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テーマ:大日本帝国と其の周辺(580)
カテゴリ:大日本帝国興亡史
RAAの正式発足は1945年8月28日、皇居前広場で「特殊慰安施設協会(後に国際親善協会と改称)設立宣言式が行なわれた。」
指導委員会は内務省・外務省・大蔵省・運輸省・東京都・警視庁等の各関係機関をもって組織す。 ・趣意書(全文) 畏くも聖断を拝し、茲に連合軍の進駐を見るに至りました。1億の純血を護り以て国体護持の大精神に則り、先に当局の命令をうけ東京料理飲食業組合、東京待合業組合連合会、東京接待業組合連合会、全国芸妓屋同盟会東京支部連合会、東京都貸座敷組合、東京慰安所連合会、東京練技場組合連盟の所属員を以て特殊慰安施設協会を構成致し、関東地区駐屯部隊将士の慰安施設を完備するため計画を進めて参りました。本協会を通じて彼我両国民の意志の疎通を図り、併せて国民外交の円滑なる発展に寄与致しますと共に平和世界建設の一助ともなれば本協会の本懐とするところであります。 本協会は右の趣旨に基き、直に運営を開始致します所存で御座居ます故、何卒御賛同の上大いに御出資を賜り、如上の使命達成に万全の御支援を御願い致します。 昭和20年9月 特殊慰安施設協会 ── ○「新版 みんなは知らない 国家売春命令」よりの抜粋・纏め ◇女体一本槍作戦決まる(RAAのスタート) ・RAAの準備段階に於いての警視庁保安課に対しての提案(1945年10月20日) 1.まず女を集める。この女たちによって、進駐軍将校の慰安を第一にっせること。 2.新施設とともに、現存の各遊郭もそのまま利用する。 3.そのほか待合・貸座敷など接客婦のいる場所を利用すること。 ・捕捉 A:新設の施設には現存施設からも接客婦を供給するが、当然それだけの人数では足りないと思われるから、必要な人員を東京や近在から集めたいが許してもらえるか B:当分の間、日本人の慰安利用は遠慮願いたいが、どうか 警視庁の坂信弥総監は「よかろう、存分にやらせなさい」 ◇「池田勇人主税局長(のちの首相)」の一声 ・RAAの役員 理事長:宮沢浜治郎、副理事長:大竹広吉と野本源冶郎、常務理事:秋本平十郎、以下東京料飲組合の幹部がズラリと役員に名をつらねる。 ・日本政府による5千万円の貸付金の保証 内務省から大蔵省を通じて日本勧業銀行が貸付ける形式をとった。(5千万円を限度に、業者の振出す手形を勧銀が割引く方法で話がまとまった) このとき大蔵省側の中心人物が池田勇人主税局長 5千万円の貸付担保には、RAAを構成する7団体(芸者屋・待合・貸座敷・接待所・慰安所・遊戯所)の組合員の特殊預金(戦時火災保険金を凍結されたもの)の証書をあてた。 ・運営資金 当初は宮沢氏のポケットマネー20万円。 第一回:3千万円が9月6日に貸出しされた。 第二回:3百万円が翌年1946年1月10日、以後はストップ。 ── 〓勝手に独断と偏見〓 「指導委員会は内務省・外務省・大蔵省・運輸省・東京都・警視庁等の各関係機関をもって組織す」 RAAの様な組織には表向き関係したくない思うが、当時は利権があるのか敗戦責任を感じているのか、行政機関がそれなりに関係している。 RAAの慰安婦は公務員では駄目なのか、戦時中の慰安婦で海外等の戦争が行なわれた地域で亡くなられた人たちは靖国神社に奉られたのだろうか。 貸出しは1946年1月10日でストップした、GHQは日本勧業銀行の監査を行いRAAへの貸出しを不良貸付けとし不正追求。 大蔵省は「ごもっともであるが、実はこれはあなた方の将兵を慰安するという特殊目的から、例外扱いとして貸付けているのだ」。 GHQは「その配慮はまったく無用。今後は一切このような特別貸付けは停止すべきである」 米10kg:1938は2円80銭、1950は990円のインフレが進行。 ・新円切替は1946年2月16日夕刻に幣原内閣が発表した戦後インフレーション対策として行われた金融緊急措置令をはじめとする新紙幣(新円)の発行、それに伴う従来の紙幣流通の停止などに伴う通貨切替政策に対する総称である。 発表翌日の17日より預金封鎖し、従来の紙幣(旧円)は強制的に銀行へ預金させる一方で、1946年3月3日付けで旧円の市場流通の差し止め、一世帯月の引き出し額を500円以内に制限させる等の金融制限策を実施した。これらの措置には、インフレ抑制(通貨供給量の制限)とともに、財産税法制定・施行のための、資産差し押さえ・資産把握の狙いもあった。 ─「新円切替/ウィキペディア」より抜粋 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014.11.09 07:53:59
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