部落解放運動とキリスト教が神戸で化学反応を起こした ―鳥飼慶陽牧師夫婦の部落解放運動50年の意義―
部落解放運動とキリスト教が神戸で化学反応を起こした―鳥飼慶陽牧師夫婦の部落解放運動50年の意義―賀川豊彦と私たち―部落問題の解決と番町出合いの家定価2000円+税発行所 公益社団法人部落問題研究所〒606-8691 京都市左京区高野西開34-11TEL 075-721-6108FAX 075-701-2723 神戸における部落解放運動の奇跡ともいえる幸運は鳥飼慶陽さんとその妻偕子さんを得たことでありました。 この二人は日本基督教団の牧師でありながら、労働牧師として、ほとんど同和対策が着手されておらず、部落解放運動の内部に「一般人」を「差別者」とみなす排外主義の暴風が吹き荒れている中、神戸の「旧同和地区」に住み、極めて自然に部落解放運動に参加してきました。 以来50年、ともすれば「被害者意識」に流され情動的に走りがちな運動論に対して理性と知性にもとづく理論と政策を提示し、日本有数の都市型の「大規模同和地区」を数多く抱える神戸市の同和対策を、全国の自治体に先駆けて完了・終結させる支柱となりました。 キリスト教と部落解放運動はなぜ融合できたのか? 最新刊『賀川豊彦と私たち-部落問題の解決と番町出合いの家』の中にその答えはあります。「『部落解放』『人間解放』というこの『解放』という言葉は、わたしたちがひさしく忘れ去っていた『人間の基本語』であった。そして、キリスト者の眼でとらえる人間性の根源的把握とその生き方の探究は、私たちの予期している以上に、部落解放運動に対しても重大な貢献をするであろうことは確実であると思うのである」と、見事に根源的な出合いを実現しているのです。 もし、人間愛を説くキリスト者の多くがこのような立場に立つなら、これまで以上に部落差別の最終的な解決を早めるだけでなく、あらゆる理不尽な差別の解消に画期的な貢献を果たしうるのではないでしょうか。※「出合い」とは、鳥飼さんはこの本の中で「出会い」を「出合い」とした理由を、この「出合い」は日常的にある自分と他人との物理的な出会いを精神的な出合いにまで昇華したもので、悩みをもつ人間同士、その悩みを話し合い、共に解決していく機会と説明している。「新刊出版記念―鳥飼さん50年から学ぶ会」の報告(要旨) 昨年12月15日に兵庫人権交流センター(神戸市長田区)において開催した「『賀川豊彦と私たち―部落問題の解決と番町出合いの家』出版記念―鳥飼慶陽さんの人権・地域住民運動50年から学ぶ会」(以下「鳥飼さん50年から学ぶ会」)の内容を報告させていただき、キリスト教と部落問題の本来あるべき関係について問題提起したいと考えます。 会は安心・しあわせネットワーク神戸人権交流協議会(神戸人権交流協議会)、神戸医療生協番町診療所が共催し、鳥飼さんの50年の長きにわたる人権・地域住民運動の歩みから多くのことを学ぶとても意義ある集会となりました。 司会は森元憲昭神戸人権交流協議会代表幹事が勤め、「鳥飼さんが日本基督教団の牧師として自らの宗教的信念と『部落解放』を見事に結合させて、部落解放運動だけでなく地域の自治・民主主義を育てる運動の柱として貢献されたことは大きい。本日は新刊本の出版記念と合わせて、鳥飼さんの人権・地域住民運動50年から、共に住民運動をやってきた仲間として、その思想と歩みからしっかり学びたいと思います」と挨拶しました。 部落解放運動の本質は宗教の本質に通じていた 兵庫県生活と健康を守る会連合会会長 森口眞良さん 鳥飼さんには感謝し御礼申し上げたい。 私も20代から当地区に関わってきました。鳥飼さんの当地区に対する愛情。差別を何とかしなければならないという強い気持ちをいつも感じてきました。 