれば、妄想でも絵空事でもないよねと。

 単純に、日本人の平均的な生涯収入などから考えると、正規のルートで進学して22歳前後で大学を卒業してそこそこの会社などに正規雇用できた場合で2~3億円程度とすれば、”ゆたぽん”が22歳までに3億円以上稼げて実質的に20代で早期リタイアできる資産も形成できたとすれば、”ゆたぽん”の方が正論を語っていて、正規ルートで大学を卒業した末に非正規雇用のまま定年を迎えて生涯収入は2億円にも届かない上に、現役時代はしたくもない仕事で過労死寸前までサービス残業をしている内に定年を迎えた人は ・・・。

 日本の教育制度と教育関係者は”可能な限り現状維持”が大好きで”日本の国としての国際競争力を削ぐことに熱心”な言動を繰り広げているなあと、私は、思っていますし、”過労死するくらい忙しいのなら、なぜ1990年代からでも積極的にコンピュータを使った事務処理とかインターネットの利用を含む広域情報共有や累積型データベースの構築といったIT化を進めなかったのか?”を常々謎に思っています。

 実際、2020年初頭から急速に深刻化していった武漢肺炎のパンデミック現象に伴う社会の変化の中でも、”あれ?従来型の黒板にチョークで板書するタイプの、教室で一斉に受ける授業でなくても学力ってつくじゃん?”というか、”ネット経由で配信される塾や予備校などの授業動画の方が分かりやすいし、テストもタブレット端末で受けた方が採点が早い上に弱点の克服するための補習用動画やドリル問題なども再テスト時の得点上昇に直結してる!”といった経験をする人を増加させているなあと。

 正確には、武漢肺炎騒動以前から、”学校の授業より塾や予備校などがネット経由で提供してくれる授業の動画ファイルやドリル問題なんかの方が学校の先生の授業や学校の補習プリントなんかよりよほど分かりやすいし、適切に指導してくれるから短時間で学力も伸ばしやすいということに気が付いた人が増えてはいました ・・・ その意味で、従来型の一つの教室に知能も学力も不揃いな生徒を詰め込んで同じペースで授業を実施するタイプの義務教育って小学校3年生くらいまででいいじゃね?と私は考えています。

 興味深いのが、小中学校に”電子黒板”を導入したり生徒に”タブレット型端末”の類を配布することをもって”授業の電子化”だと学校の先生側が主張していることで、いやいやそれは単に学習教材のハード面での電子化であって、肝心の授業は黒板にチョークで板書の時代と大差ないというか、IT系ハードの導入で学習効率などがアップしないのなら無意味というより税金の無駄遣いじゃね?

 実際、高額な電子機器の類を公費を使って大量導入しておいて、一つのクラスの生徒の数を(45人学級から40人学級へ、40人学級から35人学級へとか)減らす(=少子化が進んでも可能な限り先生の数は減らさない)という主張は、日本の義務教育や公教育の制度が世界標準からまたまた周回遅れになるというか実質的に放置されたまんまで可能な限り現状維持で先送りが続くってことじゃね?

 担当する生徒の数が少なければ(一人当たりの指導時間を長く取れるだけ)生徒指導が上手くいくので、授業の落ちこぼれ生徒を減らせるし、いじめ問題などを解決しやすくなる云々といった主張も、”それって、小学校の高学年以上になれば必要な授業を24時間視聴できるタブレットを渡して物理的に学校へ登校しなくてもよい体制にするだけで解消される案件だし、そうする方が、生徒の側は授業内容を理解できる機会が増えるし、学校での”いじめ”や”先生からのセクハラ”の類も発生しないんじゃね?

 ある意味で、従来も”保健室登校”などと呼ばれた”学校には登校しているけど教室にはほとんど入らず、保健室や校長室などで過ごす”ことで、登校拒否や不登校をなんとか回避して卒業に辿り着く迂回方式を、”それってクラス全員でやっちゃなぜ駄目なの?”という ・・・ 学習の到達度などはタブレット端末で全国一斉のテストを行って、大学などの単位認定のように一定の得点に達していれば卒業資格を認める制度にするだけで一挙に解決すると思いますが?

