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気まぐれ*旅の日記帳*

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2014年08月27日
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テーマ:タイ(3305)
カテゴリ:旅行(タイ)
ワット・マハタートからトゥクトゥクでお隣のワット・ラチャブラナへ。
星ワット・マハタートの日記は、こちら

ワット・マハタートから見たワット・ラチャブラナの仏塔(プラーン)。

2014タイ048.jpg


アンコールワットに代表されるクメール式の仏塔がひときわ目立っていました。
なぜクメール式のとうもろこし型プラーンがあるのでしょう。

と、その前にタイの歴史をざっくり記してみます。

・古代~中世 (BC3-1238)
・スコータイ王朝 (1238-1438)
・アユタヤ王朝 (1351-1767)
・トンブリー王朝 (1768-1782)
・チャクリー王朝 (1782-現在)

対する東隣りのカンボジアのクメール王朝(802-1431)は、
1431年にアユタヤ王朝がクーメール帝国に侵攻し、
クメール帝国の首都アンコール・トムが陥落。

アユタヤはクメール王朝の支配下にあった時期もあったので、
いろいろな様式の建築が混ざっているのだそうです。

その後、西隣りのビルマがアユタヤに侵攻して1767年にアユタヤ陥落、
その際建造物の多くが徹底的に破壊されてしまったのでした。

なのでアンコールワットを先に見てしまった方々は
廃墟と化したアユタヤでの感動は少ないと思われます。

一方ビルマ(現ミャンマー)にそんな栄光の時代があったのは驚きですが、
・破竹の勢いのビルマをけん制したのが清王朝(冊封体制で主従関係となる)
・その後3度にわたって完膚なきまでに叩きのめしたのが大英帝国(植民地へ)
ときいてある意味納得です。

さて、入口から見たワット・ラチャブラナのプラーン。
入場料はTHB50なり。


2014タイ049.jpg


プラーンは一部補修工事中で足場が組まれていました雫

ここまで足をのばす観光客は少ないのかとても静かです。
プラーン、チェディなど各種様式の仏塔が並んでいました。


2014タイ050.jpg


プラーンの途中まで登ることが出来ます。


2014タイ051.jpg


内部には下へ降りることの出来る急で狭い階段があり、
壁画がある地下室へと続いているそうです。

この時は補修工事中で途中から真っ暗になっていたので断念しました。

上から眺めた礼拝堂(ウィハーン)


2014タイ052.jpg


何と言ってもプラーンがとても印象的な寺院でした。

次はワット・プラ・シーサンペット、ヴィハーン・プラ・モンコン・ボピット、
ワット・プラ・ラームと密集したエリアへ、つづく。





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最終更新日  2014年08月28日 00時45分30秒



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