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カテゴリ:万葉散歩
石激 垂見之上乃 左和良妣乃 毛要出春尓 成来鴨 第八巻 雑歌
いわばしる たるみの上のさ蕨の 萌え出づる春になりにけるかも 志貴皇子
「岩にしぶきをあげる滝の上に、ワラビの芽が出る春になったのだなあ」
志貴皇子は吉野の盟約にも参加した天智天皇の皇子ですが、 皇位継承からは遠い存在でした。 しかし歌人としての評価は高く、万葉集にも6首の歌を残しています。 中でもこの歌は有名で、万葉集の中でも人気の高い歌なのだそうです。 ただし天武系の皇統が途絶え、志貴皇子の皇子が光仁天皇として即位したため 薨去後に春日宮御宇天皇として追尊を受けています。 田原天皇とも呼ばれています。
垂水神社 吹田市垂水町
神社御由緒によれば、大化改新の頃の干ばつ時 この地の勢力者だった阿利真公が 千里山の湧水を難波宮に送った功により垂水姓を賜り、垂水神社を創祀したとのこと。 御祭神の豊城入彦命は、その阿利真公の祖。 古代史ファンの私ですが、この御祭神のことはピンときませんでした。 ただ、どこかで聞いたことがある名・・・ 天照大神の御杖となって宮中を出た 豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと)を思い出しました。 最終的に伊勢にたどり着いたのは豊鍬入姫命のあとを引き継いだ倭姫命ですが、 この皇女こそが斎宮の祖と言えるかも知れません。 調べてみると、やはり御祭神はその豊鍬入姫命の兄にあたります。 崇神天皇の第一皇子ですが、垂仁天皇として皇位を継承したのは 第二皇子の活目入彦尊。 二人は異母兄弟で、活目尊の母が皇后であったためなのでしょうが、 日本書紀にはどちらを跡継ぎにするか崇神天皇が迷った様子が記されています。
「お前達二人の子はどちらも同じように可愛く思う。 どちらを後嗣にしたらよいかわからない。 それぞれ夢を見なさい。夢で占って決めることにしよう」
「御諸山に登り、東に向かって槍や刀を振った」 そんな夢を見た豊城命は東国を治め上毛野君、下毛野君の先祖となり 「御諸山に登り、縄を四方に引き渡して粟を食べる雀を追い払った」 そんな夢を見た活目尊が皇太子となったのです。 理由は弟の夢が「四方に気を配って、稔りを考えた」からだそうです。 東国を治めたので、関東には豊城入彦命を祀る神社はけっこうあるようです。
この神社が鎮座する山からは、弥生時代の遺跡が発見されています。 垂水神社はおそらく水の神として、古くからの祭祀場だったのかも知れません。 奈良時代から平安時代にかけての社格も高く(名神大社) 丹生、貴船とともに祈雨の神として信仰を集めていたそうです。
神社の裏は千里ならではの竹藪や、森が広がっています。 しかし実は、森が残っているのは神社のある山の南面だけ。 この山道は5分も登れば住宅地が広がっています。 志貴皇子が詠んだ「垂水」がここのことであったとしても 現在はその水脈は枯渇して、残っていません。
修行やお清めの場ともなっているようで、土足のまま近づくことは禁止されています。
それにしても「いわばしる・・・」の歌は 何ともストレートでシンプルでわかりやすい歌ですが 短い言葉の中に水ぬるむせせらぎや滝、芽吹くワラビや新緑 そして暖かな春の陽にきらきら光る情景が心に浮かびます。
志貴皇子と垂水の地については、 次回もう一首ご紹介したいと思います。
万葉散歩No.3
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和歌で春を先取りですね^^
どのお写真も素敵ですが、特に拝殿のお写真 緑が鮮やかで社殿も秀麗で吸い込まれそうです(^^* 豊城入彦命のお名前にビックリしました。 日記で触れてらっしゃいますが関東の開拓神で 宇都宮・二荒山神社や榛名神社など、大きな神社でお見かけすることがあります。 龍水さんでも馴染みが薄いということは、関西には 豊城入彦さまを祀るお社が本当に少ないんだと改めて思いました。 (2009.02.01 17:55:25)
