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長男と 次男を脇に 正座して 弥陀の本願 慈悲の法話を 年嵩の 長男見れば 安堵すが 次男虚ろで 足の痺れか 目が泳ぐ 痺れ堪えかね 物を言う 次男の顔は 苦痛に歪む 裾の子は 説教僧の 目の流れ 妙に大人し 婆と母傍 門徒衆 山のお寺の 爺婆は トラの姿に 父と見紛う 幼き日 トラの姿を 知る人は 面影残る 裾子に見入る 見詰められ 知らぬ爺婆 見返して 諂(へつら)いは無し 天真の子は 法話には 空を講釈 佐賀弁で 空穂(うつぼ)に喩え 肥え水光 拝むれば 現世利益を 唆(そそのか)し 衆を惑わし 蔓延り見るを 蔓延るを 見るに付けても 嘆かわし 救いの底に 因果応報 親鸞の 残す言葉に 善人の 往生ならば 悪人更に 自らを 省みて知る 悪行を 涙もて知る 救いの道と 大いなる 愛の光が 此の世にと 生きる骸は 哀れなれかし 目を背け 其の場凌ぎに 逃げたれば 痞え患い 己騙せず 此の世には 神も仏も 居るものか 在ればまやかし 然して傍に 其の姿 匂いも無しに 音も無し 空に居ませば 誰も見る無し 見るも無し 目を瞑りてぞ 在るが侭 忝(かたじけな)さに 掌をば合わせる 友の日記 昨日出掛けた 気懸かりは 歌で詠み置く 母心かな 子の悩み 親の因果か 本能か 支えの愛は 慈母観音か お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
とらさんのお宅は阿弥陀如来を本尊とする浄土真宗でしょうか?
何だかそんな気が・・・我が家がそうなんですよ(^^) 生まれ育った土地に住めるというのはいいですね。 お爺ちゃんの代、お父さんの代、とらさんの代、そして子供達の代、3世代4世代が共に暮らし、昔を知っててくださる方が傍にいてくださる。 理想的な環境ですね。 そんな中で育つ子供さん達は幸せだと思います。 私は子供の頃から、家を転々としてきたので、故郷と思える場所がありません。 〇都から出たことが無いので、〇都が故郷には違いないのですが、限定された一箇所がないのです。 結婚してから1度引越しし、この地に来て、かれこれ18年です。 ですから子供にとっては、ここが故郷と呼べる場所だと思います。 もう引っ越す予定もありませんので、私にとってもやっと故郷らしき場所が出来ました。 18年も続けて住んだ所は今のここしかないもんで。 ではまたね(^^) (2004年07月04日 20時07分18秒)
佐賀の地と 遠く離れし わが地にも
広められしは 親鸞の法 小さき頃 お数珠片手に 正座して 読み上げたるは 正信偈 意味も分らず 空覚え 真宗宗歌に 恩徳讃 今も時々 口ずさむ 幼き頃の 成せる業なり トラの日記で 思い出す 明日ありと 思う心の あだざくら 夜半に嵐の 吹かぬものかは (2004年07月04日 20時51分21秒) |
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