テーマ:台湾(37)
カテゴリ:政治 政治史 行政
旧暦五月七日、曾根崎心中初演。皐月、梅の実黄ばむ。 ■ ようやく叶った「東京再訪」 中華航空百便は成田国際空港への着陸体勢に入っていた。先頭座席「1A」の窓から、ひとりの老人が眼下に広がる房総半島を食い入るように眺めている。台湾の李登輝前総統(八十四)。東京再訪は二十二年ぶりだった。 「東京大空襲があった昭和二十年三月十日、私は稲毛(千葉市稲毛区)の陸軍高射学校にいた。日本の幹部候補生は高射砲の操作すらできない。この日ばかりは実戦経験を持つわれわれ(台湾出身者)の天下だった」 李氏は当時を振り返って、「空襲の翌日はいわゆる『戦場処理』をやった。死体を運び、焼け野原となった町を整理した」とも語った。 そして、この体験が生かされたのは半世紀後の台湾中部大地震。死傷者が一万人を超す平成十一年九月の大災害で、現職総統として迅速な初動対応ができたのは、陸軍少尉として東京大空襲で得た経験があったからだという。 「当時は給料が悪く食う物もない。二十歳前後でしょ。腹が減るんだよ。こそこそと外に出ては落花生やメシを買った。そう、敗戦から昭和二十一年までは焼け野原となった新橋(港区)にぽつんと建つ一軒家に住んだ。思い出がいろいろあるなあ」 「二十二歳まで日本人だった」李氏にとって、東京一帯は若 き日の記憶がいっぱい詰まった所だ。そこへの再訪は、厚い政治の壁に阻まれ続けた。そして、やっと実現した。日本招請の立役者、国際教養大学(秋田市)の中嶋嶺雄学長は「当たり前のことを当たり前にできる第一歩だ」と評価する。 投宿先はホテルオークラ(港区)。副総統だった二十二年前の昭和六十年、李氏が中嶋学長と初めて出会った場所だという。李氏が敬愛する「台湾紀行」の著者、故司馬遼太郎の定宿でもあり、警備上の観点からも、当然の選択だったといえる。 李氏は深川(江東区)にある芭蕉記念館から、松尾芭蕉の「奥の細道」をたどる今回の旅の一歩を踏み出した。振り返れば、李氏が公に「奥の細道」を口にしたのは、病気治療のため総統退任後としては初めて来日した平成十三年、滞在先の大阪での散歩途中だった。 中国は、李氏を「独立派の頭目」と見なし、訪日問題で日本 に圧力をかけている。「奥の細道」発言に、それをかわす計算が込められていたとすれば、李氏は七年越しで狙い通り東京立ち寄りの「夢」を果たしたことになる。李氏はそんな積年の思いを、訪れた深川で披露した俳句に託した。 「深川に 芭蕉慕ひ来 夏の夢」 ◇ 台湾の李前総統が五月三十日から十一日間、「奥の細道」ゆかりの地を探訪するなどのため、退任後三度目の訪日をした。より自由な発言が認められた今回の滞在で、李氏が発信したメッセージは何だったか。同行し間近で見た「人間・李登輝」を取材メモから報告する。(長谷川周人) 平成十九年六月十二日 産經新聞 平成十九年 六月廿一日 東海林太郎「遂げよ聖戦」を聴きながら 愛子内親王殿下は男系女子なので、民間男子との間に設けられた御子様は「女系」でも「男系」でもない。 男┌女…雑系女子 ├┤ ┌女└男…雑系男子 男 ┌女…雑系女子 │ ├────┤ (神武天皇) 女│女┌女…男系女子=愛子内親王└男…雑系男子 ├┤├┤ 神倭伊波礼毘古命┌男└男└男…男系男子=悠仁親王 ┌女…男系女子 │ │ │ ├────┤ │ │ │┌男…双系男子 女 └男…男系男子 ├────┤ ├┤ │ │ │└女…双系女子 │ │ │ 多多良伊須気余理└女┌女┌女…女系女子 ├┤├┤ 男│男└男…女系男子 │ └男┌女…雑系女子 ├┤ 女└男…雑系男子 従って今次の皇室典範改正問題の論点は「女系天皇を容認するか否か」ではなく「男系天皇を放棄するか否か」である。 コメント・トラックバックは予告無しに削除する場合があります。あらかじめご了承下さい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年06月24日 21時49分30秒
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