不二家の一件で思う事・・・・・・その12
同じ食品に関わる者として今回の不二家の一件について、私なりに客観的に判断して感じた問題点を述べてきた。 食品に関わる者としてあってはならない事件であるし、食品を作る現場の者として起こり得る事件でもあった。 今回は人が拘わる以上発生を防ぐ事は非常に難しい。安全な食品を作るためには、生産現場に全く人が入れないような措置を取った完全オートメーション化工場が必要になる。しかしながら機械にだけ頼る事はできない。 何故ならば、機械を稼動させると消耗がある。機械の部品は動く事によって部品の消耗は避けて通れない。機械を動くように設定するのは人間である。高度な機械を導入するとコストが上がり、製品価格に跳ね返る。 今回の問題で一番強く感じた事は、会社トップの姿勢を問わなければならないし、問題が発生した時に一番シワ寄せになるのが現場の第一線にいる人達である事をもっと知って欲しい。 そして、今の日本で食品を手にする人達は恵まれている事を知って欲しい。発展途上国の人達が食べる事の出来る食品は、不二家の製品に比べてもっともっと不衛生である。更にそんな不衛生な食品ですら手に入れる事が出来ない人達が大勢居る事を。 昔の日本も食品の環境はとても衛生的と言われなかった。それは食品メーカーだけではなく、家庭もそうだ。30年前・40年前・50年前そして終戦直後・戦前。その時代を思い起こして欲しい。 それが現在では安心・安全は当り前、且つ美味しくなければ買わない。そんな食品ですら、一口食べて生ゴミとして捨てられてしまう。そんな食品ですら、食べられないで産業廃棄物として捨てられてしまう。そんな食品ですら、コストがかかっており、安心安全はタダではない。 今、日本で食べられる食品がどの位廃棄されているのでしょうか。とても想像できないくらい多い・・・・・・・・ 今の日本は飽食の時代と言われている。作るほうも、食するほうも少し傲慢になってきているのではないだろうか。その点をもっと考えるべき時代になっていることを忘れないで欲しい。