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Oct 5, 2008
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カテゴリ:世界なんでも紀行
新装開店・ニッポン紀行
晶子と鉄幹のお話、第4話黄ハート黄ハート黄ハート

次々と生まれる子ども、窮迫する生活、自然主義の台頭で鉄幹の主宰する明星は廃刊。
悪化の連鎖は止まらない。
鉄幹の生活は徐々に無為なものになり、夫婦仲は険悪になるどくろ

さすがの肝っ玉かあさん・晶子も危機感を覚え、鉄幹の詩集「相聞」の出版に尽力し、
また自作自書の「百首屏風」を売って資金調達に奔走、なんと鉄幹をパリへ洋行に出した!
船船船船船

パリへ洋行~

これぞ絢爛たる晶子の人生を彩った、数々の決断のなかでも際立つものだきらきら
愛の力は不可思議だ。

遠いパリの地で気力と意欲を鉄幹が取り戻している頃、晶子はこんなだんなを思って、
別離の寂しさに苦しんだ。

とうとう晶子は子どもを残して、鉄幹を追い、自らもパリに向かってしまった船

やはり絢爛に生きる人は違う。まだまだ手のかかる幼児もいた頃である。
直行便でひとっ飛びのころとは違う飛行機船旅だ。

今だって女性が1人海外へ、しかも複数の幼児を残して・・・というのは相当な理由がなければ
難しいのではないだろうかふたご座

与謝野家の内情には詳しくないが、この洋行は周囲のものを、さぞや振り回したことだろう。
けれどそれだけの決意で向かったパリで、晶子と鉄幹の愛は甦ったのだ赤ハート

アッパレ、絢爛人生

洋行から帰った鉄幹は日本語研究にいそしみ、後世の歌人に影響を与える歌を多数残した。
夫婦はもともと旅に出ることが多かったらしいが、洋行後はさらに繁茂に旅に出た卒業式


旅は生活苦から終生抜け出せなかった二人にとっての、貴重な収入源だったからだ賞金
旅先でファンなどが用意した短冊に歌を書き、謝礼を受け取る。
歌を詠む人には旅が必要であった。

夫婦としての最後の旅は伊豆だった。1935年2月26日荒波
伊豆から戻った翌日、寒い雨の中を三浦半島・観音崎へ吟行、他にも無理を重ねて
鉄幹は寝込んだ病院

鉄幹は肺炎を併発し、翌月あっけなく世を去るぱー
晶子は自身の命が尽きるまで7年に渡って、鉄幹への愛を歌った秀歌を多く残した。
前年の正月に詠んだ鉄幹の歌のとおり、彼への愛に忠実に生きた晶子だったダブルハート

願わくば 天寿久しく 豊かにて すべて花咲け 我が妻の才





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Last updated  Oct 5, 2008 07:09:46 PM
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