鳥飼さんが労働牧師となることを決意されて当地区にこられた1966年当時は、6千世帯、2万人が住み、共同便所、共同水道が一般的であった。ゴーリキーの「どん底」を黒沢明が映画にしましたが、映画そのものでした。 こうした中、住む場所は家賃6千円、六畳一間に一家4人暮らし。ゴム工場で働いて食べていく。こういう生活をしながら部落解放運動の理論的な中心として支えていただいた。 この本によれば、鳥飼さんがこうした生活の中で、自覚的につかみ取った言葉がそれが「解放」であると書かれています。「部落およびゴム産業の現状も深い問題意識を呼び覚ましてくれた。ぼくのこれまでの生活の中には欠落していた言葉、それが『解放』であったのだ。旧いわれから、そして形骸化した諸伝統から解放されて、自立した新しいわれ、解放されたわれをつねに探求していくことの悦びを知ったのである」とあります。 鳥飼さんはよくこの時期を振り返り「楽しかった。楽しかった」といつも言います。本当にそうだったんだろうと思います。キリスト教のことは不勉強なので仏教的に言えば鳥飼さんにとって当地区は修行の場、悟りの場であったのであろうと思います。 この本は運動論や宗教の本質をとらえているだけでなく、生きる上での哲学書でもあると思います。※すべての善行は、ついに実を結ばざるをえない、と私は固く信じている。(マハトマ・ガンジー『世界の名著63』中央公論社)鳥飼さんの本は賀川豊彦から現代に届いたメッセージ 元神戸松蔭女子大学教授 池田 清さん 鳥飼さんのこの「賀川豊彦と私たち」から、賀川さんらによって神戸の人の暮らしはどう変革されたかについて述べたいと思います。 一つは賀川さんは、「生活の座」を「宇宙意思」「宇宙の目的」から常に受け取り直すことを意欲し、貧困・病気・戦争といった「宇宙悪」の問題の解決にむけて生き抜いた。 二つは消費組合運動・労働組合運動・農民組合運動・水平社運動なども私的利権や暴力的行為などに押し流されない、厳しくこれを乗り越えていく道を歩み続けた。 三つは超高齢化社会における社会福祉の担い手は、住民自身の自発的・自覚的パワーにある。「地域の再生」を実現していくためには、「出合いと友愛・協同」という関係を足元の「生活の場所」のところで構築するための地道な努力が欠かせません。この本は賀川さんの足跡から大切なヒントを汲み取る必要性を提起しています。 中村哲さんの「武器ではなく命の水を」。教皇フランシスコ「軍備均衡(核抑止力、恐怖と相互不信を土台とした偽りの確かさの上に平和と安全を築く)が平和の条件であるという理解を、真の平和は相互の理解の上にしか構築できないという原則に置き換える必要があります」。 宮沢賢治は「世界が全体幸福にならないうちは個人の幸福はありえない。自我の意識は個人から集団、社会宇宙と次第に進化する。この方向は古い聖者の踏みまた教えた道ではないか。新たな時代は世界が一つの意識になり生物となる方向にある」と言っています。 賀川さんが活躍した時代は、弱肉強食の大国主義・植民地主義、グローバル化・市場主義化の時代でした。そしてファシズムと戦争の時代でした。これを必死で食い止めようとしたのが賀川さんでした。 今何が求められているのか。鳥飼さんは地域を再生するために、出合いと友愛・協同を生活の場所から取組むことが求められていると言われています。これは賀川さんが言いたいことを現代的な言葉で表現されたものであると思います。 とても感動を覚えました。どうもありがとうございました。次の本では夫人の鳥飼偕子さんの功績を明確にすべき 神戸外国語大学名誉教授 大塚 秀之さん 鳥飼さんとの関係をお話しさせていただきますと私は1940年生まれで、同じ生まれなんですね。鳥飼さんは鳥取、私は群馬の生まれで1967年に神戸外大に就職。同じ時期に神戸に来たということです。 