小さな巨人
柔道は、全日本選手権を見て判る通り、元々、体重無差別で競われていました。それが国際化の流れで、レスリングの様に体重別へと変わって行きました。これには賛否両論がありますが、「柔よく剛を制す」を体現するためにも無差別で競う柔道本来の姿を消してしまってはならないとは思いますが、体重別で争う部分もまた、必要だと考えています。対して、論点が違うと指摘されそうではありますが、体重や体格を無差別で争われる競技もたくさんあります。例えば、サッカーです。選手の大型化が進む中で、一際、小さな選手が目立ちます。メッシと言えば、サッカーファンじゃなくたってご存知ですよねそうですサッカーFCバルセロナに所属するアルゼンチン代表のスーパースターです。サッカー専門誌「フランス・フットボール」選定の2009年世界最優秀選手賞「バロンドール」(黄金のボールの意)にも選出されています。彼は、5歳の時には父親がコーチを務めるクラブで本格的にサッカーを始めました。その才能には高い評価が与えられておりアルゼンチンの名門クラブからもオファーがあったと言いますが、成長ホルモンの分泌障害を抱えていたことにより入団には至りませんでした。そんなメッシの13歳の時に転機が訪れます。スペインのクラブチームであるFCバルセロナの入団テストに合格したのです。当時の彼の身長は、成長ホルモンの分泌障害の影響から143cmしかありませんでした。しかし、彼のプレーを見た当時の監督は、小さな身体に驚くべき才能と将来性が感じ取り、迷うことなく合格を決めたと言います。その期待度の高さを示すかの様に、クラブ側は家族揃ってのバルセロナへの移住を条件に治療費を全額負担することを約束したのです。クラブ側の条件を受け入れて、メッシはFCバルセロナへ入団します。入団後のメッシは、その身長の低さを悲観するのではなしに、むしろ武器にすべく取り組みます。その象徴が、彼の代名詞でもある「高速ドリブル」だと言います。身長の大きな選手に比べると、身長が低く歩幅が狭いメッシは、ボールにタッチする回数が多く、結果的にキレのある方向転換が可能なドリブルを手に入れました。合せて、治療し続けた結果、入団時に143cmしかなかった身長も169cmまでに伸びて、フィジカル面の弱点も最小限に抑えるまでになりました。結果、17歳でプロデビューし、17歳10ヶ月7日で当時のクラブ史上最年少ゴールを決めたのです。彼は、難病により夢を諦めかけていた自分にチャンスを与えてくれた、クラブに感謝を表し、決して移籍しないと断言しています。また、自分と同じ境遇の子供達の力になりたい想いから2008年にメッシ財団を設立して、難病と闘う子供達のサポーターとして取り組んでいます。そんなメッシが所属するFCバルセロナが、クラブチーム世界一を決めるFIFAクラブワールドカップにヨーロッパ代表として参戦しています。16日の北中米代表のアトランテとの準決勝では、同点から怪我から復帰したメッシが途中出場して勝ち越し点を奪い、結局、3-1で決勝進出を決めました。19日には、初のタイトルを目指して、母国アルゼンチンのクラブチームであり南米代表のエストゥティアンテスと対戦します。小さな巨人、メッシ選手、頑張れ2008年末には、本人の手による日本語版のオフィシャルブログが開設されました。よろしければ、一日一回、クリック(投票)して下さい→ 少年柔道会員募集 ◆仙台柔友会◆