テーマ:皇室 二(50)
カテゴリ:歴史 傳統 文化
今日は旧暦十二月二十五日。師走、蕗の花咲く。 「日本、急所の一手!」で述べられているように、皇室典範に関する有識者会議の座長と副座長が共産党の息が掛かった人間であるとすると、彼等の提出した報告書は「将来にわたり皇位継承を安定的に維持するため」ではなく「将来、《天皇制》を廃止する為」の布石であると解釈するべきであろう。 このたびの「女系天皇問題」に関して政府に言いたい事のある方は左記より。 【正論】明治大学教授・入江隆則 正統性なき皇位ほど脆いものなし 世界の王朝崩壊が示す歴史の必然 《「有識者」の傲岸さに絶句》 「元旦や一系の天子富士の山」。これは誰も知る通り、内藤鳴雪の名句である。規則正しくめぐってくる新年、二千年間揺るぎなく続いた万世一系の天皇、それに日本を象徴する富士山の威容が重ねられて、三幅対で詠みこまれている。ところが今やその「一系の天子」が崩壊の危機に瀕している。 私は女系天皇はもとより、それに道を開く可能性のある女性天皇の即位にも反対したいと考えている人間の一人である。女系天皇を容認すれば、皇位の継承が安定化すると、「有識者会議」は考えているようだが、それは浅知恵だと私には思われる。 女系天皇が登場すれば、その皇位に正統性がなく、いまの天皇は偽の天皇にすぎないという不安は、日本国民のなかに深く浸透して、心が休まるときはあるまい。報告書では、国民が女系天皇を支持している限り、正統性は揺るがないとしているが、それは考え方が逆である。 皇室に関する目に余る憶測記事が巷にあふれ、誹謗中傷が加えられるようなことがあっても、皇統が原理的に正統であれば、皇位はそれらに抗して存在し続けることができる。しかし原理的な正統性を失った皇位ほど脆いものはない、と知るべきである。不安定な世論の支持はたちまちにして失われ、逃げていってしまう。これは世界の王朝崩壊の歴史がよく示している。 《未来を「設計」する不遜さ》 このプロセスは女系に移る以前の男系女性天皇、具体的に言えば多分愛子天皇の時代から始まるだろう。だから男系女性天皇もできれば避けた方がいいと私は思っている。 同権の「権」は権利の「権」だが、皇統はそうした世俗の権利を超越しているからである。 この伝統はそれを受け継いだ世代が、粛々と次世代に受け継いでゆくことに意味があり、一つの世代にできることは、それだけだという、謙虚な姿勢に立つべきである。 だから皇統に関してわれわれの世代が考えるべきことは、次世代とたかだか次々世代の天皇が伝統に則った形で即位してくださることだけである。それ以上でも、それ以下でもない。たかだか戦後六十年の世論とやらを持ち出して、それで未来を「設計」するなどとは、とんでもないことである。少子化の数字などは、やがて変わるという学説も存在している。 《まだまだ検討の余地あり》 そう考えると女性天皇以外にも、残された選択肢はまだある。 その一つは、男系女性天皇にご即位を願って一世代をしのぎ、その次世代には歴史に先例があったように、傍系であっても男性天皇にご登場を願うことである。 このケースとなった場合、その女性天皇、具体的には愛子天皇のご生涯は、不安と苦難に満ちたものになると予想できる。愛子さまのお相手をどうするかという皇配問題もあるが、それ以上に、ご即位の瞬間から、次世代の天皇に女系を許すかどうかという難題で、日本は国論の分裂状態となり、その不安はご在位中からご退位後も、止まることを知らないだろう。 残るもう一つの選択肢としては、はじめから旧皇族の傍系男性天皇にご登場を願う道があるのだが、なぜか「有識者会議」は、それは国民の理解と支持が得られないと即断している。なぜよく検討もせずに、国民に説明もせずに、そう決め付けるのだろうか。 未来の「設計」ではなくて、一世代の天皇をどうやってしのぐのかという観点から考えれば、まだ検討の余地も説明の時間も十分にあり、皇室に新風を吹き込むという意味で、過去の歴史にいくつかの先例もあり、これはむしろ望ましく楽しい選択だと考えるべきではないだろうか。(いりえ たかのり) 平成十八年 一月二十四日 Parliament "Give Up The Funk" を聴きながら コメント・トラックバックは予告無しに削除する場合があります。あらかじめご了承下さい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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