私たちも街角でコロナ禍とたたかってきました 恐怖がつくる敵意のスイッチを切れば共同社会は実現する
私たちも街角でコロナ禍とたたかってきました恐怖がつくる敵意のスイッチを切れば共同社会は実現するチエちゃんはおばちゃんになっている大阪の西成でホルモン屋を経営する小学生を主人公にした『じゃりン子チエ』は『漫画アクション』(双葉社)にて1978年から1997年まで約19年間連載された。第26回小学館漫画賞受賞(昭和55年度)。単行本の発行部数は3000万部にものぼる名作漫画。 舞台は違うが、神戸の下町にも少し言葉は悪いが思いやりと助け合いの心で繋がれた人情社会があり、チエちゃんやテツもたくさんいた。神戸のチエちゃんたちはもう大人、阪神・淡路大震災で甚大な被害を受けながらも店と生活を再建し、しぶとく生きてきました。そんな中でのコロナ禍。下町では「安倍総理しっかりせんかい!」という声が飛び交っている。1、私たちも街角でひっそりコロナ禍とたたかってました 「新型コロナウイルス」(Novel coronavirus)が世界中に蔓延し、生死を賭けたたたかいが続く中、日本においても医療従事者、科学者、福祉関係者、それを支える清掃関係者たち、国民のライフラインを守る食品販売・配送関係者などの命がけのたたかいによって、感染の広がりが抑えられ、鎮静化が進められています。 人間の命を守るという共通の目標を成し遂げるために共感し合い、共同する行動が世界中に広がっているようですね。誠に僭越ですが、私たち神戸人権交流協議会も神戸市内の街角でコロナ禍との小さなたたかいを進めてきました。 私たちの組織には民主企業組合という中小企業の団体があります。組合員の多くは地域で小さな商売を続け生きてきた人たちです。コロナ感染の広がりの、夜間外出自粛が始まる中、飲食店を中心に客足が激減し、仕入れ、バイト料、家賃の支払いが困難になりました。◯安倍首相の「緊急事態宣言」は下町の飲食店には「廃業事態宣言」 安倍首相は4月7日から、「緊急事態宣言」発令し、5月6日まで、7都府県から全都道府県に拡大しました。 安倍首相は「全ての都道府県において、不要不急の外出、帰省や旅行など、都道府県をまたいで人が移動することを、まん延防止の観点から、絶対に避けるよう」にと要請した。この要請により最も大きな打撃を受ける飲食店、サービス業等に対する休業補償は自治体に丸投げしました。 民主企業組合の組合員から「緊急事態宣言」は「私らには廃業宣言しろ」に聞こえたという声が寄せられました。一隅を照らす これ則国宝なり (最澄)お金や財宝は国の宝ではなく、家庭や職場など、自分自身が置かれたその場所で、精一杯努力し、明るく光り輝くことのできる人こそ、何物にも変えがたい貴い国の宝であるという意味です。 コロナ禍は医療関係者や福祉関係者、科学者、それを支えた清掃関係者、輸送関係者たちが「一隅を照らす」国宝であることを目の前見せてくれました。とうてい国宝といえるものではありませんが、神戸人権交流協議会も街角でひっそりと、一隅を照らしていました。◯支給手続は下町のおっちゃんおばちゃんには難解すぎた 政府のコロナ経済対策の目玉は、事業主に対する雇用調整助成金、持続化給付金ですが、極めて手続きが難解。説明文を読むだけではよくわかりません。 中でも持続化給付金はすべてインターネットでの申請受けつけ(ネット申請)のみにしているため、スマートホン、パソコンの堪能な人でも難解。それに不慣れの人はお手上げです。 当初、民主企業組合の事務局の電話は朝から鳴りっぱなし、「どないすれば制度うけられるんや?」「スマホ・インターネットなんかわかるかい」「勉強している間(ま)に首つらなあかんわ」など、神戸の下町で長年商売してきたおっちゃん、おばちゃんから怒りの声。まるで『じゃりン子チエ』(はるき悦巳・漫画作品)のチエちゃんがおばちゃんになったような人、テツみたいなおっちゃんも未だ健在だ。 