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テーマ:政治について(20206)
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「官製談合」の容疑で、全国各地の自治体・首長が次々と逮捕されています。
ここで、一般的なA県の県知事選挙の実態を見てみましょう。 まず、投票率は高くて約40%であり、投票するのは(1)自民党・公明党・共産党関係者(2)労働組合関係者(3)A県の指名入札参加業者の関係者などが主体です。 彼らの特徴は、それぞれの組織の主要業務として「選挙運動(事前運動を含む)」が組み込まれているということです。 特に(1)(2)は「選挙運動」が「全業務」近い状態になっています。 実際の選挙運動(事前運動)は、(1)か(2)、そして(3)が協同して、選挙対策本部を設置して、それぞれの任に当たります。 勿論、個人として候補者を応援し、社会奉仕(に近い)の形で参加し、後援会活動・選挙活動を担ってくれるかたも少なからずおります。 しかし、問題は主力となる(3)です。 (3)の主体は民間会社です。 彼らの「応援」は半端ではありません。 その会社の役員クラスの人間を「選対本部」に常駐させ、課長クラスが第一戦で「外回り」を担当します。 その会社、そしてその系列会社・外注業者、これらの顧客会社がフル稼働して、名簿を提出し、そこを徹底的に「歩き」ます。 この活動が、事前運動を含む選挙運動の主体となります。 この活動によって、多くの人が、候補者の講演会・演説会に動員させられています。 勿論、最終的には、投票に動員させられています。 彼らは個人としてではなく、社長命令で、会社の組織人として応援するのですから、必ず「見返り」を要求します。 当たり前です。 彼らは、指名入札参加業者であり、選挙運動業者でもあるのです。 これが「会社経営という車の両輪」です。 A県の指名入札参加業者は、知事選に複数候補者が出た場合、どちらの候補が当選しても良いように、両方の陣営に参加し「保険」を掛けます。 さて、選挙投票です。 一般の県民は、余程の暇人でもない限り、投票しません。 投票するのは、既述したようにA県と利害をともにする人たちだけです。 当選した候補者は、真っ先に(3)の会社を「挨拶回り」し、 その先々で「お陰さまで、当選しました、ありがとうございました」と言えば、 社長は「おめでとうございます。しっかりとした、県民のための県政をお願いいたします」と返すでしょう。 当選者は、これを次のように受け止めます。 「我が社のお陰で当選したのだから、しっかりと我が社のための県政をしてください」と。 いよいよ、知事になった彼は「ここで(3)に恩返し」をしなければ、「次回の選挙」で負けてしまうと確信します。 つまり、彼は、仮に「請託」がなくても(3)に便宜を図るのは、選挙運動屋として「マーケット戦略」上、「販売拡大策」の重要な業務です。 一方、A県の入札担当部署では、当選した知事の「天の声」を待っています。 地方自治体の卑しい役人は、自分の金を使う訳ではなく、「予算」で確保した「税金」をキッチリ使い切ることが職務ですから、誰に支払しをしようが構いません。 役人にとって、このルールは先輩たちからの申し合わせ、慣例であり、新たなことをやらない、つまり失敗しないことが鉄則ですから「官製談合」が当然のこととして行われます。 彼ら、「選挙運動協同体」に共通しているのは、「官製談合」や「業者組織による談合」では、誰にも迷惑を掛けてはいない、犯罪を犯している意識がない、永年で完成されたシステムだから「バレ」ない、です。 「必要悪だ」と言い切る輩もいます。 さて、ここまで述べてきましたように、選挙で選ばれるのは「知事」ではなく、次の選挙で勝つことしか考えていない「選挙運動屋」です。 この「選挙協同体」は、A県のみならず、あらゆる地方自治体に寄生虫のごとく、生息しています。 「税金食い協同体」とも言えるでしょう。 更には、国会議員段階になりますと、巨大な利権に巣食う「選挙運動協同体」となって、猛威を揮います。 国会議員は、自分の選挙を応援してくれる会社を、政権担当者である「中央官僚」に仲介する業者に過ぎません。 この仲介手数料が「政治献金」という形で入ってきます。 彼らは、「立法」という本来の職務を官僚に丸投げしている「税金泥棒」です。 勿論、「国会議員」「政治家」ではなく、それを詐称している「選挙運動屋」に過ぎません。 もし、彼らを先生と呼ぶのであれば、それは「詐欺の大先生」です。 つまり、国民による「一般(普通)選挙」が行われる限り「選挙運動屋」が跋扈し、「談合」「癒着」はなくなりません。 現実問題として一般国民は、少なくても「政治」に関しては「愚衆」であり、「愚衆」は同じ「愚衆」しか選ぶことができません。 「愚衆」が冷静に嫉妬もしないで、個人の利害を度外視して、国政または地方自治体政を公平に処理できるでしょうか? 「政治」は「愚衆」の業績ではなく、 「政治訓練を受けた者」だけが「政治の要諦」を了得することができます。 この者は、愚衆に迎合することなく、 勿論、「愚衆の支持率」「マスコミの扇動」を無視して、少なくとも十年先を見込んで、日本国・日本国民に必要とされる「政策」を断行します。 これが「政治家」です。 日本にも「政治家」が出現することを念願する次第です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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