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テーマ:アフリカ生活(205)
カテゴリ:Liberia(リベリア)のこと
今から書く、18年前の日記は、ひとつの区切りになるかも知れません。
長くなりますが、どうか、最後まで読んで欲しいと願います。 ありがとうございます。 24日 なんと言えばいいのか。 今のこの気持ち。 人が人と生きてゆくことが 複雑で 複雑で。 私がここにいることが もっと簡単なような もっと何か違う意味があるような。 ひとつ分かることは みんなそれぞれに いろんな背景を持って その中で、その人なりに一生懸命 時には なまけながら 悩みながら その人の人生を生きている ということ。 その人の人生は その人のものだけど その人だけでできているんじゃなくて いろんな人と関わり合い 助け合い 苦しめあって。 ああ 「人」という字は 本当に支えあって あるいはもたれかかりあって 在るんだなあ と 思う。 この世に 私ひとりなら ずいぶん楽だろう。 だけど 「私」は存在しても「人」としての私は どうなっているんだろう。 どうして こう 悩み苦しみ 涙を流すことがあるんだろう。 どうして 人は 笑い楽しんでばかりじゃないんだろう。 人をはげますって 何? 私は弱い人間です。 支えをもらわなきゃ 生きてゆけない。 私は人の支えになれるんだろうか? 人をはげますって 何? 昨日 4:00pmから 今朝8:00amまでつきあった産婦さん。 14歳。 初めてのお産。 私は 彼女を支えたのだろうか。 あの人と私は 人と人だったのだろか。 私は彼女をつきはなした。 言うことをきかないから。 おびえていたから。 人と人として。 もう リベリア人だから 日本人だからじゃないの。 ただ言葉が通じないことが問題じゃない。 日本でだって つきはなした産婦さんは居た。 人をいつか つきはなす私。 そんな自分を悪いとは思わない。 人と人の 葛藤は あるものだから。 私が どう対応するか それは 誰にも 責められない。 ディアナが、アメリカへ行く。 それは、どんな可能性を、私に与えるんだろう。 フリーシアのこと、ジョージのこと、鍵のこと。(家の管理に関すること) ひとりで抱えきれるだろうか? 神経をすり減らさず、のんびりやってゆけるだろうか? 学校のこと、病院のこと、責任は生命にかかっている。 それは大きい。 Mr.ウイアーに聞こう。 Mrs.デスワに聞こう。 Mrs.ヤンリに聞こう。(リベリア人スタッフ) ディアナは言う、ひとりで部屋で泣いていてはダメだ、と。 そして、今、ひとりで、部屋で泣いている。 この田舎に居る日本人の仲間たち。 私をはげましてくれる人。 でも あまり弱いところを見せては みんなでも支えきれないだろう。 みんな それぞれに 背景を背負っている。 その人 その人にとって それが一番大きく 大切なこと。 みんな 人として悩んでいる。 自分ひとりきりなら 悩まない。 人として 人といるから 悩んでいるんだろう。 人として 生きているから そう 人として 生きているから 人 人 人として 人と出会い 人として 人に迷い 人として 人に傷つき 人として 人と別れて それでも 人しか 愛せない 悩むから人? 苦しむから人? そんな人だから 愛せるのかな? 苦しみのない 世界へ行きたいというのは ? どんな意味があるのかな? ☆☆さんと、●●さんがごはんを作ってる。 ありがとうございました。 途中、唄は海援隊の「人として」です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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