25日の日記
人間の生活には苦厄として、生老病死の四苦があり、仏縁を得てこの苦厄から救われる。これを結縁という。この縁を得ない人は、「縁なき衆生は度し難し」という言葉のように、救われない(度し難しとは救われ難いという意味)。日本では、生きている苦厄は、豊かな生活の為に実感がない。ホームレスの人たちが辛い生活をされていても、別世界の生活と見てしまう人が多いのではないか。病苦や老苦は辛いものであるが、健康な人や若い人はピンと来ない。普通の人は死の苦しみは考えられるとしても、いつも考えているわけではない。そこで、次のようなニュースを見ると、現実に人間生活にいつでも襲ってくるかも知れない生病老死の四苦が、人ごとでなく、改めて認識させられるのである。
中国農村の高齢者の苦しみが数字に 資料:「中国青年報」3.13
中国の60歳以上の農村老人1万人に対する調査が黒龍江省の企業の自費で行なわれた。その結果、45.3%の人は子と分かれて住み、5%の人が3度の食事を守らず、93%の人は1年に衣服を新調せず、67%の人は薬が得られず、86%の人は病気になっても病院にかかれないという結果を得た。
これらの老人の平均の年収は650元(9,500円)で、2005年の全省の従業員の年平均の給料は20957元(30万円)というから、32分の1である。85%の人は自分で畑仕事をし、97%の人は自分で家事をし、8%の人の精神状態は良好で、52%の子は両親に対して、面倒を見ようとする感覚が欠けているとしている。
調査は31省の46県の10401名の60歳以上の老人の老後の現状について、2005年11月初めから12月末まで行われた。老人は大体において、労働能力と生活能力を喪失した後で、衣服や食事に事欠き、貧と病いにさいなまれ、苦しみのなかで晩年を送る。今の中年と青年の農民は両親に、恩を感じ、恩返しをしようとする感情が希薄になっていることを示している。
高齢となって、生きながらの地獄の苦境に生活しなければならない現実がある。これらの人が救われるように祈りたいと感じている。