氏 神
福井県おおい町名田庄 苅田姫神社 「神道」という宗教は、「八百万の神」と称されるように多神教です。その起源はおそらく「先祖崇拝」であり、様々な氏族の固有の「神」を集めたものが「神道」なのかも知れません。 古事記にある神話も、編纂時の有力な氏族の神や伝承を集めて、それらをひとつの物語にしたのではないかとも思うのです。 様々な氏族や地域の伝承を織り込みながら、 系統立った物語(神話)を作ることによって、狭い土地の中で、国家としてまとまろうとした知恵ではなかったでしょうか。 そこから「和」の精神が生まれたと考えています。「和」は周囲とうまくやる知恵であり、「恨み」を残さない知恵だと思います。 そんな古代からの遺伝子を持つ私たちは、現代でも「和」を重んじ、古代人同様に「和」の乱れの犠牲になった者の怨霊を怖れます。 だから日本人社会から、「根回し」「談合」を一掃することは困難なのでしょう。 話題が「氏神さま」からそれてしまいました。 「氏神」とは読んで字のごとく、もともとは祖先を同じゅうする一族がその氏族の神を祀ったものと言われます。それが次第に、その地域の鎮守としての性格が強くなって行ったのだそうです。 同じような意味で称されるのが「産土神(うぶすなのかみ)」です。 土を産む大地や万物神が、その土地の守護神となり氏神さまと混同されて行ったと言われます。 様々な土地や国から移り住んだ人々もその土地の神を崇拝し、氏神(神社)も土地の守護神として新参者を受け入れて行ったのでしょう。 福井県おおい町 熊野神社 冒頭でも書いたように「八百万の神々」の神道は、その起源が様々な氏族の神の習合であるせいか、とても懐が深い宗教と言えるかも知れません。 明治時代までは「神仏習合」の時代が長く続いていました。安芸の宮島「厳島神社」や宗像大社の御祭神・市杵嶋姫命は弁財天と、出雲大社の大国主命は大黒さま、素盞嗚命は牛頭天王と同一神として奉られてきました。その懐の深さとは、常に新しいものを受け入れて調和する知恵を持ち しかも決してその伝統を失わない安定感でもあります。 2年ほど前から多くの神社を訪れています。 驚くことにそれらの中には、中国本土の神や朝鮮半島の神を合祀した神社も珍しくありません。 京都府南丹市美山町 菅原神社 歴史的に重要な神社や古代から格の高い神社など、現在でも有名な神社もすばらしいです。しかし山間の村や田舎町の「氏神さま」にも、すばらしい神社がたくさんあります。 社格やその規模に関係なく感じる、癒しの空間。 神聖な境内。 心落ち着く鎮守の杜。 隅々まで心を込めて掃き清められた境内には 神聖さが宿ります。 大切にされている境内は、その造りや建造年代に関係なく お社は美しく輝いています。 鎮守の杜の木々たちは、優しく語りかけてきます。 南丹市美山町・道祖神社 大切にされている神社は、神聖な空間を宿しています。 社格、祀られている神、地域、有名無名に関係なく、です。昨年秋のお彼岸に、若狭・小浜でのお墓参りの帰路、 おおい町名田庄(旧名田庄村)や美山町、園部町などの小さな神社を訪ねました。 その多くは社務所に人のいない、田舎の小さな神社でした。どの神社も神聖で清々しく、いい「気」をいただくことが出来ました。 こういった田舎の氏神さまを訪ねると、時々ご祭神はおろか神社名もわからないことがあります。 そんな時は、地元の方などにお聞きします。 神社名はみなさんお答えいただくのですが、 おもしろいことに、ご祭神をご存知でない方が少なくありません。 神社で掃除の奉仕をされていた方でさえ、 「え・・・?いや、知りません」と言われたことがあります。 氏神さまはその土地の鎮守で、「豊作を祈願する神」であり、「子宝の神」であり、「交通の神」である。市杵嶋姫命であろうが、素盞嗚命であろうが、八幡神であろうが、地域の方々にとっては氏神さまは氏神さまなのでしょう。 氏子がご祭神を知らなくても、それでもその地域の氏子さんは信者なのです。 神道はおろか、特定の宗教を持たない私が語るのもナニですが、なんとおおらかな宗教でしょう。