テーマ:大東亜戦争(216)
カテゴリ:歴史 傳統 文化
大東亜戦争特集、本日は「骨抜きにされた日本人」より、東大法学部教授、川島武宜。業務多忙のため引用のみ。 《川島は敗戦直後の昭和二十一年六月号の『中央公論』に、「日本社会の家族構成」という論文を書いている。これは比較的短いが、彼が日本の家族制度や社会に対してどのような考えを持っていたかをしる上で非常に便利な文章である。それは戦前の家族制度についての手厳しい批判であり、初期占領政策のキータームであった「民主化」に歩調を合わせて唱えられたものであったことは、論文冒頭の次の一節を見ればわかる。 「現在われわれ国民に課せられているもっとも大きな課題は、いうまでもなく、わが国の『民主化』ということであるが、そのことは、われわれの生活の経済的社会的政治的文化的な各領域における深刻な改革・革命なしには行われえない。そうして、それがためには、われわれの生活のあらゆる領域における仮借なき反省批判が行われねばならぬ。家族制度ももとよりその例にもれるものではない。いな、それは、永くわれわれの生活の根幹をなしてきた。民主主義革命は、この民族の絶対的信仰の対象であった家族制度をみのがすことはありえないし、またこれをみのがしては達成されえない」》 《このように川島によれば、日本の伝続的家族制度、とくに第一の儒教的原理に基づく家族制度は、たんに家族という小さな象団を越えて、全社会的な構成原理となっており、日本社会の問題点もそこに発することになる。親分子分関係や兄弟分関係に典型的に現れているような、擬制的家父長的な封建的家族関係は、企業一家的な労使関係から地主小作関係に至る社会的関係を貫き、その頂点に家父長制国家における政府と臣民の関係を構成するに至っている、という。したがって彼のいう家族制度の改革は、日本社会全体にわたる革命的な変革を要求するものとなるのであって、同じことを狙っていた初期占領政策と見事に歩調の合った主張となるのである》 《彼が理想的な家族のあり方として頭の中で思い描いていた「近代的家族」が、はたして「前近代的家族」を断罪できるほどに立派なものだったか否かを考えてみることは、今日ではそれほど困難なことではない。近代家族は、それ自体いくつかの不安定要素を内包している。 第一に、前近代的家族が生産機能、教育機能、宗教的機能、娯楽機能などの多面的な機能を営んでいたのに対し、近代的家族は、これらの機能を次々と縮小し、喪失してきた。家族成員は、失ったこれらの機能を家庭外で求めようとする。その結果、家族成員の結合が弱くなる。家族の何人かは、食事と睡眠以外は、ほとんど家にいないことも稀ではない。父親のなかには、夜遅く帰って寝るだけという者も少なくない。この場合の家庭は、簡易ホテルでしかないのである。 第二に、近代家族とは、川島が期待したように家族成員の「個人主義化」の進行を意味するのであるが、その結果、夫と妻、親と子、それぞれが異なった生活意識や社会的関心をもち、家庭に対する違ったイメージをもつようになって、家族の連帯意識が希薄となり、家庭内で衝突することも多くなる。 第三に、近代家族は、「両性の合意のみ」で結ばれた結婚を成立条件とするが、異質な社会文化的背景をもった男女が、二人の個人的責任において結ばれることが多いだけに、いったん不仲となったときには、仲をとりもつ第三者がいないままに、簡単に離婚に走ることが多くなる。「合意のみ」によって成立した結婚は、当然のことながら「合意のみ」によって気軽に破局を迎えることとなるわけだ。その場合、当事者の心の傷というような問題はさておくとしても、「合意」によって親を選ぶことができない子供が、最大の被害者となることはまず間違いない。 川島の好きな個人主義的な「近代家族」は、「合意のみ」で結ばれる結婚の、このようなもろさについて考えた気配がない。近代的であることは合理的なことであり、合理的に下された判断は悪いはずがないというのが、これらの近代主義者が暗黙のうちに前提としている「公理」なのであるが、家族という基盤社会は人類史とともに古いものであって、合理主義や近代主義という近々数百年のうちに有力となったインテリ向きのイデオロギーの枠内にうまく収まり切ってくれるはずがないのである。 親子の絆は理性以前の、人間生命の根元的なところで結び合わされたものである。「近代家族」などという空中楼閣の概念を持ち出してみても、家族にかかわる問題がすべて理性的に解決されるというようなことは、あろうはずがないということぐらいは、正常に成熟した大人ならば誰でもわかることである。不倫や浮気がもたらすゴタゴタも前近代の専売特許ではないのだ》 《 前近代家族の周囲には、同族や親類、近隣といった血縁的ないし地縁的なつながりがあって、ときには干渉を加えるが、困ったときには助け合い、問題解決に親身に協力するということがあった。ところが、そのような絆を切り離した近代家族は、当事者のみで問題を処理しなければならないという重荷を、小さな核家族に負わせることになった。父親、母親のいずれかに病気などの事故が起きれば、家族全体がたちまち生活の基盤を揺すぶられ、日常生活に支障を来すという、脆弱性を抱えるものとなったのである》 骨抜きにされた日本人 岡本幸治著 PHP研究所
国連占領軍による日本人洗脳工作関連書籍 平成十七年 八月二十日 神楽坂はん子「見ないで頂戴お月様」を聴きながら お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年08月23日 22時29分09秒
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