ウクライナはコサックの国ですが、歴史上も永くロシア圧政に耐えた国であったようです。
今はロシア民謡として知られる「ステンカラージン」もその圧政に耐えて、コサックが反乱を起こしたウクライナの民謡とするのが妥当の様です。
ステンカ・ラージン (Из-за острова на стрежень) (日本語字幕)
ポーランド出身のアンナ・ゲルマン女史の絶唱でお聴きください!
15世紀にコサックは、ウクライナ中南部ザポロージャ地方に根拠地を築き、16世紀にコサックの一部はドン川下流に移住し、そこで新たな根拠地を創立した。
ザポロージャ・コサックはリトアニア共和国に属し、ドン・コサックはロシア国に依存するようになった。しかし、両国はコサックを軍事力として利用しながら、コサック自治権を縮減してコサックの領地を自国のものにする政策を実行していたためにコサックはしばしば保護国に対して叛乱を繰り返した。
叛乱の中で規模が大きかったのは1648年のフメリニツキーの乱と1670年のラージンの乱であった。後者はドン・コサックの失敗に終わり、ドン地帯はロシア領となった。それに対して、前者はウクライナにおけるザポロージャ・コサック国家を誕生させた。コサック国家は、ロシアの保護を受け、ポーランド、オスマントルコに対する盾となり、東欧におけるロシアの強国化に貢献した。
1991年のソ連崩壊後、ウクライナやロシアの市民団体はコサックの復帰運動を行っているが、国レベルでコサックの遺産を受け継いでいるのはウクライナであり、ウクライナ国歌の最後の部分で「我らがコサックの氏族であることを示そう」と歌われる。