外大が「差別落書事件」で大変混乱していた時代に、「差別落書事件問題」について兵庫部落問題研究所の鳥飼さんから月刊誌に原稿依頼があって、これが最初の出会いです。それ以後、皆さんと会えて一緒に運動できたことは大変良かったと思います。 私のアメリカ研究の中心は黒人差別の問題なんですね。性格の違う差別問題ですが、研究する上で、部落問題・部落解放運動に理論面でお世話になることで、黒人差別についてもすっきりさせることができました。 そういう意味で鳥飼さんとは長い付き合いになっています。そうした視点から一言いわせていただければ、この本の書名は少しおかしいと思います。『私たち』と言いながら奥さんの姿が全然出てこないのですね。 あとがきのところで「番町出合いの家の小さな実験は夫婦二人三脚の歩調が整わなければ一歩も進むものではありませんでした」とやっと出てきます。これはちょっと不公平ではないかと思います。 こんどは「私たち夫婦の部落問題の解決と番町出合いの家」という本を出されたらと思います。※人間はすべて平等に創造されていること。創造主から他にゆずることのできない諸権利を与えられていること。それらのなかには生命、自由、幸福の追求の権利があること。(『アメリカ独立宣言』より) 悩みを持つ人間の出合いの場所に僕はいました鳥飼慶陽牧師からのお礼のあいさつ このような晴れやかな席は苦手なので極力避けてきましたが、この本の出版が最後だと考え、さらに、仲間たちがやってあげようというので断り切れませんでした。でもいい機会をつくっていただき心から感謝いたします。 僕の信条は「出合い」(「人間」は「人間」として「出合う」)であり、日常的にある自分と他人との物理的な出会いを精神的な出合いにまで昇華したもので、悩みをもつ人間同士、その悩みを話し合い、共に解決していく機会のことです。そして、その場所が「出合いの家」なのです。 番町に来て出合った人たち、部落問題を通じて出合った人、宗教に関連してもキリスト教関係者だけでなく日本の禅文化を海外に広くしらしめた仏教学者鈴木大拙の著書から学び、さらに、キリスト教と仏教を重ねあわせてきたような人たちとの交流も続けてきました。先ほど論評をいただいた大塚先生との出合いから外国語大学に講師として招かれ学生の皆さんに話をさせていただく機会をいただいたことも大変嬉しかったことを憶えています。 私は小学校の先生になりたかったのですがどうしてか牧師になった。そして、労働牧師という道を歩み始める中、それが楽しいと感じる自分がいました。恐らくは小学校の先生は楽しいだろうなという思いと牧師という生業は通じるものがあるのかもしれません。そういえば賀川さんも大変子どもが好きでした。 今日はありがとうございました。※(復活論争に関わって)地上にきたイエスが現在殺されたままで、ちゃんと生きたままで、我々の助けになっているということです。そして今、イエスとしてきた、その生命の根本・源は、キリストはここにあって、生きているということです。そういうことは、単純に事実なのです。(『聖書入門』滝沢克己・三一書房) 牧師夫婦・一粒の麦の清々しさ最後に鳥飼さんの奥様偕子さん(写真左)のことも紹介しておかなければなりませんね。私たちはすぐに「夫人」は「縁の下の力」にしてしまうが、偕子さんもれっきとした日本基督教団の牧師であり、部落解放運動においては全解連時代の兵庫県連婦人部の事務局長として活躍した。その頃もいまも偕子さんが牧師であることを知る人は少ないであろう。誠にいいにくいがこの人は地域の「おばちゃん」に昇華しているのだ。聖書に『一粒の麦もし死なずば』というキリストの言葉(『ヨハネ伝』の第12章24節)がある。麦の種は種であることを自覚していない。しかし、麦の種は地に蒔かれれば未来に実る。偕子さんは現在も地域住民運動、平和・民主運動の先頭に立たれ活躍されている。※仲よきことは美しき哉。(武者小路実篤)