事務局は、親しみを込めて「そういう文句は安倍首相と麻生財務大臣に言え!」と言いながら、制度の内容、申請方法を説明しました。◯ステイホームしなければいけないのに説明会 一度や二度、説明してもわからん人が未だに存在しているのが神戸の下町。でも税理士や司法書士、行政書士に丸投げすれば代行料をとられる。自分でやるしかないが、やりかたがわからへん。腹が立つ、「安倍が目の前におったらどついたる」なんて言う人も。 これは大変!安倍総理が危ない!と、民主企業組合の事務局員は制度の内容、スマホ・ネット申請の方法まで自力で学び、組合員が自力で申請できるようになるための説明会を開催することにしました。 当然ながら相談会場は消毒し、密集しないように予約制をとり、丁寧に説明させていただきました。(中には大変物分かりの悪いチエちゃんやテツもいるので時間がかかったわ....。) すみません。そういうわけで民主企業組合の事務局員は政府・自治体の呼びかけたステイホームが未だにできていません。(相談に来るおっちやん、おばちゃんへの賢者の教え)※我々は耳を二つ持っているのに 口は一つしか持たないのは、より多くのことを聞いて、話す方はより少なくするためなのだ。(説明が終わらんうちにしゃべんなよ!)ゼノン (『ギリシア哲学者列伝』岩波書店)困難の中に、機会がある。(アインシュタイン)コロナ感染の恐怖の中で、世界でも日本でも人間は自利・利他の精神の「実像」を発見した。その自利・利他の「実像」とは、脳が原始神経システムを高等神経選択により制御することにより生まれ出る理性である。日本では阪神・淡路大震災からはじまるボランティア活動の広がりの中で、理性的行動は大きく広がった。チンパンジーやボノボなどの大型類人猿と人間との最も大きな違いは理性といわれている。コロナ禍は飛躍の機会だ。2、阪神・淡路大震災から変質しつつある日本 日本国憲法は実定法として、憲法11条と97条によって人権を「侵すことのできない永久の権利」として規定していますが、日本国憲法を軽視する歴代政権の反映もあって、差別社会日本の現実が悪しき歴史や伝統によって隠蔽され、遅々として改善されてこなかったため、国民が人権の本質を確実に認識するのが困難な状態にありました。 私たちは阪神・淡路大震災を体験することで、人権の本質を確実にとらえる機会を得ました。家屋倒壊の下敷きになり妻と子どもを失った夫は絶望し、避難所の片隅で自分も死にたいと沈み込んでいた時、我に返らせたのはボランティアの一杯の温かい味噌汁であったそうです。こうした話は東日本大震災の被災者支援の時にも多くの人に聞かせていただきました。 「人は思いのこもった味噌汁一杯で生きれる。つながれる」という確信です。 人権の本質を理解することは、理論としてでなく、平和で自由な状態の下で生存できる権利を「確かな実感」とともに一体的にとらえることなのです。理論のない実感は同情となり、実感のない理論は空論となります。人権は実践により鍛えられ、深化することで社会に定着するのです。 阪神・淡路大震災はボランティア元年と言われています。ボランティアとは、自発的に他人・社会に奉仕する人または活動を指し、ボランティア活動の基本理念は、公共性、自発性、先駆性ですが、その真髄を言葉だけでつかむのは困難です。 私たちが25年間にわたり理論・政策的に支援していただいているNPOまちづくり神戸の本多昭一理事長(京都府立大学名誉教授)は、ことあるごとに「被災者の人権課題は現場から学べ」と主張されています。 その内容は、「災害は基本的人権を根底から破壊する。一度破壊された人権のすべてを回復することは困難だが、まだまだ何かできることはある。それを一生懸命考えるために被災地にゆき、砂ぼこりをかぶり、腐敗臭をかぎながら泥をかき、家具を運びだしながら本当に大切な課題を見つけ出せ!」というものです。 