日本の人口と日本の幸せ
日本の人口は08年10月1日現在1億2,769万2,000人でと総務省は発表した。 そのうち、女性は6,544万1,000人で、少し現象と言うことだが、それは外国へ出て行った女性の数が多いせいだと言う。結婚して、あるいは仕事の都合で日本人になった女性よりも逆の方が多かった。人口統計に明らかに出る程の多さは、日本人男性には少々寂しい数字に違いない。 少子高齢化が叫ばれて久しいが、人口には変化はなかったのである。出生数の減少は老齢死亡者数の減少と比例して、人口そのものには変化がなかったということのようだ。それが、少子高齢化社会の真実である。出産率が上がると人口増加につながり、別の問題が国に突きつけられるだろう。第二次世界大戦までは、人口増加の調整弁的を戦争があった。戦争を人口調整弁とは不謹慎な表現でも、それが真実であった。 平和憲法を持ち、戦争放棄を世界に宣言した日本は、平和国家として新たな問題に直面している。平和な国の悩みで、ある意味嬉しい悩みであり、その程度の悩みがなければ、日本の政治家にやることはないということになる。安全保障と外交はアメリカ頼みで、経済は優秀な技術を経営者頼みで、行政は優秀な官僚頼みであるから、政治家は安穏と政治資金集めとそれにまつわる出来事のために多くの時間を割いている。そんな政治家を養う国民は、100年に一度の経済危機の中、貧困と言う時代が逆行したような現実の中で苦しんでいる。 1億2,769万2,000人の中で、真実の幸せを感じる人は2.789万人2000年なら、端数が幸せだとも言えるが、そんな数の幸せ者がいるとは思えない。果たして、どれだけの人が私は幸せと言えるかと考えると、不幸な人間の基準での幸せ探しのような気がして空しいものである。自分が不幸とは思わないが、財産がなくても自分が貧しいとも貧困とも思わないが、などと、思っても、現在は世界的な不況で経済的な問題が、幸、不幸の最大の要素となってきた。 経済問題といっても、生命維持の最小限の食料の問題となっては、幸、不幸を考える以前の問題になってくる。国民が富みを実感できなくても、飢餓の恐怖など感じることのない経済的基盤があって、死ぬまで国家国民の一員として生きる保証が与えられ、喜びや悲しみの感情が交差し、恋や愛などの人間的感情の絡みあう幸福論が論じられ国が日本だと言いたい。総人口1億2,769万2,000人が、幸せではないが不幸でもないといえるのが、最も理想的かも知れないと、幸せの基準も、一歩も二歩も引かなければならないのが現実でもある。 1億2,769万2,000人の幸せは、不可能でも、せめて、1億人の幸せは、と、自分の不幸も忘れて考えるのは、可笑しくもあり、悲しくもあり、、、そんな春の日は花粉がベールを張ったような空で、陽射しは柔らかくなり優しくなっている。1億2,769万2,000人のさくらは、もう直ぐ満開となり、1億2,769万2,000人の人口の国は、桜色の幸せ色に変わる。 因みに、日本は人口密度で世界34位平方キロの人口は336人である。面積は377.915平方キロメートルである。 因みに世界の人口では日本は第10位である。勿論一位は中国で13億2300人だが、実数ははるかに多いと言う。2位は勿論インドで11億1650万人で、二桁の臆は、この2国である。 男性6225万1000人に対して、女性6544万1000人で、男が優位の人口構成だと馬鹿なことを考えるが、数の勢力では女性優位と、馬鹿げた無意味なことを考える。