その頃は弾道ミサイルICBMが米ソ両国で開発に凌ぎを削っていましたが、米としては海軍、陸軍の開発競争も激化して米がリードしていると自信を持っていたのです。
其処へ、1957年10月4日に突然、ソ連がスプートニク1号打ち上げを発表したのです。
重量は 83.6㎏、直径58 cmの人工衛星で、弾道ミサイルICBM打ち上げ用R-7型ロケットによって軌道上に打ち上げられたことはソ連国民を勇気付ける一方、冷戦の相手であるアメリカ国民にショックを与え、宇宙開発競争の火蓋を切ることとなりました。
其処で直ぐ様、アメリカは海軍のVanguard計画に保持していたロケットで打ち上げしようとしましたが失敗、漸く翌年1958年1月31日に、陸軍でフォン・ブラウン博士が開発していたExplorer計画のエクスプローラー1号(重量は僅か14kg)を打ち上げたことで、彼我の技術差を自覚することになったのです。
その影響で、教育・軍事・科学技術部門の改革の必要性が認識され、アメリカ航空宇宙局(NASA:1958年)設立、アポロ計画(1961年)へと繋がって行き、1969年7月、ソ連に先駆けてアポロ11号に依る月面着陸成功で、米ソ宇宙開発競争に漸く追い付いたと言えた様なのです。