カテゴリ:脱原発
迂闊にもこの本を今読んだ。
この本は1980年代前半には既に上梓されていた。その後、文庫化され、その後岩波ライブラリーに入り、そして東北大震災後に青志社から311も含む年表を付けた上で単行本化され、それをたまたま三田図書館で新着本として書架にあったのを手に取ったわけだった。 鎌田慧氏が60年代初頭の、まさに日本に原発が導入されてきたときから原発建設各地をルポして記録したのがこの本。そこには、東電や東北電力が金をばらまいて過疎地の人達の心を買い占めていく様子が鮮やかに記されている。この人達を誰が責められるだろうか?僕は今多額の借金を負っているわけではないし、富まずといえど貧窮しているわけではないから目先のことより理念を大事にしたいと思うけれど、もしも僕が今多額の借金を負っていて、そこに東電が来て、「おたくの土地を売ってくれて漁業権を放棄してくれたら補償はたんまりするし、更におたくの町に道路を造ってあげましょう。」なんて言われたら僕は魂を売り渡すだろう。だって原発の安全性はお国が保証してくれるというのだから。 そういった欺瞞の上に成り立つ原発はすべて止めなければいけない。火力発電を50%しか稼働させないで、大企業のもつ自家発電の電気を「高いから」と買いもしないで、全発電量の3割を占める原発が全部停まったら日本の経済はたちゆかない、などど恐怖感を煽る電力会社の言い分に騙されてはイケナイだろう。 今回の事故で僕ははっきりそういった欺瞞性に気づいてしまった。 もう50年前から原発を追い、その危険性を言い続けてきた鎌田さんの不安が現実のものになってしまった。この本を今やっと手にした自分自身を含め、なんと安穏と過疎地の犠牲の上に今まで暮らしてきたかと慄然たる想いを抱くのは僕だけではないはずだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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