テーマ:徒然日記(23494)
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22日未明亡くなった義兄の通夜・告別式が、昨日26日滞りなく終わりました。
普段は全く気にすることが無い易暦で、葬儀に向かないとされたのか24日では無く、葬儀社から通夜が25日、葬儀告別式が26日と設定されました。 遺体は自宅に3日間安置されましたので、義兄遺族もせめてもの供養と思ったに相違ありません。 通夜には、退職して7年以上経ちますのに、努めていた会社からも大勢の方々が参列してくれていました。退職後も、OB会へ毎年参加すると言う真面目な性格とやさしい人格がなせる業だったのでしょう。 葬儀・告別式になりますと、機械的にスケジュールは動いてしまうようで、出棺から斎場への移動、火葬から遺骨になるまでは1時間、あっと言う間で、直ぐに葬儀社のホールに戻って、初7日法要、遺族・親族による清めの会食で、全て終えることとなりました。 ただ通夜の時から、気になっていましたのは、祭壇に置かれていました戒名牌でした。 義母は我が家で亡くなりましたので、12年前の葬儀に際して五島列島の菩提寺である浄土真宗の寺に電話連絡して戒名を頂いたのですが、院号・位号もあるものでした。 義兄の戒名は釈から始まる僅か3文字の簡単なもので、奇異に思ったのです。インターネットで検索してみると、この戒名(真宗では法名とされるのらしい)が本来的な法名であることが分かりました。 遺族も遠い五島列島でなく、生活拠点から遠くない墓地での埋葬を望んでいますので、先祖代々の家名墓に入るのでも無いことから、「宗派の仕来たり」に合った法名が良いのだと思うに至りました。 浄土真宗では無戒であるため戒名とは呼ばず、法名(ほうみょう)と呼ぶ。 法名には本来的に院号(寺の発展に貢献し、それを讃える意味でお寺より下附されるもの)、修行の経歴を表す道号(いわゆる、四字や六字の戒名)や、修行の形態を表す位号(信士・居士・信女・大姉等)はありません。しかし地方によってまた寺院によっても、そのつけ方はさまざまです これは、開祖の親鸞が「戒律を守れない凡夫であり、阿弥陀如来によってのみ救われる」という教義を打ち立てたことによる。男性は釋迦の弟子を意味する「釈」号、女性は「釈尼」号である。 位号は普通用いないが、他宗の影響が強い地域の古い寺院などでは使用されている場合もままある。 義父義母には位牌もありますが、義兄の場合には位牌は無く、過去帳だけとなります。 初7日法要が済んだら、導師和上は清めの会食に加わることも無く、弁当を持ってさっさと帰ってしまいました。忙しいのかも知れませんが、遺族への挨拶も無いのですから驚きです。 真宗と言っても宗派規律が殆ど無く、各寺でかなり自由に処理しているのだと改めて認識しました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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