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今日は久しぶりに音楽とは関係ないことを書く。昨日は、子供相手に仮説実験授業を用意しておいたのに、残念なことに子供がいなかった。それで、コーヒーを飲みながら哲学談義をしてきた。根本問題の唯物論と観念論について。
この問題は、哲学的には僕は決着がついていると思っている。主観と客観の関係で、客観的な物質が存在するから、主観という心が生まれるのであって、まず心が先にあって、その心が客観的な存在を生み出すのは、文学とSFの世界だけだ。 でも、主観の世界は、客観の世界よりもおもしろいことがあるから、人々は観念論も忘れることが出来ない。僕も、基本的には唯物論者だけれど、観念論に身をゆだねている方が楽しいときは、唯物論者であることを忘れている。 若い卒業生と話をしたときに、恋愛の哲学という話になった。恋愛をするときに、自分が好きになった相手が世界で一番きれいだと思うのは、これは主観の世界の話だけれど、それは自分の主観ということでいえば真実を語っているわけだ。人がどう思おうと関係ない。客観なんか無視して、主観の世界に浸りきった方が楽しい。 だいたい、好きな人が一番ステキに思えないような恋愛なんかしてもつまらないだろうといったら、意外な答えが返ってきたと思ったのか、笑われてしまった。 結局僕の結論は、恋愛の時は観念論の方が楽しいので、観念論で行くべきだということだ。正しいか正しくないかじゃなくて、楽しいか楽しくないかを基準にしたら、観念論の方が楽しい。主観の世界に浸る方が楽しいものだ。 唯物論者でいたいときは、その考えている問題が、正しいか正しくないか、真理であるかないかを問題にしているときだ。いくら好きでも、真理でなければあきらめなければならない。そういう問題を考えるときは、唯物論者でいた方がいい。 昨日は久しぶりに哲学青年に戻った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
今日の秀さんの日記は哲学か~
「ソフィーの世界」子供にも解りやすい哲学というので読んだら(子供にもわかるんだ~♪)良く理解できなくてちょっとだけ落ち込みました! だから哲学と聴くと身構えちゃう私! ソクラテスもプラトンも誰が誰やら・・の私なんで気の利いたコメントも出来なくてごめんなさいね♪ (2002.08.26 11:23:31)
わたしは絶対に観念で生きてきた人間ですね。直感は正しいと今でも思っている。第3者になってみつめてみるデータ論より、最終的には自分の直感が正しいことが多いような気がするからです。自分の思い込み部分がかなりあるとは思いますが。誰かと出会ったときに感じる、なんかつかみきれない神秘的ではない「妖しいもどかしいいもの」を感じたときには、世間的にどんないい評価をもらっている人であってもいやな面を見てしまうことになる。
そんなこんなでわたしは「観念論者」なのでしょうか? 昨日のわたしの久々の悩みのお答え、すごく言いえていますね。フラの先生は、そういうわたしの気持ちをわかっていたんですね。今でも、たぶん強く前の先生の踊りに惹かれています。憧れですね。 まだ答えは出ないんで、先生にお返事してません。だけど、考えてみたらこの春からいろんな出会いや出来事があって、ちょっとまとめてみようかなーなんて思い立ちました。夕べから少しずつ、自分のこれまでのことを書いてます。 友達なんか、まだ若いのに「死ぬ準備を始めた」と言うのです。いつ死ぬかわからないから、部屋や物を整理するという。それとは違うけど、もう一度自分をみつめたくなりました。 (2002.08.26 13:26:27)
仮説実験授業、せっかく準備していたのに残念でしたね。
そんな楽しい「恒例行事」があるなんて、うらやましいです♪ 今日は難しい哲学?と思っていたら 恋愛論のとこ読んで、ア これならわかる!!と(笑) 芸能人でも 他の人がなんと言おうと 自分が「ステキ」と思っている人が一番ですから! 娘に時々「どこがいいの?」なんて 言われますけど(^^;ゞ (2002.08.26 16:42:29)
今日の、話題は哲学ですか・・・
でも、わかりやすい例えで、何とか理解できました。 そう言う私は、 第六感で生きてきました。 これで、たくさんの失敗もしましたが、 懲りずに、また行動が先走りしてしまいます。 少し落ち着いて考える時間も 必要ですね。 でも、人生は楽しくないと意味ないし 楽しく生きられるようにしていきたいと思っています。 たぶん、まだ時間はあると思うし これから出来る事もあると思うから・・ こういう話も楽しいので又聞かせてくださいね。 ただし わかりやすく・・(笑) (2002.08.26 18:23:10)
「貿易」っておもしろい表現ですね。
主観と客観かー。 色々な事柄で言えるな~と感じました。 日常の生活では、確かに自己の感情が入ってるのが主観で、感情抜きに冷静に物事を観る目を伴っているのがある意味客観かな、と感じます。その場の状況によってそれぞれ使いわけながら、生活してるのかもしれません。 私は感性で動いて失敗しまくりの人間なので、客観的に観る目を養っていかなきゃいかんな~と思ったりしています。 唯物論かー、哲学って難解ですけど、恋愛のたとえはわかりやすいですね。 (2002.08.26 20:52:52)
キルケゴールは哲学者だったけど、最後までレギーネと別れた事を心の底で後悔していた。恋愛は唯心論がないとつまらない。現実は圧倒的に唯物論が先行していると思うけど、この唯心論というのが結構宗教とかに根っこはやしているのではないかと勝手に思ったりしています。いずれにせよこの思想は生きている時にしか考えられない事なのでもっと楽しんだり、悲しんだり、怒ったりして考えて生きたい論です。
>教師が、教育委員会や文部省の方を見ていれば、自分は安泰だと思っているうちは、危機意識など生まれないのでしょうね これはサラリーマンの世界でも同じです。 しかし本気でやると首覚悟しなきゃならない問題でもあるので大変な現実です。 (2002.08.26 22:25:17)
哲学青年が描く恋愛論、楽しく拝見しました。
好きな人が一番素敵に見える時は確かにありますよね。 でも、長くは続かない・・。 「ハロー・グッドバイ」・・・明るいんだけれど、ちょっと切ないメロディー。これがいいんですね。 (2002.08.26 23:56:56)
かめこさん
哲学というのは、存在するあらゆるものを対象にするので、なんにでも哲学をするきっかけがあるのがおもしろいことです。主観と客観の問題は、哲学が生まれて以来の根本問題で、そう簡単に解決する問題ではないから、いろいろ考えられてまたおもしろいとも言えますね。 恋愛にしても勝負事にしても、当事者というのは唯物論的には出来ませんね。どうしても熱くなってしまう。でも、熱くならないとおもしろくないところもあるし、この矛盾したところが人間のおもしろいところなんだろうな。 「貿易」という言葉は、お互いが利益を感じたところに成立するというニュアンスが好きですね。一方的に押しつけたり奪ったりするのではなく、自分には必要ないものでも、必要とする人のところに届くというのは、実に合理的で気分のいいものだと思います。 (2002.08.27 07:45:02) |
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