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テーマ:政治について(20206)
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立法府である国会の議員の、本来の職務は「法律案」を作り、これを成案とすることです。
少なくとも、日本の国会議員の誰一人、「法律案」を作っていません。 現在、「法律案」を作っているのは「中央官庁」の「官僚」です。 「政治」を担うということは、国家の10年先、20年先を見据えて、「法律案」を作り、法律として成立させることです。 ですから、この職務を担う「政治家」は、 今日・明日のことしか考慮しない国民に迎合することなく、 商売に支配されている世論やマスコミを無視してでも、 必要となる法律を企画し、作成し、成案とする職務を断行しなければなりません。 このような「国家盛衰」に関わる崇高な職務に対して、税金から議員一人当たり、秘書給与を含めて、年間、約一億円が支払われています。 確かに「法律案」を作るには、専門的な知見や特殊な法律用語などが必要とされますが、原則として、これらの資質を「既に所持しているかた」が、「特別職の国家公務員」つまり国会議員になり、報酬として、血税から一億円が支払われています。 しかし、この「資質」を持っている「国会議員」は、誰一人いません。 では、誰が「法律案」を作っているのか? 現状では、中央官庁の官僚です。 つまり、国会議員は「国会議員」を詐称し、税金を詐取している「税金泥棒」に過ぎません。 それでは、国会議員と官僚の関係は? 新人の国会議員は、「資質」がないので「政策勉強会」に出席させられ、講師である中央官庁の幹部官僚から「講習」を受けます。 「勉強」をするのは、このときだけです。 もともと、その素質もない「素人」ですから、目先の「就職活動」、つまり、次回の選挙運動に勝つことが「全仕事」になっていきます。 当然のように、次に、国会議員は、地元・選挙区の自分の支持者や、自分を応援してくれる者を、中央官庁の官僚に紹介します。 この仲介手数料が「政治献金」と呼ばれています。 結局、国会議員にとって、中央官僚は「先生」であり、 商売の、収入の大切な「種」であり、 自分本来の職務である「立法」作業をしている「代行業者」でもあります。 問題は、官僚は、政治家の職務を「代行」することはできないということです。 本来の官僚の職務、求められる資質は、既成の法律の基で、忠実に法律に沿って、行政を遂行することです。 新たな法律を作ることは、求められてはいません。 最良の官僚は、最悪の政治家です。 さて、今回、守屋武昌前防衛省事務次官が国会の「喚問」で証人として証言しました。 中央官庁の事務次官は、会社の組織で言えば「代表取締役社長」であり、 大臣は、取締役でもない「会長」、または相談されることがない「相談役」みたいなものです。 この現状は、許しがたい状況ではありますが、 官僚は入省以来、数10年に亘って、専門知識を身に付け、先輩たちのノウハウを習得しています。 彼らにしますと、「着せ替え人形」みたいな「俄か」知識しか持っていない「大臣」は、単なる「操り人形」に過ぎません。 長くても2年間で「いなくなる外者」に過ぎません。 この「操り人形」が「官僚」の人事に触ることは、許されない、 官僚の人事は、官僚が握る、 政治は官僚が握る、 これが「官僚」の「思い込み」であり、「霞が関」の常識ではあります。 本来、官僚は「行政」を担う「役人」「公僕」に過ぎません。 しかし、官僚は、「保身」を優先させ、犯してはいけない「領空侵犯」つまり「法律案」作りをして、実質、日本国を支配統治しています。 官僚は、政権を握っています。 では、何故、最高権力者であった守屋氏が「証人喚問」を受けなければならなかったのか。 ゴルフ接待を受ける、宴会での接待を受ける、こんなこと、官僚であれば、誰でも受けています。 これは「癒着」ではなく、お互い双方の「業務」の一環に過ぎません。 ただ、守屋氏は、東北大学法学部卒業であり、官僚の本流である「東大法学部」ではありません。 「本流」を行く官僚は、完成された安全な、正確には「密閉」された構造の中を、先輩たちに守られながら進むことが許されています。 しかし、「本流」ではない「部外者」は、新たな「金づる」を開拓し、そのリスクを負う覚悟が必要となります。 「田中角栄」氏の末路を思い出してください。 つまり、「密閉」された構造は、三菱重工業や川崎重工業、三菱電機などの旧財閥企業との間に「構築」されています。 部外者には、これに立ち入ることができません。 そこで、部外者は、危険を犯してまで、新興企業である「山田洋行」などに「金づる」を求めることになります。 守屋氏は、これらのことを熟知していたにも関わらず、権力に溺れ、調子に乗り過ぎ、結果、 「本流」に見放され、刺されてしまいました。 「本流」も守屋氏から「おこぼれ」をいただいていたらしく、 在職中ではなく、退官してからの追求ですから、「一応の敬意」は払ったようです。 常に、「こそ泥」だけが責められます。 本来の「泥棒」は、常に「安泰」です。 この「泥棒」の「うわまえ」を得る「大泥棒」の高笑いが響き渡っていますが、 残念ながら、私たちには、聞こえてきません。 すべての国会議員は、税金を詐取している「選挙運動屋」に過ぎません。 すべての政党は「選挙運動相互補助組合」に過ぎません。 覚醒せよ、日本人! 次の10年先、20年先を考えるのが「政治家」 次の利権を考えるのが「政治屋」 次の選挙を考えるのが「選挙運動屋」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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