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カテゴリ:社会問題
日本検察とマスコミによる暴力(怒りの長文ブログ(^^;)
この国の正義とは、一体どこにあるのか?
そうとしか思えない出来事が頻発している。

新党大地の代表鈴木宗男氏が、2002年以来受託収賄等の容疑で争ってきた事件では、2010年9月7日付で最高裁が上告を棄却したことで、懲役2年の実刑となる見通しとなった(彼の刑には執行猶予は付いていない)。

鈴木氏本人によれば、最高裁の彼への最終的な判断は、政治資金規正法でも、いわゆるムネオハウスの建設斡旋でも、議院証言法違反でもなく、「やまりん」事件での収賄容疑であり、しかもこの事件は作られたもので、完全な冤罪であるとのことであった。
個人的には、小沢一郎氏が民主党代表選で争っているこのタイミングで司法サイドが上告を棄却するというやり方にも、何か不透明な感を否めない。
実際、記者会見では、そのような質問も出されていたようだ。
当然だろう。不自然な感じを持つほうが正常だ。

もし、この事件について、冤罪の可能性が出てくるとしたら、日本の司法システムはいよいよ深刻な欠陥を有しているということになる。
しかも、鈴木宗男関連の事件で被疑者とされた容疑者達(11名)は、全員執行猶予が付いているから、鈴木氏一人の刑だけ執行猶予が付いていないというのは、あくまでも検察や裁判所に抵抗する者への見せしめという気がする。
これは日本司法制度の暴走だ、という批判は避けられないだろう。

そして、同様の危惧は、厚生労働省元局長村木厚子氏の事件でも強く感じたところだ。
障害者団体に対して、第三種郵便の割引資格の取得のために偽の団体証明書を発行したという虚偽有印公文書作成・同行使罪容疑で逮捕・起訴されていた彼女の事件は、まともな感覚で判断する限り、ほぼ冤罪であることは間違いない。

このような経済事件に絡む冤罪は、実は極めて大きな問題だ。
なぜなら、社会が発展すればするほど、経済や政治の役割が大きくなり、それに絡む諸事件が、殺人・放火・ゴウカンなどの凶悪犯罪よりも相対的に多くなるからだ。

しかも、凶悪犯罪と違って、経済事件は一般に複雑で分かり難い。
それは、経済が成長するにつれて、資金調達の金融的技術が発達するからなのだが、それに伴って、何が合法で何が不合法なのかさえもグレーなモノが多くなるからだ。
例えば、その昔(20年あまり前までは)、未公開株を知り合いや親戚縁者に譲渡して株主になってもらうなどということは、ごく普通に行われていた「商慣行」だったようだが(もちろん今でも違法性はない)、リクルート事件以来、賄賂性のある行為として政治家など公人への譲渡は事実上できなくなっているだろう。
だが、言うまでもなく、株の取引は得をする場合もあれば損をする場合もあり、株取引自体に何か問題があるわけではない。
ところが、経済取引が複雑で分かりにくいものであると、いかにも「悪事」であるかのように物事が描かれ易くなるだけではなく、実際に検察は自分達が理解しやすいストーリーに事件を単純化し、「複雑な経済取引=隠れて悪いことをやっている」のように描いている可能性が高い。
もしもそうであるなら、この村木女史の類の冤罪は、今後も増大する危険性がある。

実際、既に日本の検察制度に問題があると思われる現象はずっと現れている。
例えば、この夏読んだ幾つかの本は、日本検察の深刻な問題を指摘するものであった。
一つは、堀江貴文氏のライブ・ドア事件や元外務省官僚の佐藤優氏の背任容疑逮捕などを検討した「特捜神話の終焉」であり、

あと一つは、江副浩正氏自身がリクルート事件を語った「リクルート事件・江副正浩の真実」だ。

前者では、世間ではあまり知られていないが、「キャッツ事件」という不正経理事件で逮捕された公認会計士の細野祐二氏の話が秀逸である。
彼によれば、検察は組織として経理事務について理解しようとしておらず(あるいは人手が足りなくて理解できない)、そのような無知が、経済事件に絡む冤罪の要因になっているという趣旨の指摘をしている。
それがもし事実ならば、検察の密室での取り調べというのは、極めて危険なものである。
密室での取り調べがどれほど暴力的で不正なものなのかは、これまで何度も指摘されていることであり、これは取調室の完全可視化によってしか防止のしようがないだろう。
(江副氏の本などを読むと、検察の密室取り調べは、肉体的な暴力こそ使っていないものの、完全な拷問であるとさえ言える。)

