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科長神社 大阪府南河内郡太子町山田3778 ■御祭神 級長津彦命(しなつひこのみこと) 級長津姫命(しなつひめのみこと) 太子町唯一の式内社。 御祭神は風の神。 元は二上山に鎮座していたと伝えられているようです。 付近は古くから「磯長谷(しながだに)」と呼ばれています。 蘇我氏の本拠、石川に近く「磯長谷」は王陵の谷とも称され 蘇我氏と関係が深い天皇などの古墳が集まっています。 「しなが」に「磯」という字が使われているのは謎。 。 。 「金平大明神」と書かれた境内社。 ここに海上交通の神が祀られていることも謎。 磯長谷の「磯」に関係があるのだろうか。 この地は蘇我氏だけでなく、海人族も移住していたのかも知れません。 。 。 境内は広くはありません。 ただしそこそこの本殿があるようですが、見落としました。 なぜここに風の神? 境内ではただただ、そんなことを考えてしまっていました。 近くに小野妹子墓がありますが、やっぱりそれも謎。 。 。 「本殿を見落とす」という、神社ブロガーにあるまじき失態を誤魔化すように 小野妹子墓のご紹介を付け足します。 この地に小野妹子墓がある理由は不明です。 。 。 この小野妹子墓は池坊によって管理されているそうです。 小野妹子が朝夕仏前にお花を供えたことから華道池坊がはじまったからだとか。 しかし華道家元 池坊の管理としては、微妙なお姿と言えなくもないかも。 塚らしきものは崩れ、お供え物も見られません。 しかし小野妹子の命日である毎年6月には、 池坊関係者と科長神社の宮司により「小野妹子墓前祭」が執り行われているそうです。 。 。 上の画像は、小野妹子墓前から富田林市方面を見下ろす眺望です。
この地に小野妹子墓があることも謎なのですが、この場所はいかがなものかと。 王陵の谷を見下ろす位置にあるというのはどうかと思います。 付近にあるのは推古天皇陵、用明天皇陵、聖徳太子墓など。 妹子は当時の官位としては最高位を得ていました。 しかし天皇陵を見下ろす位置は小野妹子の墓としては 少々、畏れ多い場所のような気がします。 小野妹子は近江の出身と言われています。 大津市北部、琵琶湖西岸に小野氏の本拠があったとされ、 小野という地名も残っています。 周辺には小野神社やその境内にある小野篁(おののたかむら)神社、 境外摂社の小野道風神社など小野氏ゆかりの神社が点在しています。 。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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磯城の宮と書いて しきのみやと読みますよね。なんででしょうね~
科とシナノ、長野は河内長野 何か縁が深そうです。 長野県は海の人たち安曇族が沢山入植していますね。 (2024.02.08 07:43:31)
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