|
テーマ:タイ(3305)
カテゴリ:旅行(タイ)
ワット・マハタートからトゥクトゥクでお隣のワット・ラチャブラナへ。
ワット・マハタートの日記は、こちら ワット・マハタートから見たワット・ラチャブラナの仏塔(プラーン)。 アンコールワットに代表されるクメール式の仏塔がひときわ目立っていました。 なぜクメール式のとうもろこし型プラーンがあるのでしょう。 と、その前にタイの歴史をざっくり記してみます。 ・古代~中世 (BC3-1238) ・スコータイ王朝 (1238-1438) ・アユタヤ王朝 (1351-1767) ・トンブリー王朝 (1768-1782) ・チャクリー王朝 (1782-現在) 対する東隣りのカンボジアのクメール王朝(802-1431)は、 1431年にアユタヤ王朝がクーメール帝国に侵攻し、 クメール帝国の首都アンコール・トムが陥落。 アユタヤはクメール王朝の支配下にあった時期もあったので、 いろいろな様式の建築が混ざっているのだそうです。 その後、西隣りのビルマがアユタヤに侵攻して1767年にアユタヤ陥落、 その際建造物の多くが徹底的に破壊されてしまったのでした。 なのでアンコールワットを先に見てしまった方々は 廃墟と化したアユタヤでの感動は少ないと思われます。 一方ビルマ(現ミャンマー)にそんな栄光の時代があったのは驚きですが、 ・破竹の勢いのビルマをけん制したのが清王朝(冊封体制で主従関係となる) ・その後3度にわたって完膚なきまでに叩きのめしたのが大英帝国(植民地へ) ときいてある意味納得です。 さて、入口から見たワット・ラチャブラナのプラーン。 入場料はTHB50なり。 プラーンは一部補修工事中で足場が組まれていました ここまで足をのばす観光客は少ないのかとても静かです。 プラーン、チェディなど各種様式の仏塔が並んでいました。 プラーンの途中まで登ることが出来ます。 内部には下へ降りることの出来る急で狭い階段があり、 壁画がある地下室へと続いているそうです。 この時は補修工事中で途中から真っ暗になっていたので断念しました。 上から眺めた礼拝堂(ウィハーン) 何と言ってもプラーンがとても印象的な寺院でした。 次はワット・プラ・シーサンペット、ヴィハーン・プラ・モンコン・ボピット、 ワット・プラ・ラームと密集したエリアへ、つづく。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014年08月28日 00時45分30秒
[旅行(タイ)] カテゴリの最新記事
|