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仙台市泉パークタウン在住の2ch愛好者が生活と政治を考えるブログ

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2019.10.20
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 何度もお断りしているように、
当ブログは仙台トーストマスターズクラブの公式見解を反映するものではなく一会員の個人ブログです。

 大半の会員は穏健ながら仙台トーストマスターズクラブにはユニークな人が多いのも確かで、時には抱腹絶倒の事態も起きます。いつぞや山登りの好きな会員が山形県に実在する「蟻の門渡り」という難所に登ったスピーチをした際に私はひとりで笑い転げてしまいました。なぜおかしいか知りつつも笑いをこらえ切れたメンバーには畏敬の念を抱かずにはいられません。
 即興スピーチで「春の花について話してくれ」といわれて、あろうことか「イヌノフグリ」について話してしまったのは私です。
 先日の例会で、休憩時間にクラシック音楽に関する話を若い女性としていた私が「あのコンサートはかぶりつきで見ていました」と言ったところ、横から別の女性が加藤茶のタブーを口ずさみながら現れて、「かぶりつきには詳しいんだよね」と言ったのには腰を抜かすほど狼狽してしまいました。あとで調べたところ「かぶりつき」とは特別な劇場に限った話ではないようで狼狽する必要はなかったようです。それはともかく、見せるべきものを見せない劇場が廃れてしまうように、スピーチ原稿を人目に晒す勇気もないようなヘタレな精神では上達は難しいでしょう。以下は、仙台トーストマスターズで2017年2月に発表した英語スピーチ原稿を和訳したものです。
サンタクロースは存在するのだろうか?

 私は阿武隈川の上流の農村で生まれ育った。少年たちの間で川に放尿することは一般的な習慣だった。その際には、「川の神様、ちょいとどいておくれ」と歌ったものだ。この感覚は、キリスト教国から来た人には想像できないかもしれない。日本の伝統的な神の概念は、キリスト教の神の概念とはまったく異なる。
 キリスト教は1549年に日本に紹介され急速に広まった。しかしキリスト教徒は迫害され、仙台でも殉教が起きた。 1624年2月、キリスト教徒たちは広瀬川の凍るような水につけられて落命した。彼らの像はいまも大橋のたもとにある。正当化はできないとはいえ、迫害には理由があった。現代と比較すると、キリスト教は非常に排他的で攻撃的だった。さらに、キリスト教は多かれ少なかれ植民地支配に協力した。それが日本の支配者がキリスト教の広がりを憂慮したひとつの理由だった。
 「沈黙」は、日本人作家の遠藤周作による1966年の歴史小説で17世紀の日本に派遣された宣教師の物語だ。「沈黙」の主なテーマは、神の沈黙で、厳しい迫害の下で多くのクリスチャンが拷問され殺されても神は何もしなかったことを見据える。
 宗教に何かを祈る人々は多い。たとえば、入学試験の成功を祈る受験生がいる。しかし試験準備においては祈るより勉強するほうがはるかに効果的だ。宗教は、信者が残酷な迫害に苦しんでいるときでさえ目に見える恩恵をもたらさない。
 遠藤周作の小説、「沈黙」は成功したが物議を醸した。いくつかの教会は、「沈黙」だけでなく、他の遠藤の作品も信者が読むことを禁じた。遠藤周作は敬虔なキリスト教徒であったが、宗教についてキリスト教中心的な見方はしなかった。遠藤が「沈黙」で示したのは、キリスト教の信仰は迫害を止めることには無力であるということである。他の宗教と同様に、キリスト教は信者に目に見える助けをもたらさない。遠藤はキリスト教の優位性を否定したと言っていいかもしれない。たぶんそれが、いくつかの教会が沈黙を禁書にした理由のひとつであろう。
 キリスト教指導者が世界中をキリスト教に改宗しようとした時代があった。私の十代にローマ法王が日本を訪れて、「大地を祝福する」と称して空港でアスファルトに口づけする姿を見て「なんという傲慢で汚らしい老人だろう」と思った。おそらく現在のローマ法王はそのような行為を好まないだろう。現在のローマ法王は宗教指導者の首脳会談を主催し世界平和を促進する方法を議論した。自己中心的な宗教観から自由であるように思える。
 教会指導者だけでなくキリスト教徒も態度を変えた。以前は誰にでも「メリークリスマス」と言うキリスト教徒がいたが、分別あるキリスト教徒はそんなことはしない。
 私が理解できないのは、非キリスト教徒でありながらクリスマスパーティーを開いてプレゼントを交換する日本人である。たぶん、彼らは何も考えずに行動するタイプの人々なのであろう。私はキリスト教徒ではないが、広瀬川の冷たい水の中で殉教した人々に敬意を抱かずにはいられない。であるがゆえに、クリスマスをパーティの口実に使うのは論外である。クリスマスはキリスト教徒によってのみ祝われるべきなのだ。現代社会は普遍宗教を必要としない。嘆かわしいことに強欲な商人は、クリスマスだけではなくイースターの商業利用にまで乗り出している。
​​ サンタクロースは実在するのか(Is there a Santa Claus?)は、1897年9月21日、かつて存在したアメリカ合衆国の新聞『ザ・サン』(ニューヨーク・サン)に掲載された社説で「Yes, Virginia, there is a Santa Claus.(そうです、ヴァージニア、サンタクロースはいるのです)」の一節は有名だ。しかし、遅かれ早かれ、子供たちはサンタクロースが実在しないことを知る。宗教はけっして物質的な利益をもたらさないし、奇跡をご都合主義的に起こせる宗教人はいない。宗教ができることは、解決策をもたらすことではなく寄り添うことであろう。私はいかなる宗教も信じていないが、宗教を否定する無神論者ではなく神が存在するかどうかを人々は知ることができないと考える不可知論者である。しかし、商業化されたサンタクロースが偽物であることはわかる。宗教の価値は目に見えない領域にあるのだ。​





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最終更新日  2019.11.21 12:03:56
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