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テーマ:政治について(20206)
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阿久悠さんのご冥福を、謹んでお祈り申し上げます。
阿久「せんせい」(森昌子)は、8月1日、「朝まで待てない」(ザ・モップス)かのように午前5時29分、東京・港区内の病院で「ラストシーン」(西城秀樹)を迎えました。 尿管がんが死因とのこと。 しかし、がんは「はじめての出来事」(桜田淳子)ではなく、2001年に、腎臓がん手術を受けていたといいます。 これは推測に過ぎませんが、「抗がん剤」治療を受け、病院へ「行ったり来たり」(チュリッシュ)で、その後遺症・副作用(私の言う主作用)に苦しみ、「どうにもとまらない」(山本リンダ)情況であったと思われます。 一般的には、つまり、現代医療では、がんは「悪魔のようなあいつ」(上村一夫画)と言われ、この「モンスター」(ピンクレディ)に「狙いうち」(山本リンダ)されると、「さだめのように川は流れる」(杏真理子)ごとく、一直線に「死」へと押し出され、二度と健康な心身には「もう戻れない」(桜田淳子)ように、されてしまいます。 しかし、実際は「抗ガン剤で殺される」(船瀬俊介著)で、厚生労働省の担当官が認めたよう に、「がん治療で約25万~30万人が毎年、殺されているのです」。 「悪魔のようなあいつ」はガンではなく、「がん治療」ではあります。 つまり「狼なんか恐くない」(石野真子)のごとく、「がんなど恐くない」のです。 実際のところ、恐いのは「ざんげの値打ちもない」(北原ミレイ)現代医療です。 がん細胞は、自然治癒力の表れであり、健康な心身に戻り、恒常性を維持しようと、懸命に頑張ってくれています。 この「熱き心に」(小林旭)感謝しなければなりません。 つまり、この自然治癒力を高めるような生活習慣を取り戻すことでしか、がんは根治されません。 まずは、気、ストレス、心、精神を柔軟にしなければなりません。 自分に「いい夢見ろよ」(西田敏行)と言い聞かせ、 他人には「笑って許して」(和田アキ子)上げましょう。 次は、人間本来の食生活への回帰です。 自然との「契り」(五木ひろし)を思い出し、自分が自然であり、自然と共生するような「食べ物」を良く噛んで食べましょう。 「時代おくれ」(河島英五)と言われようと、愚直なまでに「時の過ぎゆくままに」(沢田研二)自然に身を任せていくしかありません。 自然の生命である人間が、文明(文迷)化、拝金主義化の過程で、 切り捨てたものや「忘れもの」(河島英五)を取り戻そうではありませんか。 決して、現代医療に「勝手にしやがれ」(沢田研二)などと身を任せて、ご先祖様から預かっている命を「燃えつきて」(大橋純子)しまってはいけません。 自分の命は、自分でしか守れません。 さて、新聞によりますと、「神様がくれた愛のみち」(ペギー葉山)が阿久さんの最後の作品となる可能性が高いとあります。 約7年間の「がん治療」との戦いの結果、阿久さんが垣間見た「みち」がどのようなものであったのか、知りたくなりました。 では、最後に、私の「思秋期」(岩崎宏美)に華麗な花を飾っていただいた阿久悠さんに、 感謝を込めて「さよならをもう一度」(尾崎紀世彦)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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