コロナ感染拡大の中で私たちが「見つけ出した」のはコロナ経済対策をすぐに理解できず、戸惑っている人がいるということでした。まず私たちが学び、支援が必要な被災者のためにコロナ経済対策が受けられるように教えることだったのです。※われわれは生まれつき利己的で攻撃的である。けれども、成功した文化はどれでも、動物的性向を抑圧し、全体の善と調和のために、利他的に行動することを我々に要求している。ジ―クムント・フロイト(『文化への不満』・人文書院)◯詳しくは当ブログ「被災者の人権課題は現場から学ぼう」(2018年07月18日)を参照ください。憎悪が理性に制御される日(アメリカ)アメリカのミネソタ州ミネアポリスで、白人警察官に膝で首を押さえつけられ黒人男性が死亡した事件を発端に、ほぼ全米で抗議デモが広がったのだ。ひざで首を圧迫し続ける憎悪に満ちた警官の表情に偏見の行きつく先を見た人は多い。一方、デモの制圧を任務とする警察官たちが、片ひざをつき、人種差別反対のポーズをデモ隊に示した。敵対ではなく、共通とする「人種差別反対」を確認したのである。「目には目を」という古い法を守っていたら、世の中の人々はみんな目が見えなくなってしまう。 キング牧師の名言 3、他者の苦悩を理解する共感力が共同の思想を生む ボランティア活動の基礎には、被災者の悲しみや怒り等の思いに対する共感がありますね。たとえば、阪神・淡路大震災、東日本大震災、熊本大震災の時も、報道で現地の状況が伝えられることにより、現地で生活する人々に共感し、何万人、何十万人ものボランティアが駆けつけました。 ボランティア活動の広がりは、個々の活動の内容によって異なりますが、自分自身の生活する社会において起こる社会問題や課題の解決を単に政府や自治体や他者に求めるだけではなく、自分自身が自発的・主体的にその問題を解決していこうという共同の思想を発達させます。 共同の思想は同じ目的のために対等・平等の立場で一緒に考え、行動し、責任を分担することで、協同、協力、提携、連携、協賛、チームワーク、共催、共生に行動を派生させ、やがて平和へとつながるはずです。 阪神・淡路大震災以後の日本のボランティア史は共同の思想を日本に定着させてきました。コロナ禍での芸能人・スポーツマンたちの様々な共同行動を見るとそれが確信できます。 こうした国民の共同行動が緊急事態に適切な対策が打てない政府や官僚の力を補い、日本社会が悲惨な状態に陥るのを食い止めているとは考えられないでしょうか? 一般的にいえばコロナ感染が沈静化すれば安倍政権の支持率は上がるはず、なのに支持率が政権危険水域20%台(『朝日新聞』)に落ちるという異常現象が起こりました。恐らく国民が「政権は無能」「官僚は劣化」状態であることを完全に見透かしてしまったからではないでしょうか。 それでも日本ではデモや暴動が起こらない。それは、幾たびの災害とボランティア活動の体験の中で、不満や怒りを憎悪に変えず、共同行動により解決していくという共同の思想と力が国民の間に確実に根づいてきたからです。 これまで日本の「無能な政権」は敵意と攻撃を煽ることで、支持を得てきました。しかし、不満や怒りを理性の力で制御できる国民が増加すると、共同の思想を核とする政権を待望する力が増大し、これまでにない新しい政権誕生の道を大きく開く可能性があることを認識しておかなければならないようです。 ※暴動の気配もなく、罵る人もすくなく、扇動者も登場しなかった。たとえ登場しても、たれもが乗らなかったろう。人々は、家族を失い、家はなく、途方に暮れつつも、他者をいたわり、避難所でたすけあったりしていた。わずかな救援に対して、全身で感謝している人が圧倒的に多かった。(中略)しかし、神戸のユニークな市民の心は、この百難のなかで、かえって輝きを増したようように思われた。