元号発表が迫る中、あちこちで見かけるのが
『平成の顔』『平成の歌』をひとつ挙げるってやつ。
CMで「(私の選ぶ顔は)□□です!」みたいに
局アナがリレー式に話してるのを何度か観た。
よく1人に絞れるなー、ってのが正直な感想。
一般人ならともかく、マスコミの仕事を長年してたら
一年間だけでも信じられない数の著名人に会うから、
平成だけに限ったとしても、結構な数、印象に残る
人がいると思う。私みたいなハシクレでも1人を
挙げろと言われても、取材を通して出会った
色んな人の顔が浮かんで、それぞれに想い入れ
があるから、「この人!」って言いきれない。
その時々、気分により、思い浮かぶ顔も違うし。
音楽にしてもそう。
この30、31年間の中で一曲を選べと言われても、
ひとつになんか絶対絞れない。その年、その年の
“自分の中でのヒット曲“があり、一曲ごとに
もれなく想い出も付いてくる。
特に『No music , no life.』な毎日を過ごしてきた
私にとって、公私共に様々な音楽や歌との出合いが
ありすぎて、それを たったひとつ挙げろと言うのは
酷である。実際は誰からも言われてないけど。
TVであんな風に街角で、急にマイク向けられて
「私の一曲は(または歌手は)△△です!」
とポンと言えるとか、私には無理だ。
あ、でも強いて挙げれば、やっぱ
PRINCEだよなぁ。
2016年4月21日、突然この世から居なくなって
しまったショックも含めて、彼は私の運命に
相当な衝撃を与えた人。音楽の感性の扉を、
ぱかっと開いてくれた人のひとりだから。
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婦人病の特殊手術を受けてから、明日で3年。
平成のある時期から患ったこの病とも、かなりの
付き合いだ。その闘病の記憶のほとんどは、辛くて
悲しくて怖くて情けないものだった。
私の主治医として関わったのは、3人の先生。
初めの個人病院の女医は、私の症状のすべてを
見ておらず、一年以上は見落としたままだった。
気づいた時には悪化してた。
その後に私の希望で大きな病院に転院。
若さ溢れる女医さんは、私の心もケアしてくれた。
この先生のもと、一度目の開腹手術を受けた。
けれど、複雑な症状を抱えているために、術後
二年経たないうちに再発。再び投薬治療を何度も
繰り返したものの、悪化する一方で・・・
再び開腹手術&子宮全摘しかないと言われて、
悩んだ挙句、慣れ親しんだ先生との長い長い
付き合いを、私から終わらせた。
他の総合病院の医師にも話を聞きつつ、すがる
ように辿り着いた先で、なんとか受けられた
特殊手術。執刀医と初めて一対一で面談した時、
彼は一時間を超える時間、私の不安と
向き合ってくれた。
彼の姿勢や言葉に、これまでの迷いが吹き飛んだ。
医師で「私の命を預けたいのはこの人!」と
思ったのは、彼が初めて。
どの医師にも一度の手術では難しいと言われ、
ダメモトで受けた結果。主治医も執刀医も驚くほど、
術後の経過は良好。
お蔭で今こうして私は、体調の急変に怯えることなく
仕事やプライベートに好きなだけ打ち込めている。
彼こそ、神の手。そう言ってもいいくらいの恩人。
私にとっての平成の顔は、この時のT先生
と言ってもいいかもしれない。
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今日のやや長めのひとこと。
「美容室で見た女性誌の4月の私の運勢。キーワード:プロ意識。注意点:現実逃避。私の生活態度…見たんか?」