畝傍ををし
畝傍山 高山波 雲根火雄男志等 耳梨與 相諍競伎 神代従 如此尓有良之 古昔母 然尓有許曽 虚蝉毛 嬬乎 相挌良思吉第一巻 0013 香具山は 畝火雄々しと 耳成と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古も しかにあれこそ うつせみも 妻を争ふらしき中大兄皇子 「香久山は 畝傍山が雄々しいと言って 耳成山と争ったそうだ神代でもそうなのだから 今でも妻を争うのです」 大和三山の中で最もどっしりとした山 畝傍山。明日香の甘樫丘から眺める畝傍山が最も麗しいと思っています。遠くに見える二上山の姿が、畝傍を投影したように見えるからです。ちなみに古代史ファン、古典ファンは「にじょうざん」ではなく今でも「ふたかみやま」と呼びます。 橿原神宮 初代天皇の神武天皇が即位した地として伝えられる畝傍には、神武天皇を祀る橿原神宮や神武天皇陵があります。現在の神武天皇陵は広大な陵地で、およそ100mの墳丘部を持つ立派なものですがこれは文久(江戸時代)の修陵以降、「整備」されたもの。4年前に出版された「文久山陵図」を見ると、荒廃していた頃の神武陵は、田圃の中にある小さな塚でした。イメージとしては下の画像のような感じです。 伝・小墾田宮跡(明日香村) 「文久山陵図」は、大阪ですと府立図書館で閲覧することが出来ます。書店で購入することもできますが、35,000円ほどします。古代史ファンには非常に貴重で興味深い本です。 天香久山耳成山 今回の万葉歌は、大和三山を詠った中大兄皇子(なかのおおえのみこ)のちの天智天皇の歌。額田王を巡る中大兄(天智)と大海人(天武)のことを想像します。ところで、冒頭の原文を見るとちょっと疑問に思うことがあります。 天香久山神社 最初の「高山波」を、「香久山は」と読んでいいのでしょうか。大和三山の中で唯一「天」の字を冠する天香久山は天照大神がお隠れになったという「天岩戸」がある山が地上に降りて来たものだという伝承があります。しかし画像でもおわかりだと思いますが、最も山らしくない山で 「高山」 と表記するにはふさわしくない姿です。中大兄皇子のこの歌の「高山」は果たして本当に天香久山のことなのでしょうか。もう少し万葉集についてはお勉強する必要があるようです。万葉散歩No.2 .