俺個人のイメージでは、この種の冤罪というのは、検察+マスコミ+促進者という三つ巴の構造によって形成されているのではないかという気がする。
「促進者」とは、検察とマスコミ2者の共役関係を側面から補強してしまう役割を演じる主体のことである。
例1:
村木氏の郵便物不正事件では、検察による強引なシナリオと逮捕・起訴、マスコミの無批判なリーク情報による記事、そして、元部下だった上村勉氏の強制供述という構図で、あたかも村木さんが有罪であるかのような印象が形成されている。
(周知の通り、上村氏は裁判で自分の供述内容を否定しており、村木氏に罪を被せた発言をしたことを認めている。)
例2:
堀江氏のライブドア事件でも、検察による強引なシナリオと逮捕・起訴捜査、マスコミのリーク情報による無批判なぶら下がり記事まではほぼ同じ。
そして、促進者で強烈だったのは、マネックス証券が、ライブドア株およびその関連会社の担保能力をゼロとする措置を2006年1月17日に突然発表し(事実上の取引停止発表)、その後の株価の暴落を強引に引き起こしたことだ(マネックス証券自体は取り引き手数料収入で儲けている可能性大)。いわゆる「マネックス・ショック」である。
このような構図によって、堀江氏はいかにも有罪が決定的であるかのような印象が作り出されたと言ってよい。
しかも、プロ筋の殆どの談話では、この時のマネックス証券の対応は強く批判されており、証券業界におけるいわば「禁じ手」を行ったとの感は拭えない。
また堀江氏自身も、上記本の対談において、マネックス証券の悪質さを指弾している。
例3:
江副氏のリクルート事件でも、同様に、検察による強引なシナリオと逮捕・起訴捜査、マスコミのリーク情報による無批判な記事、そして、他の逮捕者達の強制供述による「証拠固め」という事実上のでっち上げ、法廷取引の勧誘。
このような構図によって、リクルート事件は、ロッキード事件に匹敵する戦後の大きな疑獄事件とされることになった。江副氏によれば、「教科書にまでのった事件」となったのだ。
だが、上記の本を読む限り、江副氏はほぼ無実だと言ってよい(東京地裁の判決では執行猶予付き有罪)。
(なお、ロッキード事件でさえも、田中角栄が有罪であったと断定するには、あまりに同様な構図によっているために危険であると思う。実際、アメリカ側との司法取引によって、贈賄側とされたロッキード副社長のコーチャン、元東京駐在事務所代表のクラッターの両氏は起訴されなかったという事実がある。)
例4:
鈴木宗男氏に絡む事件でも、構図はほぼ同じだ。そして、この場合、元外務官僚だった佐藤優氏の逮捕・起訴、そして、最高裁判決での有罪(執行猶予付き)が既に確定していることが、彼を有罪にするための促進材料として働いているという感じがする。


菅家利和氏の冤罪事件のような悲劇は、殺人などの凶悪犯罪だけに限った話ではない。
無実の人々の人生を、軽く吹き飛ばし翻弄してしまう検察のやり方は、組織的暴力以外の何物でもない。
「推定無罪」どころか、検察とマスコミと促進者によって作り出される世界は「推定有罪」であり、事実上の社会的制裁に他ならない。
菅谷氏は17年間牢獄に繋がれ、江副氏は13年間、佐藤氏は7年間もの裁判闘争を強いられ、、堀江氏にしても事件から4年以上経って結審していない。そして、鈴木氏についても既に8年以上の時間が経過している。
江副氏のような豊富な資金力があった人だから13年もの間闘えたわけで、普通、我々のような庶民であれば、裁判闘争自体を継続できないであろう。
人の人生の長い年月を、不透明で不公正な裁きによって犠牲にしていることこそ社会における不正義そのものではないのか。
しかも、始末が悪いことに、現在の司法制度のもとで彼等は執行猶予付きとは言え「有罪」とされていることが多いため、世俗的にも「前科者」のレッテルを貼られてしまうことになる。
(執行猶予があれば、法律的な意味での前科ではないだろうが、社会常識的には差別的に扱われることはあり得る。)
鈴木氏の場合は、執行猶予がないから、文字通り前科者とされてしまう。

もちろん、いかなる事件の捜査であれ、人間の行う所業である以上、間違いは起こり得る。だが、肝心なのは、そのような間違い(冤罪事件)を可能な限り少なくするような制度的保証を、どのように実現していこうとしているかということだ。
しかも、上記のような検察やマスコミによる暴走は、国民の平和で安全な暮らしを脅かすだけではない。
最も深刻な問題は、事件の真相が全く明らかにされない危険があるということだ。
本来、検察の任務は、起訴した事件を何が何でも有罪にすることではなく、しっかりと事の真相を明らかにすることではないか。
本末転倒してはいけない。


検察=正義、マスコミ=世論、促進者=客観的第三者という三つ巴の構造。
これこそが、現代の組織暴力を生みだしている大きな原因であるように思われて仕方がない。
しかもマスコミには、官房機密費の問題がある。野中広務氏が暴露し、上杉隆氏が指摘したように、マスコミはこの問題についての説明責任がある。
事実ならば、無論、そもそも正義や世論など語る資格が今のマスコミにはない。

司法や報道機関をはじめとした、日本社会の構造的病巣の根は深いと言わねばならない。
その点で、鈴木宗男氏の主張は間違っていないと俺には思われる。





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Last updated  2010.09.08 23:27:01
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