カテゴリ:世界なんでも紀行
新装開店・ニッポン紀行
晶子と鉄幹のお話、第4話 次々と生まれる子ども、窮迫する生活、自然主義の台頭で鉄幹の主宰する明星は廃刊。 悪化の連鎖は止まらない。 鉄幹の生活は徐々に無為なものになり、夫婦仲は険悪になる さすがの肝っ玉かあさん・晶子も危機感を覚え、鉄幹の詩集「相聞」の出版に尽力し、 また自作自書の「百首屏風」を売って資金調達に奔走、なんと鉄幹をパリへ洋行に出した パリへ洋行~ これぞ絢爛たる晶子の人生を彩った、数々の決断のなかでも際立つものだ 愛の力は不可思議だ。 遠いパリの地で気力と意欲を鉄幹が取り戻している頃、晶子はこんなだんなを思って、 別離の寂しさに苦しんだ。 とうとう晶子は子どもを残して、鉄幹を追い、自らもパリに向かってしまった やはり絢爛に生きる人は違う。まだまだ手のかかる幼児もいた頃である。 直行便でひとっ飛びのころとは違う船旅だ。 今だって女性が1人海外へ、しかも複数の幼児を残して・・・というのは相当な理由がなければ 難しいのではないだろうか 与謝野家の内情には詳しくないが、この洋行は周囲のものを、さぞや振り回したことだろう。 けれどそれだけの決意で向かったパリで、晶子と鉄幹の愛は甦ったのだ アッパレ、絢爛人生 洋行から帰った鉄幹は日本語研究にいそしみ、後世の歌人に影響を与える歌を多数残した。 夫婦はもともと旅に出ることが多かったらしいが、洋行後はさらに繁茂に旅に出た 旅は生活苦から終生抜け出せなかった二人にとっての、貴重な収入源だったからだ 旅先でファンなどが用意した短冊に歌を書き、謝礼を受け取る。 歌を詠む人には旅が必要であった。 夫婦としての最後の旅は伊豆だった。1935年2月26日 伊豆から戻った翌日、寒い雨の中を三浦半島・観音崎へ吟行、他にも無理を重ねて 鉄幹は寝込んだ 鉄幹は肺炎を併発し、翌月あっけなく世を去る 晶子は自身の命が尽きるまで7年に渡って、鉄幹への愛を歌った秀歌を多く残した。 前年の正月に詠んだ鉄幹の歌のとおり、彼への愛に忠実に生きた晶子だった 願わくば 天寿久しく 豊かにて すべて花咲け 我が妻の才 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Oct 5, 2008 07:09:46 PM
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