豊城入彦命、とても思い入れのある方なんですー。
先月巫女舞を奉納させて頂いた榛名神社にも 豊城入彦命が国祖殿に祀られていて、思わず涙した位に…。 垂水神社は、まだ参拝したことがなかったので、いつか参拝したいです☆ ありがとうございますm(__)m (2009.02.01 20:11:39)
関西を中心に、この4~5年で500社くらい回っていると思うのですが
豊城入彦命を祀る神社はここしか記憶にありません。 榛名神社は私の師匠お勧めの神社でもあり、いつか行きたいと思っている神社です。 ここ数日、暖かい日が続いていて「春を先取り」と言いたいところですが、 実は現在、我家は財政難でお出かけを自粛中。 近場でネタ拾いをしたのであります(^^;) (垂水神社には歩いて行けるのです) . (2009.02.01 20:20:39)
豊城入彦命は関東の人たちにとっては重要なお方なのでしょうね。
関西の神社を毎年200~300社回っていますが、その名は摂社・末社にさえ記憶がないんです。 そう言えば私が育った岡山では「吉備津彦命=五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)」は有名ですが 関西では全く祀っている神社はありません。 (2009.02.01 20:34:20)
二上山(大津皇子)~垂水(志貴皇子)…ドキドキします(*^^*)
垂水神社…さわらびの歌そのもののような素敵な神社ですね! 豊城入彦命…夏菜さんの日光の旅でお目にかかったばかりの名前(*^^*) 龍水さんの記事を拝見していてもびんびん感じますが、なんとな~く『大和』の魂がむくむくと目覚めてきているような印象をうけました。 昔は末子相続が基本であったらしいので、それを置いてまで皇嗣に迷うくらいお二方とも優秀だったのでしょうね(*^^*) そういえば、相続パターン変更で揺れに揺れたのが志貴皇子の時代でしたね^^; 続きの記事も楽しみにしております。 (2009.02.02 01:03:31)
大津皇子や大伯皇女に関しては、突っ走ってしまいたい衝動があるのですが
残念ながらゆかりの地などの画像ストックが不足。 神社めぐり以上にハードな予感(わくわく) (2009.02.02 07:07:04)
榛名神社で 「豊城入彦命・・・ここは祝詞あげなくっては。えーと、えーと とよすき?とよすき?」といっていると 横にいた 水葵さんが「とよきです」と 教えてくれました(笑)
明日から 福山の仙酔島へ行ってきます。帰りは 岡山のきびつひこ、きびつ神社に自転車で 走り屋になって行く予定です。晴れるといいな♪ 吉備津彦命=五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)」インプットして 行ってきまーす☆ そして 祝詞をあげていると 涙する水葵さん。 (2009.02.04 23:05:50)
いいですねぇ~、吉備津&吉備津彦神社。
吉備津神社は屋根の修復工事も終わり、麗しいお姿でしょうね。 吉備津彦神社にボランティアガイドの眼鏡のおじさん(井上さんだったかな)がいらっしゃったら、面白いお話が聞けますよ。 中山への登拝もオススメです。 私も春になったら行こうと思っています。 (2009.02.05 01:59:07)
日本書紀にはどちらを跡継ぎにするか崇神天皇が迷ったお話、とても面白かったです。
そんなことがあったのですね。 当時は長男が必ず後を継ぐと決まっていたのではないので色々争いもあったみたいですが、このように夢で決めるなんて今では考えれないですね。 夢は神様のお告げとか、何かのメッセージと考えられていたのでしょうか。 志貴皇子の皇子が光仁天皇なんだから、歴史は面白いですね。 凄く力があると思われていても途切れたり、そうでもなかったはずが、子孫が脈々と続いて行ったり…。 本当に面白い。 そういえば、先日私が行った白毫寺は志貴皇子のすまいだったとか山荘跡を寺にしたとか言われていますね。 眺望のとても良いところでした。 志貴皇子にもちょっと興味が出てきました。 垂水神社も機会があれば、行ってみたいです。 ところで、八尾市に志紀という地名があるのですが、志貴皇子とは関係ないですよね。 (以前、八尾に住んでいたことがあるので、ちょっと気になったのですが…。) (2009.02.05 20:35:29)
