テーマ:皇室 二(50)
カテゴリ:歴史 傳統 文化
今日は旧暦一月二十四日、下弦の月。睦月、土脉潤い起こる。 本日は「正論」平成十八年二月号、竹田恒泰氏の「旧皇族の直孫が女系天皇問題を語る」から三回目。 現在の皇統断絶問題は男女同権とは何の関係もない。何故かというと問題は「女系を認めるかどうか」に有るのではなく「男系を放棄するかどうか」にあるからだ。 「旧皇族の直孫が女系天皇問題を語る」 旧竹田宮家直孫●竹田恒泰 (続き) ─有識者会議の報告は、それを愛子内親王殿下に期待していることになるわけですね。男女同権を理由に、男系継承を否定しようという声もあります。 竹田 皇室とはすべて合理的なものではなく、非合理なものも含んでおり、同権を持ち込むべきではないと思います。例えば、喪中の挨拶をすること、初日の出を拝むこと、子供の健やかな成長を願う七五三のお祝いなど、現代の発達した科学で根拠を説明できないことはたくさんあるわけです。そうしたものを、合理的に説明できないからと言って切っていっては、日本の文化は失われてしまいます。非合理であっても大切にされてきた慣習をも含んでいるのが、日本の文化や伝統なのです。 皇室についても同じだと思います。皇室は必ずしも合理的なものばかりでなく、非合理なものですら包括したかたちで成り立っているのですから、ただ合理的なのかどうかという視点で制度を触わり、伝統を切り捨ててはいけないというふうに感じます。 ─有識者会議設置は、愛子内親王殿下のご即位を念頭に、帝王学を学ぶ年齢に達して結論を急いだとも言われます。 竹田 帝王学とよばれるものの詳細は存じ上げませんが、皇族とは第一にいざとなったら天皇になるために存在しているんです。「皇統の担保」、つまり皇統の危機に備えた血のスペアとしての存在です。第二に陛下のお側で陛下を支え、お守りするという「天皇の藩塀」としての役割があります。 そもそも帝王学を学ばなくていい皇族がいたとしたら、それはもう皇族ではないわけです。この人には皇位が回ってこないから学ばなくていいなんてことはないんですね。全員学ぶべきだと思います。 ─いまの改正の方向だと、こうした覚悟とは関係なく、女性皇族と結婚した男性が全員、皇族になります。 皇室と日本の末長い弥栄を願って ─国会では三百人を超す超党派議連が勉強会を重ね、二千年以上の伝統を守るために両論併記を求める動きなどが高まっています。その一つとして、離脱した方々がいまおっしゃった皇室の藩塀として皇籍復帰することが将来にわたる安定に繋がるという議論があります。そうしますと、自由な世界を知った上での復帰となりますが、抵抗などはありませんか。 竹田 そうしたことについては、私から申し上げるべきことではないと考えています。ただ確かに、昭和二十二年、五十一人の皇族方にはいろいろな感覚があったようです。これからどうしたらいいのだろうという悲嘆があった半面、やっと自由な市民になれたと喜びを表した方もいらっしゃいます。 例えば、東久邇宮稔彦王は「やっと私の一生の望みが達せられ…」と喜びのエッセーがありますし、私の祖父、恒徳王も「まさに渡りに船といってもよいところ」と喜びを著書に残しています。 ─逆境にあっても失ったものではなく得たものを見ようという姿勢でした。 竹田 確かに、自由を知ってから全く違う世界へ行くのは大変な決意と覚悟が必要です。 けれども、皇統断絶の危機で傍系から即位するというのは六百年、七百年に一度の大事業です。その事の大きさは、個人の喜びとか希望とか夢とか、そんなものは比較にならないほど重大なお役割です。 だからもう、個人の自由が制限されて良いのかどうかと考えている、その時点でいけないと思います。そこまでいきますと、個人をもう超越しています。どんな不自由があって、逆にどんな喜びがあるかと考えること自体がおかしいことだと思います。このように考えたらとても皇族になることはできません。 ─十八年で、皇籍離脱からちょうど六十年です。いまおっしやった皇族という立場に対する理解、お仕えするんだという気持ちを、世代を超えてどうやって家族の中で繋いできたのですか。 竹田 やはり祖父の姿を見て子供時代を過ごしたのが一番大きいと思います。 皇室に対する感覚、礼の尽くし方を祖父が実践し、父もそうでした。 ─例えばどんな場面でしょう。ごく日常だと思いますが、私たちはなかなか拝見することがないので教えていただけませんか。 竹田 そうですね、やはり普通に皇室のお話が出るわけです。年末年始の十日間だけみても、十二月二十三日の天皇誕生日、二十八日の年末のご挨拶、一月一日には新年のご挨拶と、毎年うちから宮中に何人も上がります。お餅をいただいて帰ると、それをみんなで分けて食べながら、陛下がどんなご様子だったのか話を聞きます。実際に皇族方にお目にかかる機会もあります。 ─おそばで。 竹田 ええ、それは─昔うちは高輪プリンスホテル(東京・品川)の所にあったわけです。宮中に賢所があるように、各宮家にもそういう神殿があります。家を建ててそちらに住みましたとき、神殿だけは、さすがに家の中に全部置くことができなくて、神殿の正面ですとか、重要な所を全部移築したんです。父の実家にはそういう神殿がありまして、そこを毎日拝んでいました。 ─毎朝。 竹田 朝、夕、必ず拝んでいましたね。また当然のこととして、そうしたことを手伝いながら育ちました。そういう父や祖父の日常は私にとって非常に印象深く、影響が大きいと思います。 ─民の安寧と幸せをご自宅でお祈りなさっている。 竹田 その通りです。 十一宮家は一緒に悩み、一緒に考えよう ─官邸は結論を急いでいるようにみえます。 竹田 本来は二十年ぐらい前から議論しておくのが良かったと思います。昭和二十年代に皇室典範が改正された時点で五十年か六十年先に行き詰まることは見えていたはずです。ある意味で遅すぎ、ある意味で早すぎます。女系天皇を論じるには、愛子内親王殿下の次代ですから早すぎます。 ─今日に至るまでご家族さまは何とおっしゃっていましたか。 竹田 祖父が亡くなったとき私は高校生でしたが、存命なら私と同じことを言うと思います。 旧皇族は何も言わない。だから出版目的は、読者に「本当にいいの、もう一度考えよう」。そして旧皇族に対して「知らんぶりでいいのか」というメッセージなんです。 (続く) 愛子内親王殿下は男系なので、民間男子との間に設けられた御子様は「女系」ではなく「片系」という事になる。 男 ┌─女…片系女子 ├─┤ ┌─女 └─男…片系男子 │ (神武天皇) 女 │ 女 ┌─女…男系女子 ├─┤ ├─┤ 神倭伊波礼毘古命 ┌男 └─男 └─男…男系男子 │ │ │ │ │ │ ┌─男…双系男子 ├─────┤ ├─┤ │ │ │ └─女…双系女子 │ │ │ 多多良伊須気余理 └女 ┌─女 ┌─女…女系女子 ├─┤ ├─┤ 男 │ 男 └─男…女系男子 │ └─男 ┌─女…片系女子 ├─┤ 女 └─男…片系男子 このたびの「女系天皇問題」に関して政府に言いたい事のある方は左記より。 平成十八年 二月二十一日 相内恵「とんちんかんちん一休さん」を聴きながら コメント・トラックバックは予告無しに削除する場合があります。あらかじめご了承下さい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年01月28日 11時46分49秒
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