(司馬遼太郎『風塵抄』・中公文庫)◯詳しくは当ブログ「神戸市教員同僚いじめ問題」から考えてみよう -政治と官僚制度の「劣化」の原因-(2019年11月21日)を参照ください。コロナ禍とたたかう人にバラの花を贈ります。父の日発祥の地であるアメリカではバラを贈る風習がある。ソナラ・ドットという女性が、亡き父の墓前に白いバラを供えたことからはじまる。彼女にならって、存命の父には赤いバラ、亡くなった父には白いバラを贈るのが一般的になっている。コロナ禍の中で日常を取り戻そうとしている皆さん、父の日には頑張っているお父さんだけでなく、お母さんに、がんばっている子どもたちに、宅配してくれる人たちに、あなたの好きなみんなに一輪のバラを贈ってみてはどうですか。私たちからも皆さんにバラ(写真ですが)を送ります。※他人のために生きるということは、容易なことである。だれでもみんなしていることだ。エマーソン(アメリカの哲学者・思想家)4、コロナウイルス禍は分断の思想を共同の思想に変える 共同の思想の本質は自利・利他主義にあります。「一人は万人のために、万人は一人のために」という言葉で表されます。脳科学的に言えば、原始神経システムを高等神経選択により制御することです。 新型コロナウイルスは一人の感染が人類全体を危機に陥れるという性質を持っています。それは人間の体内で増殖するだけでなく、変異し、新しい感染を広げるからです。天然痘のように人類がコロナウイルスを完全に死滅させることができない限りたたかいは続いていきます。 脳科学的にも共通の目標を達成するために他者と手を結ぶと、原始神経システムの潜在意識に作用し、敵対的意識が消えることがわかっており、コロナウイルスに勝利するためには、人間が科学の力を信じ、政府を信頼し、世界が協力し合える共同世界を育てるしかないのです。 それに逆行しているのがアメリカトランプ大統領です。新型コロナウイルス発生原因、感染ルートを検証することは世界共通(特に中国)の課題、自らが感染対策を失敗して世界一の感染国になった責任を明確にせず、中国政府とWHOにすべての責任を転嫁するために非難し、資金拠出中止などで圧力をかけるのは常軌を逸していますね。 国内ではミネソタ州ミネアポリスで黒人男性が拘束時に白人警官が首を圧迫して死亡させた事件をめぐり人種差別に抗議するデモのなかに略奪や破壊行為をする集団が存在していることを口実にして、首都ワシントンへの軍の派遣を表明しました。 かつてトランプの片腕といわれた元国防長官マティス氏でさえ、トランプ大統領を批判「彼は米国を団結させずに、分断させようとする初の米大統領だ」 と厳しい批判を浴びせています。さらに、ミシガン州のウィットマー知事は声明で、「大統領の危険な発言は、この政権が憎悪と分断の種をまくことを決意している明確なシグナル」と痛烈に批判しています。 トランプ大統領は常に、原始神経システムによる時代遅れの「我ら対、彼ら」という図式をつくり、敵対する対象に対して、偏見や憎悪を煽り、敵意を増幅させ、攻撃に転化させるという手法をとり続けてきました。人種差別と経済格差が結びついたアメリカ社会では、白人を中心とする富裕層の支持を得るためには分断政策は大統領選挙で支持をえるのは効果的だったようです。 しかし、今回はコロナウイルスの壊滅の共通課題を抱える人類は分断が最も危険な思想であることを認識しはじめ、世界各国で共同による感染克服のたたかいがひろがっているのです。 トランプのような憎悪と敵意を煽り分断する作戦が勝利する時代は終焉を迎えているのです。※文明の発達したこの世界では、原始神経システムによる時代遅れの「我ら対、彼ら」の態度を捨て、高等神経システムの「われらと、われら」を目指さなくてはならない。(『人はなぜ憎むのか』ラッシュ・W・ドージアJr・河出書房新社) ◯詳しくは当ブログ「賢人の言葉から学び、差別を許さない者になろう-なれるかな? 」(2017年07月18日)を参照ください。