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2009.06.28
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カテゴリ:研究者
つくば市に研究所が多い理由?・

◆ 質問



茨城県つくば市に、研究所が多い理由はなんでしょうか??


YAHOO知恵袋より




◆ 回答


YAHOO知恵袋ベストアンサーより、引用します。


 1950年代、東京は急激な人口増加によって、過密状態となっていた。
このため政府は、1956年に首都圏整備委員会(以下委員会)を設置し、首都機能の
一部を移転することに関する検討を始めた。

 委員会は、都内のすべての大学を移転し、70万人都市を建設する試案や、
都内のすべての官庁を移転し、18万人都市を建設する試案などを、立案していった。

 1961年9月、「都内の市街地になくても、機能上さしつかえない官庁
(付属機関や国立学校を含む)の集団移転について、すみやかに検討する」とした
閣議決定がなされ具体的な検討が始まった。

 委員会は、1963年に移転の候補地として富士山麓、赤城山麓、那須高原、筑波山麓
の実地調査をし、東京から離れすぎていないこと、霞ヶ浦から十分な水が採取できる
こと、地盤が安定した平坦地であることなどから、同年9月に筑波山麓(注:現在の
つくば市と牛久市)に、4,000haの研究学園都市を、建設することが閣議了解された。
 
 翌月、委員会はマスタープランとして、NVT(Nouvelle Ville de Tsukuba
:筑波ニュータウン)案を提案するが、激しい地元住民の反対にあった。
 その後計画面積を2,700haに縮小し、南北に細長くした案を提案、試行錯誤しながら
建設の計画を進めた。

 一方、1967年9月、6省庁36機関(その後43機関に増加)を移転することを閣議了解、
1968年10月に、旧科学技術庁防災科学技術センターが、着工した。

 しかし、多くの機関が工事に着工しなかったため、1970年5月に筑波研究学園都市
建設法が施行され、その後着実に都市建設と機関の移転が進み、1980年に機関の
移転が終了した。

 その後も都市機能などの整備が行われ、1985年には筑波の国内外における、知名度の
向上と民間企業の誘致のために、国際科学技術博覧会を開催した。現在、約300に及ぶ
研究機関・企業と約1万3千人の研究者を、擁するに至る。
(ウィキペディアより)


・・・引用でした。



 たまたま偶然でははく、政府が意図して研究所をたくさんつくったのですね。
他には、こんな噂話があります↓

 
・住民は研究機関の関係者と、土着の人間に2分される。交流は皆無
・IQの差がとてつもなく激しく、言葉の問題を除いても、会話がまったく通じない。
・幼稚園・小学生に何も教えなくても、お互い異質の匂いを嗅ぎ分けて近づかない。
 教室では自然と派閥が分かれる。
・筑波大学に地元子弟は行けない。行くのは中くらいの研究機関関係子弟。頭いい奴
 は東大に行って、研究者として帰ってくることがあるが、一度覚えた都会の味が
 忘れられなくて自殺したくなることがある。
  ↑ガセ。土浦一高からも水戸一高からも毎年二桁以上行く。
    マジレス↑つまらんが、筑波大に桜村あたりの、地元の連中が行けないんで
    あって、土浦やら水戸なんぞからはまぁ行くだろな。何にしろ田舎茨城の中
    でも筑波だけは浮いてるし、内部の人種も違う
・学園地区の職場や社会人サークルでは、生まれや育ちがつくばという人はほとんど
 いない。おまけに年寄りもあまりいないので平均年齢が若い。

つくば市Chakuwikiより




以上、つくば市について、でした。



つくば系研究者に女性から熱い視線が!











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Last updated  2009.06.28 08:58:56
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