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カテゴリ:家族
昨日,三男の学校に行ってくるというブログを書いたので,そのご報告を。
形としては,生徒指導ということで,先生たちは何とか説得して髪を切り,反省文を書かせることで,事の鎮静化を図ろうとしていることは行く前から分かっていました。 しかし,三男の想いはもうそこにはなく,先生たちとの対話は,ある意味平行線。 彼が主張していることは, 意味不明な校則,理不尽な取り締まりに対する疑問 反省文を書けばうやむや,というやり方のおかしさ そんな疑問に対して,納得できる話をしてくれる先生がいなかった 先生一人ひとりが言っていることが違うことに対する不信感 を言っているものの,実のところは, そんな疑問や,不信感をもっていたにもかかわらず,それを誤魔化して,上手く振る舞っていた自分に対する反省 ということだったようです。 そして,そうやって自分を誤魔化すことをせずに,自分の人生に責任を持って生きていくことの決意表明でもあったみたいです。 ただ,先生たちには,これが理解できない。 規則の大切さや,それに従う(上手く誤魔化す)ことのメリットについて説こうと必死です。 それでも,臆さず必死に想いを伝えようとする,三男の頼もしさを感じました。 これなら,きっとどこでも生きていける。そう確信します。 私がそこで感じたのは,彼は3年間先生を信じようと必死だったんだなということと,この学校には,不幸なことにそれに応えられるだけの器を持った先生がいなかったんだなということ。 校則云々よりも,先生として尊敬できる人間がいなかった。 それが彼を失望させ,しかし,それによって彼は本当に大切なことに気付き,前に進むことを決めたんだということ。 「結局この出来事の本質は,この1人の生徒と,先生たちの誰もが信頼関係を創ることができなかったということですよ。」 と私が先生に言うと,先生はガクッとうなだれました。 「・・・・やっぱりそういうことですか・・・・。薄々は分かっていましたが,それを言われるのが怖かったんです・・・」 そこからは,先生の本音もポロポロ出始め,理想と現実の狭間で葛藤する熱血先生の姿の一端も垣間見ることができました。 この出来事で何かに気付いて,そして変えていくことができたら,先生たちにとっても,これから彼らと関わる生徒たちにも,きっといい影響があると信じています。 型にはまった話のさらに奥にある,本音ってやっぱり大事です。 学校を中退することを決心した三男の決意は変わらないと思います。 でも,この出来事で先生たちの本音に触れ,分かり合える瞬間を体験できたことは,うれしいことです。 そして,自分の人生を真剣に考えて歩き始めた三男のこれからにワクワクした気持ちになります。 平たんな道のりじゃない。 そんなの百も承知だよ。 それでも,自分を信じて生きていく。 そう思える我が子を誇らしく思います。 人生なんて,どんな道を歩いたって平坦なところなんてない。 だったら,自分に正直に生きるのが一番楽しいはず。 私はそう信じています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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