カテゴリ:美術・博物・展示
今日は、午前中は俳句を作ったり、資料を整理したりして過ごし、午後は、大阪市歴史博物館へ「お守り刀展」と「懐徳堂展」を見に行った。
最初に「懐徳堂展」を見た。懐徳堂というのは、江戸時代中期の1724年に町人によって設立された学問所で、学主は三宅石庵という学者。幕末まで町人のための市民大学として栄え、多くの知識人を輩出したが、明治維新になって取り潰された。のちに明治43年に重建懐徳堂として再興し、大阪の文化発展に貢献したが、昭和20年の空襲で消失し途絶えた。戦後は、大阪大学が、懐徳堂記念会とともに懐徳堂の顕彰活動を行っている。 今回の展示はその成果を示すもので、展示は次の4つに分かれていた。 1.草創期の懐徳堂 三宅石庵、中井しゅう庵、五井蘭洲、三宅春楼らの活躍 2.懐徳堂の展開と終焉 中井竹山、履軒らの活躍 3.よみがえる懐徳堂資料 破損・老朽化した資料、修復された資料 4.懐徳堂の復興と現在 重建懐徳堂の活動 展示資料から、懐徳堂では、漢書、和算、書画、天文学、医学など多方面の学問が教えられていることが分かった。江戸の昌平坂学問所(昌平こう)に匹敵するものだったそうだ。 画像は、パンフレットより。懐徳堂学舎、三宅石庵書「懐徳堂」、中井竹山肖像画、中井竹山「左九羅帖」、修復された聖賢扇の表と裏、重建懐徳堂の玄関に並んだ関係者・学生、中井藍江画・中井焦園讃「騎馬武者図」 お守り刀というのは、昔から新生児の健やかな成育を願って魔除けのため作ったものであるが、いつしか護身用の短刀も指すようになった。「お守り刀展」は、実質上、次の3つの展覧会の寄せ集めのようなものだった。 1.古刀新刀の名品展 鎌倉時代から江戸時代にかけてのお守り刀の名品18点(国宝3点を含む)が展示されていた。刀を見るとき、特に刀身を見るとき、刃の紋や地にいろいろな名前がつけられていることを知った。 2.第5回お守り刀展覧会 全日本刀匠会主催の展覧会で全国のお守り刀工芸師からの応募作品の中から入選作45点を展示したもの。一本の刀を作るのに、刀身、拵下地、金具、鮫着、漆塗など多くの工芸師の 技が組み合わされる必要がある。刀身と外装は別々に審査されるようである。 3.装剣金工・阪井俊政の作品展 刀の鍔を毎年1個ずつ作っている阪井氏の作品が48点展示されていた。直径10センチに満たない楕円形の金具の中に精緻な象嵌、彫刻、鍍金を行うもので、1年かかって一個しか作れないとは根気のいる仕事だと思う。なお、製作の合間に、古い刀剣の外装の修復も手がけていてその成果の一部も紹介されていた。 展覧会を見て、刀剣の見方が分かり、刀剣の製作過程も知ることができた。名品と言われる刀剣が何千万円もするのも不思議ではない。 画像は、パンフレットなどより。バンフレット表、国宝・刀 名物 中務正宗、国宝・太刀 銘筑州住左、総合第一席 脇差<刀身:安達貞茂 研磨:松比良千明 はばき:安達和喜>、外装第一席 濃茶塗七五三刻鞘出鮫合口拵<拵下地:石崎三郎、漆塗:岸野照仁>、蜘蛛に蟷螂図鍔(阪井)、弁財天来迎図鍔(阪井)、柏木菟腰刀拵(阪井模) 帰宅すると俳句誌「築港」12月号が来ていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.12.02 06:56:26
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