志貴皇子と八尾市の志紀は関係があると思いますよ。
そのあたりのことも、次回に書けたらいいと思います。 ところで、レーナマリアさんは豊城入彦命と聞いてピンときますか? 私は全くだったのですが、関東にお住まいの方々の反応に驚いています。 (2009.02.06 01:41:21)
龍水さん
>志貴皇子と八尾市の志紀は関係があると思いますよ。 >そのあたりのことも、次回に書けたらいいと思います。 え~、そうなのですか。 実は夫が結婚するまで、八尾の志紀に住んでいたのです。 お姑さんは2年半前に亡くなるまでそこに住んでおられました。 二俣というところで、奈良へ行く道の分かれ道だったのかしらなどと考えていました。 弓削神社の近くです。 私も八尾では幼稚園の先生をしていたことがあり、なじみ深いところなのです。 結婚するまでは八尾の山本に住んでいました。 次回はとても興味深そうです。 >ところで、レーナマリアさんは豊城入彦命と聞いてピンときますか? >私は全くだったのですが、関東にお住まいの方々の反応に驚いています。 ----- それが、恥ずかしながら全くなのです。( ノД`)シクシク… 豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと)に似てるなくらいのことです。 情けないです。 関東の開拓神さまなのでしょうか。 勉強不足ですみません。m(_ _"m)ペコリ (2009.02.07 12:22:04)
志貴皇子と志紀については、どこにも書かれてはいないのですが
その名前から、関係あると考えた方がいいでしょうね。 異説として、あの弓削道鏡は志貴皇子の息子がったというのもあるそうです。 他に「なるほど」と思った資料があったのですが、 どれだったか忘れてしまい見当たりません(笑) (2009.02.08 09:16:52)
龍水(TATSUMI)さん
>志貴皇子と志紀については、どこにも書かれてはいないのですがその名前から、関係あると考えた方がいいでしょうね。 そうなのです、どこにも書いていないのです。 >異説として、あの弓削道鏡は志貴皇子の息子がったというのもあるそうです。 >他に「なるほど」と思った資料があったのですが、 >どれだったか忘れてしまい見当たりません(笑) ----- それから、以前から気になるのは「刑部」という地名が近くにあるのです。 志紀が志貴の皇子で、刑部が他戸親王(おさべしんのうとか…。 あと、八尾の地名に神宮寺とか楽音寺とか教興寺とか寺の名前が結構あったり、跡部とか千塚とかいうのもあったりします。 弓削の道鏡とか、秦河勝の影がちらついたり、聖徳太子もかかわりがあるのかしらとか…。 pleさん、何かご存知ならぜひ教えて下さい。 なかなか下ノ太子へも行けず、八尾も近すぎて良く知らないのが現実です。 (2009.02.10 22:46:27)
刑部は「忍坂部」とも書くようですね。他所でも見たような気がしますが、弓削氏や跡部氏も物部氏系の氏族のようです。
八尾市には物部の祖、「ニギハヤヒ」や「ウマシマジ」を祀る神社がたくさんあります。 八尾で聖徳太子と言えば大聖勝軍寺ですね。 物部氏との戦いに勝利したことに由来する寺ですが、 私はその近く、25号線沿いにある「物部守屋墓」がオススメの場所です。 日本古来の神を護ろうとした守屋に敬意を表し、全国の神社・宮司から寄進があるようです。 小さな一角ですが、その玉垣には全国各地の神社名が刻まれています。 ある意味、日本一のパワースポットと言えるかも。 (2009.02.11 06:33:26) |