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カテゴリ:家族
秋の自己洞察期間(?)の中で,今までに自分の人生を振り返り,「自分を主張する」ことをどれだけやってきたか,あらためて気付きました。
心のどこかには,「自分はあまり自己主張をしないイイ子」だと思いたい自分もいるんですが,実はそんなことはなかったんだな~と。 小さいころ,遊んでいたおもちゃの音がうるさいと母から何度か怒られました。 しかし,それでも言うことを聞かず,遊び続けていると,「そんなに言うことを聞かないなら,このおもちゃは捨てるからね!」(実際は山形弁「ほだいわがんねなら,こいず捨てっがらはな!」)と言われ,おもちゃを取り上げられてしまいました。 そして,「裏の用水路に捨ててきた。(裏の川さなげできたがらな。)」と母から報告を受けました。 「そんなことで怒られること」「そんなことで,おもちゃを取り上げられること」「そんなことでおもちゃを川に流して捨ててしまうこと」様々なことに納得のいかない私。 「じゃあ,見てくる!(どれ,んだら見でくっがらな!)」と言って,裏の勝手口に行ってみると,そのおもちゃは,用水路の脇に置いてありました。 そこで私が取った行動は? おもちゃを自分の手で用水路に投げ捨てたんです 今になってみると笑い話ですが,思えば,自分の主張と,反発心がそんな行動をとらせたんだと思います。 もちろん,お気に入りのおもちゃが無くなるという,痛い思いもしましたが,そのときの自分には,もっと大事な主張があり,それを分かってもらえないことに対する反発心が芽生え,そっちの自分を表現する方を優先したということです。 その後の人生でも,やっぱり納得がいかないことがあると,その想いを主張することは,事あるごとにやってきたと思います。 自分なりに。 主張を受け入れてもらえたことも,もらえなかったことも。 うまくいったことも,騒動になったことも。 いろんな想いを体験してきたことは間違いないですね。 うちの三男は,家では小さな主張をするものの,外では自己主張することは稀で,反発することよりも,調和を保つことの方が多い子です。 そんな彼も今17歳になり,少しずつ自分の主張をするようになってきました。 今までの高校生活で,その学校の指導方針には違和感を感じていたようです(話を聞く限り,まあ,そう感じてもしょうがないだろうというような,指導という名の押しつけがあったようです。)。 えっ!そこは幼稚園なの?と突っ込みたくなるような話が耳に入る度に,親としても切ない思いになることもしばしばでした。 年中頭髪検査や服装検査を行い,違反していると反省文提出。 体育の授業で,夏なのに長袖の体育着を着ていたからと,罰としてグラウンド10周&腕立て。 何度も続くと反省文提出・・・・・ それでも自分が選んだ学校だからと,それに従い,卒業まであと数カ月というところで,彼の我慢も限界に達したようです。 先日の頭髪検査で,髪を切って行ったにもかかわらず違反と判定され,髪を切ってくることと,反省文の提出を求められたことによって,彼の反発心に火が付きました。 先生と生徒の信頼関係が全くないまま,校則だからこうしろ!決まってることだからやれ!と理不尽な指導という名の強制処分が行われるのは教育ではない! 先生によって言ってることがまちまちでおかしい! 生徒の声を聞こうという態度が先生から感じられない! そんな主張を彼はしています。 ルールを守ることの大切さなんて百も承知。 だけど,そことは別の想いがある。 それを分かり合っていくためには,自分を主張することもとても大事です。 世の中は,未熟で,完璧ではない人達の集まりです。 だからこそ,分かり合うために主張し合う,想いを伝え合う,分かり合うことが大事なんだと思います。 彼の中で何かスイッチが入ったのを感じます。 反発し,散髪も反省文の提出も拒否している三男。 今度は,「親を学校に呼び出す!」と・・・ それに応じなければ出席停止だ!と・・・ というわけで,今から学校に行ってきます。 彼の主張をしっかり聞いてきたいと思います。 人はきっと分かり合えるということを信じて。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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