カテゴリ:☆囲碁☆
『 こどもは変わる 』 「 当たり前じゃないか 」・・・と言われるかもしれない。 私は(本当はたぶん)子供という生き物が苦手だと思う。(嫌いではない) なのに、ずいぶん昔から子供に関わる仕事が多い 自分の子が小学生の頃は、放課後学校を開放した際の保育のボランティアを4年間やり・・ その頃ヒカルの碁が流行ったこともあって、高段者だった主人が学校へ教えに行くようになり、 「もっとちゃんと教えてほしい(覚えたい)」という子供達の要望から、自宅で囲碁教室を開いた。 (我が家は小学校の正門から50メートルの距離にあった ) その後、その教室は転居のため閉室してしまったが、 主人がやはり囲碁を広めたい気持ちが強く、改めて教室を設け現在に至っている。 結局、囲碁だけでも7年間、保育をいれると10年以上も子供達と関わってきた。 子供達は、いろいろな事を教えてくれる。 純粋ゆえの、優しさ・残酷さ。。。正直さゆえに保身のために時にウソもつく。 子供達に関わってきて、感じることは彼らがとても「たくましい」という事だ。 たくさんの子供の中には様々な意味で、こちらが心配になる子が必ずいるのだが、 少々まわり道をしても、彼らは確実にちゃんと進んでいく。 私は人間が不出来なので、難しいことは言えないが誰でも良く(悪く)なる可能性を秘めていると思う。 最初に教室を始めた頃、多数は小学生だったが何人か中学生も入ってきた。 ずいぶん後になってわかったのだが、その中にひとりは不登校気味。また別の子たちも先生方泣かせの生徒だった。 でも彼らは囲碁に触れることで、ゆるやかに変わっていったようだ。 学校では人と関わるのが怖かったり、苦手だったりしても極端な話、囲碁はしゃべらなくても打てる。 ルールさえ知っていれば、1局という仕事を最後までやり遂げられるのだから。 私は人間が自信を得るためには何かをやり遂げる、という作業が大切だと思っている。 そして、物事を深く考えたり逆に客観的に見ることも覚えていく。 そんな繰り返しが自分をみつめるきっかけにもなるんじゃないかな、と思う。 勝ち負けによって喜びや悔しさも感じるし、努力して分からなかった事が理解できれば嬉しいだろうし。 不登校気味だった彼は、中3の終わり頃、「囲碁部のある学校に行きたい」と 言い出しました。。。とお母様が本当に嬉しそうに話してくれた。翌年彼はちゃんと進学した。 その時、恥ずかしいけれど・・・なんだか嬉しくて泣きそうになった。。 また、学校や塾をサボるのは「俺らの常識」的な彼らは、なぜか教室にはちゃんと通ってくれた。 きっと、ここは誰も学校での自分を知らない、という安心感があったように思う。 なぜなら、教室の彼らはとても素直だったから。普通に笑い、怒り、冗談をいい、友を気遣う子供だった。 「居心地」が良かったのかな~と、勝手に解釈させてもらっている 子供たちも、大人と同じようにいろんな顔を持っていて当然じゃないかな。 例えば、運動や話すことや他の何かが苦手でもかまわない。囲碁はルールがわかれば出来る。 でも、本当の楽しみや(勝負の)喜びを味わうには一人では無理なゲームだから人と嫌でも関わざるおえない。 やっぱり、囲碁はすごいと思う。。。 すいません、長くなりました(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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