テーマ:大東亜戦争(216)
カテゴリ:國防 軍事
ハミルトン・フィッシュ「日米・開戦の悲劇」の監訳者まえがきを紹介したついでに、ロバート・スティネットの「真珠湾の真実」まえがきも紹介しておく。 「ルーズベルト陰謀説」を唱える有名な本だが、反論も多く、現在ではルーズベルトは真珠湾という場所までは特定出来ていなかったという見方の方が強い。 まえがき 一九四一年十二月七日に生起した、日本の真珠湾攻撃に至るまでの経緯と決定事項に関しこれまでさまざまに語られてきた多くの事項に対して、本書は疑問を投げかけ、主張を異にするものである。著者である私の唯一の目的は、海軍基地及び周辺の陸軍施設に破壊的攻撃をもたらすに至った出来事の真相を明らかにし、それがフランクリン・ルーズベルト大統領とその軍事・政治顧問である側近高官の多くの者にとっては、決して「奇襲」ではなかった事実を伝えることにある。 太平洋戦争を経験した退役軍人の一人として、五十年以上もの間、アメリカ国民に隠蔽され続けた秘密を発見するにつれて、私は憤激を覚えるのである。しかし私は、ルーズベルト大統領が直面した苦悶のジレンマも理解した。自由を守る戦いに参加するため、孤立主義に陥っているアメリカを説得するに、彼は回りくどい手段を発見するほかなかった。そのためには人命を犠牲にするだろうことを彼は承知していたが、それが何人になるかは知ることができなかった。 アメリカ国民は、第一次世界大戦において「世界を民主主義のために安全」ならしめんとする米国の理想が失敗したことに、幻滅を感じていた。アメリカ国民の多くは、再び起こる戦争の恐怖から若者たちを守るため孤立主義を唱え、ルーズベルト大統領が息子たちを「外国の戦争には」送らないだろうと信じていた。 しかし、アメリカ国民は自国に対する明らかな武力行為には反撃するだろうと、ルーズベルトは考えていた。そこで、ルーズベルトが側近たちと示し合わせて下した決定は、一連の行動を通じて日本を明らかな戦争行為、つまり真珠湾攻撃へと挑発することであった。 十七年間にわたる公文書の調査及び米海軍暗号解読者たちとの直接インタビューの過程で著者が発見したとおり、ルーズベルトのジレンマを解決した答えは、情報の自由法に基づく請求により入手した途方もない数の文書の中に記録されている。それらの文書には、アメリカを戦争に介入させ真珠湾及び太平洋地域の諸部隊を戦闘に叩き込むべく、明らかな戦闘行為を誘発するために計画、実施された、権謀術数の限りを尽くした措置が記述されている。日本を挑発するために、ルーズベルトには八つの手段が提案された。 彼はこれらの手段を検討し、すぐに実行に移した。第八項目の手段が実行されると、日本は反応してきた。一九四一年十一月二十七日及び二十八日、米軍司令官たちは、次の命令を受け取った。「合衆国は、日本が先に明らかな戦争行為に訴えることを望んでいる」と。 ヘンリー.スチムソン陸軍長官によれば、これはルーズベルト大統領から直接出された命令であるという。 一九四一年十二月七日の出来事を、アメリカが事前に知っていたか否かについては、議論が絶えない。戦争を匂わす日本の外交電報が傍受解読されていたことは、われわれはずっと以前から承知している。しかし、私が発見したことは、われわれはそれ以上に多くのことを承知していたということである。われわれは戦争挑発手段を実施したばかりでなく、日本海軍の電報をも傍受解読していたのだ。 日本の攻撃を挑発することにより、太平洋艦隊及び太平洋地域の市民たちを含む米軍部隊が大きなリスクに曝され、危険な状態に直面することになるという、身の毛もよだつ事実を、ルーズベルトは受け入れたのである。ハワイの米軍指揮官、ハズバンド・キンメル海軍大将とウォルター・ショート陸軍中将には、ルーズベルトの政策の中に含まれるリスクに対して彼らをより警戒させることになったかもしれない秘密軍事情報は提供されなかったにせよ、彼らは「合衆国は、日本が先に明らかな戦争行為に訴えることを望んでいる」という大統領命令に従った。二十万通以上の文書とインタビューにより、著者はこの結論に到達したのである。著者は、この物語の発表を可能ならしめたことにつき、情報の自由法及び同法律の起案者である故ジョン・モス下院議員(民主党、カルフォルニア州)に感謝している。 確かに苦痛に満ちていたけれども、ルーズベルトの下した決定は──われわれのすべてが大事にしている自由を脅かしていた──枢軸国に対して連合軍を最終勝利に導くために、戦略的に計算しつくされたものであった。戦争挑発諸政策を作成した幕僚たちは、政策に含まれるリスクは承知しておりながら、それらを忠実に推し進めた。真珠湾攻撃に至るまでの一年間、ルーズベルトの心に、どんな思いが去来したかを完全に理解するよりも、あれから半世紀が経過した現在、この政策について批判を加えることの方が、よりたやすいことが、著者には気がかりである。それにもかかわらず、歴史を振り返ればさまざまな疑問が浮かんできて、判断を下すことになる。歴史家は知りうる事から研究を進めて、人間の行動と考えとについて、できうるかざり文書に残さなければならない。著者が研究調査の成果を発表するのは、そうした思いからである。 平成十七年 十二月十一日 キャロル・キング「空が落ちてくる」を聴きながら コメント・トラックバックは予告無しに削除する場合があります。あらかじめご了承下さい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年12月11日 12時40分18秒
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