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風狂夜話2

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2007年12月27日
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カテゴリ:天才
昨夜テレビ朝日で「昭和の真相 1989年」を観た。

3人の人物をめぐり、ビートたけしや美輪明宏が談論する。

昭和天皇、美空ひばり、松下幸之助である。

いずれも同じ年に亡くなっている。

まさに昭和を代表する人々である。

私は個人的には美空ひばりに深い思いがあり、この日「舟唄」が

美空ひばりに歌われる可能性もあったことを知り、やや驚いた。

そしてひばりがアレンジでなく持ち歌として本格的に歌っていれば

俄然ちがった雰囲気になるであろうと想像した。

私個人としては「みだれ髪」や「ひばりの佐渡情話」が一番好きなのだが

そこに「舟唄」が入った可能性もあるのだ。

作詞家阿久悠はデビューからその心構えとして「美空ひばりが歌わない歌」を

作ることに神経をとぎすませていた。

それだけ彼女の存在は大きく、同年齢の彼を魅了させていたのである。

だがあるとき売れっ子作詞家の阿久があるパーティで偶然ひばりと出会い

ひばりから「私にもいい歌を作ってよ」と声をかけられる。

阿久は茫然として立ちすくんだ。

まるでそれは貫禄のある母親に用事をたのまれた息子という構図だったという。

ひばりはもう自分にそれほど余裕がないことを悟っていたのかも知れない。

一番脂の乗りきった阿久にいい歌を書いてほしいと思ったのかも知れない。

しかし運命はふたりを離れさせ、ついにひばりは力尽き、死去する。

「北の宿から」とか「舟唄」をひばりがうたっていたら、と想像するのは

やはり贅沢というものなのか。

阿久悠は美空ひばりの死後、作詞家人生のなかでひばりに歌を作らなかった

ことを後悔している。

それは彼のなかの「昭和」がずっと遠ざかったことに他ならない。

瀬戸内の少年がラジオを聞いてあこがれていた美空ひばりが同年齢であると

気がついた時からアンビバレントな感情は途切れずに残っていたが、

相手が死んでいったら、もうライバルがいないのである。

一度は歌ってほしかった気持ちはあったろうが、ついにかなわず逝ってしまった。

昭和天皇が1月に亡くなったときもひばりは自分の体を省みず、皇居へと記帳に

いったという。(あの人もたいへんだったのよと)

昭和天皇も最後の戦没者慰霊祭では、病をおしてよろよろ歩き、武道館の祭壇を

仰ぎ、慰霊の声明を述べられたのだった。

沖縄への慰霊はついにかなわなかったという。

平成はもう来年で20年になる。どういう総括をしたらいいのか。

戦無派の私は言葉を失う。










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最終更新日  2007年12月27日 20時47分01秒
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