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テーマ:政治について(20206)
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日本国が肇(はじ)められてから今年は、皇紀2667年。
今から2667年前となりますと「縄文時代」です。 「縄文時代」は約1万2千年前に始まり、約2千3百年前に「弥生時代」に移行するまで、 約1万年も続いています。 つまり、この縄文時代の末期に、日本国が肇国(ちょうこく)しました。 さて、9月12日の北海道新聞は、 小学社会に「縄文」復活 という見出しで次のような記事を掲載しています。 「伝統、文化の尊重」を盛り込んだ教育基本法の改定を受けて、文部科学省は学習指導要綱 の改定を進めている。 その一貫として、主に弥生時代から教えることになっている小学社会の歴史分野について、時代をさかのぼって縄文時代以前から教えるように改める素案を作成した。 2002年度施行の現行学習指導要綱で教科書から消えた縄文時代の記述が、2011年度以降に復活しそうだ。 (記事要約 終了) 国家が義務教育の歴史で「建国」「肇国」を教えるのは、当然ではあります。 日本では、その当然のことさえ、更には、その時代の記述さえも「この体たらく」です。 「縄文」が復活したことは、評価できますが、精々、「縄文遺跡」の写真を並べて、お茶を濁す程度で、「肇国」に触れることはありません。 洗脳を受けている文部科学省の官僚たちは、敗戦後、占領を実行した「開放軍」のお陰で、日本国は、民主主義国家として「建国」されたとの「幻想」に酔い痴れています。 まさに、これこそ「奴隷根性」に他なりません。 実際は、日本列島への「弥生人の侵略」を察知した人たちが、「危機」観を持ち、「肇国」したのが2667年前の日本です。 その人たちの末裔が「天皇家」です。 当時、大陸から海を渡って「弥生人」が日本列島に侵攻してきました。 この「弥生人」の後継が、あの「解放軍」であり、今でも日本を「占領」しています。 この「占領」を、この「奴隷状態」を自覚し、覚醒しなければなりません。 具体的には? 縄文人と(弥生人)との対比を次に述べます。 祖霊崇拝・順天(現世・物質主義) 知恵・控え目・心配り(知識・利益優先・唯我独尊) 自然(人工・合理・科学) 素朴・耐久(華美・利便) 粗食・穀菜食・少食(動物性たん白食・飽食) 調和・協調・義理(進歩・発展・競争・流行・尊大) 感謝・報恩・奉仕・自己犠牲(利益・打算・名誉・地位・独善・自己保身・個人主義) 利他・助け合い(利己・我欲) 貴民(賎民) 動物と共生・慈悲の心(動物虐待・搾取・征服・抑圧) 足るを知る(あくなき欲望) 「縄文」は、自然に順応して生き、自律・自制・自戒を重んじるので、一見、地味ではありますが、生命としての充実感に満ちていて、有意義な人生を送ったという実感があります。 一方、「弥生」は、欲望のおもむくまま行き着くところまで行ってしまい、一見、成功を収めたように見えますが、茫々たる寂しさが累積してしまいます。 象徴的な、かつ比喩的な表現になりましたが、全体のイメージとして捉えていただければ幸いです。 「縄文」は、日本人の源流であります。 「縄文」にこそ、生命として多くの知恵があり、ここから「自然の摂理」を学ぶことができます。 まずは「縄文、復活、おめでとうございます」。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.09.14 11:39:20
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