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2020.07.09
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カテゴリ:ヒトコトモノ
いつもいつも、どんな時も“間の悪い”人だった。

タイミングがとにかく悪く、「なぜ今なのかなー!?」(怒)と
主に私がイライラさせられた同居の日々。そんな“ひとつ屋根の下”暮らしも
振り返れば7,8年近くは経っていたであろうある日。大きな怪我をきっかけに、
“我が家の生活が一変”した。

丸々2ヶ月間の寝たきり生活の完全介護を自宅で行ったこと。
滞在型施設や病院の付き添い、手術入院手続きと病院見舞い、そして
ケアマネさん等介護専門家達達との遣り取り、入居施設への付き添い、
体調急変時の病院付き添い・・・その他諸々ありすぎて、いつ何をしていた
のかも、もうあまり思い出せない。
私自身も持病を抱えながら、その悪化の恐怖に怯えながら、投薬の副作用に
心身ボロボロになりながら、介護と闘病と家のことと仕事と・・・
すべてを必死にやり繰りして闘っていた。

そんな“怒濤の日々”から解放されたのが、2年位前のこと。
“命に関わる決断”をすることが多くなり、“血の繋がり”のない紙の上だけの
“家族”な私は、この介護の第一線から身を引かせてもらった。
これ以上は、いくら嫁の立場でも、私には“荷が重すぎる”から。
後はこの家の長男であるダンナが次男(私の義弟)と話し合って決めてほしいと
頼んだ。この時、もう限界だった。私は嫁としてのツトメを精一杯遣りきった
と思うし、既に疲労困憊。燃え尽きていた。

彼等に介護の全権を委ねてからというもの、私は面会にも行かなくなった。
嫁としてのツトメや闘病に専念する間に、重い持病を抱える実母とそれを
ひとりで支える実弟のもとにも帰省できずに数年が経っていたから、私の
意地もあり、それと同じ年数分は面会にも行かない!と決めていた。
だから、こんな形で会うことになろうとは・・・少しは思ってたけど、
“その日”は意外とあっさりやって来た。

姑が死んだ。

5月半ば、病院から1度目の危篤連絡を受け、その一週間後再び危篤に陥り
その時、主治医に「数日でしょう」と言われてから1ヶ月半。“奇跡的”に
意識も戻るような時間もあるまでに“持ち直していた”のだが・・・
遂に逝ってしまった。
通常病棟に戻る日にちまで決まっていたのに、朝一番の看護師回診時には
声も出ていたし、数値も安定していたのに・・・
2度目の午前回診時にはもう、心臓が止まっていたらしい。

ダンナから私に連絡があった時、奇遇にも仕事で病院の近くに居た。
そのまま歩いて病院に駆けつけ、看護師さんに導かれ病室に入ると、久しぶりに
見る寝顔があった。“最期”を家族で迎えるためにか、繋いだ管を外さないで
いるから、アラームが延々と鳴り続ける中、パイプ椅子に座り彼女の横顔を
眺めていた。これまでの色々な事が思い出されるけど、特別センチメンタルに
なることもなく。ただひたすらアラームの音だけが鳴り響く。それに混じり、
近くの部屋から、痰が絡まり苦しむお爺さんが何度も叫び、何度もブザーを
鳴らす。お爺さんの苦痛と看護師さんの献身。それを聞く度に胸が痛かった。

約1時間後、ダンナが到着し、頭を触りながら色々と話しかけたら・・・
ダンナの呼び掛けに呼応して、突然心拍が跳ね上がり、“正常値”に戻ろうと
していた。数度繰り返された後、だんだん反応しなくなり、またゼロに戻って
しまった。
「脳は最後まで生きている」と聞いたことがある。まさにその通り、姑は
明らかに息子の言葉に“返事”をしていた。「お義母さん、聞こえてるよ。
反応してる。解ってるよ。」私は彼にそう言いながら、息子と母親の
“最後の会話”を見守った。
気づくと主治医と看護師さんが居て、先生のひと言の後、管が抜かれた。
最後のチェックが終わり、“宣告”を受けた。それはまるで、彼女からの
“ラストメッセージ”に思える語呂合わせの時刻で。お義母さんにしては、
粋なことをするなぁと思ったりして。

悲しいのは悲しいのだけど、ダンナも義弟もどこか“吹っ切れた”感があった。
ここの息子達は涙もろく親孝行だから、内心「号泣されたらどうしよう」と
構えていたのだが。親も自分らもいい歳だし、いい大人がそこまで泣かんか。
ダンナ曰く「この1ヶ月、マメに見舞い続けてできる事をしてきたから、今は
スッキリしてる」らしい。それを聞いて、嫁としてだいぶホッとした。

彼女を乗せたベッドが霊安室へ移動する時、急にパラパラと雨が降り出して、
渡り廊下の屋根に当たる音が拍手みたいに聞こえた。しかも両脇に紫陽花が
まだ青や紫に咲いてて、「江戸っ子なお義母さんに相応しい芝居の花道みたい」
と言いながら、夫婦で笑顔になっていた。
1ヶ月前に一度、家族も住職さんも“覚悟”したせいもあり、お式はとても
スムーズだった。この梅雨の最中に、一番天候に恵まれた日に見送ること
ができた。
彼女にしては珍しく、私達を煩わすことなく“すべて”が順調に進んだ。

同居してからというもの、頑固でワガママでホントに甘えん坊の“困った
ちゃん”だったお義母さん。反抗期の子供みたいに、私達夫婦はいつも
振り回されっぱなしだった。
そんな宇宙人みたいに解り合えない随分変わった人ではあったけど・・・
最後の最期に、“親らしい”“大人”なとこをやっと見せてくれたような気がする。

長期にわたる胃瘻で随分痩せてしまったけれど・・・
病室に入って2年ぶりに見たその顔は、とても穏やかで、
すごく”綺麗”だった。



いつかの由比ヶ浜。

★  ★  ★  ★  ★
​今日のやや長めのひとこと。
「九州をはじめとする豪雨被害地域の皆さん、お見舞い申し上げます。
子供の頃の想い出の景色が、あんな風に壊されていくのは辛すぎる。」​
​​





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最終更新日  2020.07.12 01:19:09
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