カテゴリ:歳時記
日曜昼は叔父貴の13回忌。
昭和6年生まれだから、生きていれば今年の3月で80。 これだけは出るという親父を連れて行くのが、朝から大仕事。 夜更かしの親父は、朝が全くダメ。 前日に床屋へ行かせ、香典、着るもの一式と、相談して用意しておくのだが、翌朝は全く覚えていない。(午後になると復活してくる) 7時半にかみさんが食事の世話がてら、声をかけ、予定を話して起床をうながす。 8時に、再度、今度は自分が食事をうながし、予定を話す。 食事と片付け、掃除、洗濯を済ませ9時。気がつくと親父は作業衣に着替え庭に出ている。 おいおい、それじゃあ出かけられない。 声をかけ、急ぎ、支度を促すが、今度は、前日用意の背広でなく略式礼装と言い張る。 「平服で と案内にある」と案内状を示し、説得。 略式礼装でもいいんだが、俺たちがそれやっちゃぁ、平服で来る親戚連中のバツが悪かろう。 かみさんに、最悪、車で送ってくれと依頼。 髭をあたって、親父をみれば、ワイシャツの胸元に汚れ。 昨日、新品を用意したはずが、どこからか、違うのを出して着ている。 「だからさぁ。前日から用意したって意味ねぇんだよな」と言いつつ、新しいワイシャツを探し出し、そちらに着替えてもらう。 「家で使うからいいんだ」という親父をごまかして、汚れたワイシャツは捨ててしまう。 さもないと、再び、このシャツが大事なときに登場するのだ。 10時。スーパーまで買い物に出る。 補充用の香典袋(あとでどうせ無いと言いだすに決まっている)と、食料品。 戻ってみるとかみさんが困った顔。 背広のズボンをはいた親父が、礼服でなければいかんとふたたび言いだし、礼服の上をお召し。 再度、案内状を示し、平服と納得させる。 さぁ、時間との勝負が始まる。 服装が整った親父が、今度は香典を用意していないと言いだす。 前日、仕舞った場所には、案の定香典がない。夜中に起き出して別に移しちゃうんだよなぁ。 「大丈夫、用意してあるから」と、こちらもかねて手配の親父の分と、自分の奴を見せ納得させる。 汗をぬぐい、自分も着替えて11時。 鍵を探す親父の時間をみて、かみさんが車の用意。 「駅まででいい」 自分で切符を買うという親父にやきもきしながら、 なんとか停車中の各駅停車に滑り込む。 電車に乗り込むと、 手前の男二人はたぬき寝入り。 ダメだなぁ。男なら、せめて譲ろうとする気概をみせなければ。 さすがに89歳の老人でありますから、お二人の向こうにお掛けは40手前ぐらいの女性が席を譲ろうとするのを、押しとどめ、二人の前で親父と吊革につかまり、そのまま新宿まで。 さすがに、お二人、バツが悪い。 新宿で降り、タクシーと思ったが、予定の時間まで20分。 十分歩ける。 会場のビルまで二人で歩き、エスカレーターを乗り継ぎ、従弟のつれあいのおふくろさんと、ちょうどエレベーターで行きあい、挨拶を交わしながら最上階へ。 会場へ入り、親戚連中との挨拶、叔父貴の遺影にお参りのあと着席。 そういえば、従弟たちは二人兄弟だが、子供たちはそれぞれ女の子が一人だけ。 妹は外へ嫁いだが、子供はいない。 わが家のご長男だけが男であることに気づいた。 わが家は長子相続でやってきたが、家訓はその部分に言及してはいない。 しかして、天皇家に準ずれば、わが家の跡取りも絶滅の危機に瀕している。 爺さんの(つまり僕のでもある)Y染色体を保存する男子は、息子どのしかおらんのだ。 親父は本家の敷地は相続せず、今は従弟妹連の所有となっている。 従弟の兄貴のほうに、「ウチが口出す立場じゃないが、あの土地は売らんどいてくれないか」と頼む。 とはいえ、いざとなっても、そこを買い取る余裕があるわけではないのだが... まぁいい。それは子供たちの代になっての話しだ。 以前、息子にその話し(従弟家が旧本家の土地を手放す場合は、俺かお前が買わなきゃなるまい)をしたら、内容はともかく主旨は全く理解しとらん。 そりゃそうだ。 俺だって3-4歳までしかいなかった土地に、息子の愛着があるはずもない。 