昨日、手打ち式が、伊勢崎市で、執り行われた。
国定 忠治 の子孫と、忠治が、切った、伊三郎と勘助、それぞれの子孫。
それぞれの縄張りだった村々が、平成の大合併で、一つになった、この機会に、伊勢崎市長立会の手打ち式になったようだ。
忠治が、刑場の露と消えたのは、12月21日、私の誕生日。
忠治は、家内の親の名。
忠治の上州は、息子の嫁予定者の故郷。
家内と息子の嫁予定者の誕生日は、1月 6日。
これも、なにかの縁(えにし)かも、しれない。
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