 というか、日本の教育制度で長年放置されてきたのが海外の先進国の教育制度では珍しくもない”飛び級”制度で、日本だといくら優秀でも飛び級はほとんど不可能で、海外の有名大学ではちらほらと”10代前半で入学した天才”といった話があるのですが、日本の国立大学から同じ話が発信されることは皆無という現状を異常だと思いませんか?ということ。

 既存の制度である高校卒業程度の学力認定試験の類にしても、その試験に合格すれば年齢に関係なく大学受験を認めればいいと長らく思っているのですが、なぜか年齢制限が撤廃されないままずるずると来ていて、結局、正規ルートで高校を卒業した人と同じ年でなければ大学に進学できない ・・・ 私が若かった頃(遠い目)から、IQが150~200くらいの子の中に、高校に進学して大検に合格して受験資格を取ったら高校を中退して大学受験が可能になる年齢までぶらぶらするといった選択をする子が実際にいましいた。

 そういった子を実際に知っていると、産まれた年が近いからというだけで、6歳から18歳くらいまで同じ学年で同じペースで同じ教室で同じ授業を受けさせられるというのは、一種の拷問というか虐待、難行苦行の類ではないかと思ったことがあるのですが、日本の教育制度に従う限りそういった子たちが”飛び級”や”年齢制限なしの大学受験”といったことで救済されることは無かったわけです。

 スポーツの世界だと、日本人でも小学生の頃から世界を目指して練習を続けて国際大会などでも結果を出し、10代半ばくらいから世界チャンピオンや大きな大会の常連メダリストになって、20代前半で世界基準で成功者となるような人生は歩めても、10代半ばで大学生になり20代前半で世界的な学者や研究者として評価され公的なポストを手に入れるような人生は、日本の教育制度の中にいる限り絵空事の類 ・・・ 

・・・ それ故に、優秀な連中ほど高校に進学した時点から日本の大学ではなく海外の有名大学に返済不要の奨学金を貰いながら進学する進路を選択するという意味での”頭脳流出”も珍しく無くなって久しいのですが。

 あれこれ考えると、”ゆたぽん”の人生の選択を一概に否定する気は私にはありませんし、これだけ社会の移り変わりが激しくなると、親の世代の常識や正解で模範解答だったものが子供の世代にとっては有害とか役立たずな代物と化していることも珍しくありませんし、誰も自分が何歳の時に死ぬのかを知らないことにも留意が必要ではないかと思います。

 ちなみに、私が小学校に入学した頃から実母に”あんたは、字が汚い、算盤ができない、風呂敷が結べない、卵を上手に割れない、そんなことで大きくなってどこに勤めるつもりでいるのか!秘書でも雇えるのか!!” と何度となく罵られたことがあったのですが、晩年の実母の技能といえば”ワープロの類は使えない、パソコンどころか電卓も操作できない、携帯電話の受発信もできない、料理は(自炊で鍛えた私より)下手なまま ・・・”でしたから、学生時代の成績が優秀だったと言われてもねえ?と、私は、思います(笑)。

 一方で、こちらも故人になられて久しいのですが、戦後の混乱期に地方の国立大学を出て日産に勤めて、かなり出世もした母方の叔父に進路相談をしたときのこと、”私の時代だと地方の国立大学の工学部卒でも日産に勤めることができて、高度経済成長なども経験して、ここまで出世もできたけれど、最近の新規採用希望者の履歴書の最終学歴はとんでもないことになっている。うちに限らず大手企業だと一定の学歴が無ければ採用選考以前のスタートラインにも立たせてもらえないというのが現実だし、採用段階だと一定の大学を卒業していても、例えば受験浪人はよくても入学後に留年しているようでは大幅減点・・・”といった話になったことがありましたなあ(遠い目)。

 ま、叔父とそんな話をしたのはもちろんバブル経済が到来する以前のことでしたしカルロス・ゴーンのゴの字も耳にしなかった頃のことでしたから、パソコンやインターネットなどのIT関連知識が普通のビジネスマンにとっても必須となる以前の話になるのですが、それ故に、”10年後、20年後の社会がどうなっているのか?”を抜きにして勉強しても”学生時代は優秀だった”だけのネタ話が残るだけかもねと。

 正直なところ、”ゆたぽん”の選択の結果がどのように結実するのか私にはわかりませんし、”ゆたぽん”の寿命にしてもいつまであるのか私にはわかりませんが、

 白骨の御文書にいわく、「朝に紅顔の少年、夕べには白骨となれり。」

ということで、”ゆたぽん”に限らず、”生きている内に人生を楽しめ。死は常に近くにいる。”と私は考えていますというあたりで、今回はお仕舞。





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Last updated  2021.04.20 09:05:37
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