商社勤めの従弟は今年49になる。 「今年は景気よさそうでいいじゃないか」 水を向けると 「僕はIT担当の本社なんで、資源と並んで調子いいんですけど、調子の悪いところの連中には世知辛い時代です。昔は、みんなで利益も損失も分かちあったんですけどねぇ。今は別の会社です」 「海外は出ないの?」 「バンコクって言わましたけど、あとジャカルタですか。うーんって生返事してたら、あんな水害で。そろそろ出番ですね」 「今まで、俺たち一族って、言われたことをそのまま忠実にこなしていくってタイプだったじゃないか」 「まぁ、そうですね」 「この100年は、戦争もあったが、基本的には経済の成長期でそれでよかった。だが、21世紀はその逆でダウンサイジングの100年になる。その中で、俺たちの子供たちの世代は、どう生きるべきか、きちんと自分の頭で考えなきゃいかん」 「津山藩の片田舎から出てきて、どうにか何代かつないできましたけれど、戻る先があるわけじゃありませんからね」 「あっちの墓には入れてもらえまい」 「敷地はあるって言ってますよ」 「子供たちが行くわけもなし。無縁仏になるだけだ」 「ダウンサイジングは厳しいですねぇ。海外行っても競争激化するばかりです。勉強は大事ですけれど、僕ら一族は知識偏重で、これからは、考え方を鍛えなきゃダメですよ。ハウツーじゃなくて、何としてでも生き抜いていくしぶとさ」 「君んとこの女の子に、それ要求できるかい?」 声をひそめて 「かみさんの説得がたいへんでしょう」 「席を改めて、こんど一杯、弟さんも交えてやることにしよう」 「そうしましょう」 盛会のうちに予定を大幅に超過し、急ぐ人が何人かあって、挨拶もそこそこに会はお開き。 「タクシー」と思ったが、珍しく親父は泥酔でなく、駅まで歩き、電車で帰宅。 *** 着替えて、休む間もそこそこ。あとを託し、今度は、かみさんと義父の部屋の掃除に出かける。水道道路から環八へ出ようと言いつつ、突如運転するかみさんが方針変更して、西経堂フレールに入り、経堂5丁目から農大のほうへ抜けることに。 「北満飯店」の前を通りかかり、「ありゃあぺーまんはんてんだ」と言ったら、 「ぺーまんだけじゃなくて飯店も中国語読みになるんじゃない?」 そりゃそうだ。 義父は高齢者住宅の食事にご不満で、わが家から持っていくお重が愉しみ。 にんじん、ごぼう、大根、 こんにゃく、卵豆腐にいくら載せ、春菊にさんま載せ それに、蜂の子 トマトに、柿、りんご、みかんと用意。 (柿、りんご、みかん以外はさして量があるわけではない) 義父を共同浴場に送り出し、掃除。 もどってきたところで、大阪場所の初日を見ながら軽く一杯。 義父は前日、甥(かみさんの従兄)が住職をやっている寺の落慶法要。 「招待されたの」 「あぁ。100万がとこ出さされたからなぁ」 そういうこった。 当然、かみさん実家の菩提寺でもある。 「ありゃあ大変だったんだ。つれあいが死んで住職が居なくなっちまったんで、姉がお経上げてたんだ。だけど葬式は出来ない(正式な僧侶ではない)から、そんときは人頼んでなぁ。ようやく息子を説得して、跡取りにして、落ち着いたんだ」 「地域初のロッカー型納骨堂ってぇんだけど、田舎でもそんなことになってきたんだなぁ」 そこそこ広い境内なのだが、墓地造成の余地は、もはやあまりない。 6時半から食堂で夕食。 「なかなかおいしいじゃないですか」 「今日は特別だ」 部屋に戻り、台所で柿を剥いていると、義父が「柿はどこ行ったかね」 ちゃんと見てたんだ。 柿を差し上げ、引きあげる。 8時前後に帰宅。日本シリーズをちらっと見てたら、そのまま寝入っていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
November 14, 2011 08:17:35 AM
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