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真理を求めて

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2005.05.13
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5月10日のプロジェクトXでは「ファイト!町工場に捧げる日本一の歌」というタイトルで、一人の国語教師を取り上げて放送をしていた。それは、番組のホームページによれば、次のような内容のものだ。


「大阪府・守口の町工場街。この町に日本一の歌声と呼ばれる合唱部がある。大阪府立淀川工業高校合唱部。合唱の全国コンクールで10回の優勝を誇る名門校。そして、全国で唯一の工業高校にある合唱部である。昭和54年、淀川工業のある守口は不況のただ中にいた。淀川工業もその影響を受け、卒業生の求人が激減していた。生徒たちは、将来への不安からやる気を失っていた。授業をさぼりゲームセンターに入り浸り、バイクで暴走した。問題を起こす生徒が続出、年に80人もの退学者が出た。そこに一人の新人教師が飛び込んだ。国語教師・高嶋昌二、当時23歳。理想に燃えていた。しかし授業中、生徒たちはマンガを読んだり、弁当を食べたりと見向きもしなかった。高嶋は思った。「歌を通して、生徒たちを変えられないか」。高校、大学と合唱部に所属してきた高嶋。歌うことの楽しさ、上達することの喜びを知っていた。高嶋は勧誘を始め、強引に生徒たちを集めた。菓子を与えたり、餃子をごちそうしたりと、あの手この手で生徒たちにやる気を持たせた。3年後、淀川工業高校に合唱部が生まれた。そして、臨んだ関西合唱コンクール。しかし、周囲は眉をしかめた。「淀工のやつらに歌など歌えるのか」。会場がどよめくなか、淀川工業の合唱が始まった。
 番組は、一人の教師の情熱が生徒たちを成長させ、合唱日本一獲得に至るまでの日々を描く。」


ここで紹介されている高島さんの実践は非情に素晴らしいもので、まさに感動的な物語だった。特に、スタジオに一緒に出てきた教え子の語る言葉は、教育というものの原点を知らせるものだったように感じた。

その教え子は、合唱部の合宿の費用が工面出来ずに、高島さんに不参加を告げにいくのだが、その時に高島さんは、「おまえが必要なんだ」といってその合宿費用を渡したという。合宿費用をかわりに立て替えてやろうという発想は、教師というものには普通に浮かんでくる発想かも知れない。しかし、「おまえが必要だから」という言葉は、すぐに出てくるには、お互いの間にそれだけの関係が築かれていないと出てこないのではないかと思った。

その教え子は、合宿費用を立て替えてくれたと言うことよりも、「おまえが必要だから」という言葉で、自分の存在を確認したことが嬉しかったと語っていた。必要とされる人間だと言うことを知ったことで、その生徒は、その必要とされる役割を全力で果たそうとするようになる。これほどの意欲を教え子に持たせることが出来ると言うことは、そこにすぐれた教育があるということを物語っていると思う。

その生徒は、立て替えてもらった合宿費用を返すために、翌日から新聞配達のアルバイトを始めたそうだ。高島さんは、純粋にその生徒が参加してくれることだけを願っていたのだと思うが、その純粋さが、生徒の他の面にも影響を与えて、受けた恩義を返すという人間的な成長ももたらしていると思う。

高島さんの実践のすばらしさは、単に気分的に生徒をおだててやる気を起こさせたというものではなく、ちゃんと結果を出して、コンクールでの入賞や優勝というもので、自分たちの努力が実ったのだと言うことを教えたことだと思う。やれば出来ると言葉で語るのではなく、確かにやれば出来たのだという現実を見せることで、そのことが出来た自分たちへの自信を持たせ、自分たちの価値を、それからの生活の支えに出来たと言うことが素晴らしい。

高島さんが教えた生徒たちが、最初から素質に恵まれた者たちだったら、これはそれほど感動を呼ぶような実践にはならなかったような感じもする。それは、高島さんの実践の結果と言うよりも、素質のある教え子の努力の成果だとも言えるからだ。しかし、高島さんの教え子たちは、素質に恵まれたと言うよりも、普通の生徒たちで、必ずしも突出した能力を持っていたとは思えない。

その生徒たちが、個々の能力では及ばないかも知れないが、全体の調和としては抜群の成果を見せ、しかもその中で確実に成長を遂げていくという教育を、高島さんは実践してきたように見えた。そこに、高島さんの教育者としての能力の高さを僕は感じた。非情に素晴らしい腕(技術)を持った教師だと思った。

このように、高島さんの実践は非情に感動的で素晴らしいものだと僕も思った。おそらく、この番組を見た人の多くは、僕と同じように高島さんの実践のすばらしさに感動したものだと思う。

僕などは、この実践の中に、『希望格差社会』の著者の山田さんが語っていた「能力をつけたくても資力のない者には、様々な形での能力開発の機会を、そして、努力したらそれだけ報われることが実感できる仕組み」の具体的なサンプルを見る思いがした。この生徒たちが、過大な期待を抱いて生きていたようには思えないので、それをクールダウンさせるカウンセリングは、この時代には必要なかっただろうと思う。むしろ、ささやかな期待すら達成出来ないのではないかという、自暴自棄に陥りそうな彼らに希望を持つことのすばらしさを教えていたように感じた。

その結果として内田さんが語っていた、「「喜び」は分かち合うことによって倍加し、「痛み」は分かち合うことによって癒される」と言うことも、彼らは実感として知るようになった感じがする。そのような成果をもたらした、本当に素晴らしい教育だと思った。

このように、高島さんの実践が素晴らしいものだと思う一方で、僕はこのことを伝えるプロジェクトXの姿勢というものにやや疑問を感じた。高島さんの実践が素晴らしいものであればあるほど、それを手放しで礼賛するような伝え方に疑問を感じてしまうのだ。

高島さんは本来は国語の教師だ。合唱の指導が専門ではない。ましてや合唱の指導をするために雇われたのではない。たまたま合唱の指導が出来たおかげで、この学校に合唱部を作ることが出来た。そして、実践の中で、高島さんは自身も合唱指導の能力を高めていったのだと思う。高島さんのすぐれた実践も、すべては偶然の産物のように見える。

しかし、高島さんの実践がすぐれているものであれば、それを公的な支援として発展させる方向を考えるべきなのではないだろうか。優れた能力を持った教員の個人的努力に寄りかかった実践というのは、社会的な職業としての教育を考えた場合に、システムの問題として僕は疑問を感じる。

高島さんのようにすぐれた実践をするには、それなりの恵まれた資質を持って、しかも人一倍の努力をしなければならないだろうと思う。しかし、それではそういう人材に恵まれなかった学校では、普通の教育さえも期待出来ないという状況になりかねない。突出したすぐれた教育は出来ないかも知れないが、一定のレベルでの教育は出来るというのが、社会的には必要なものではないのだろうか。

そのための手だてを考えるのは、統治権力の務めではないかと思う。我々は、ある意味では統治権力を握った政治家に、自らの統治をゆだねているのだが、それは彼らが社会の全体の利益をはかってくれるものとして、それをゆだねているのではないだろうか。

突出したすぐれた教師がたくさん出てくることは望ましいことではあるし、それが実現されれば素晴らしいとは思う。しかし、これは現実には難しいだろう。むしろ底辺のレベルをどう上げるかということがシステムにとっては大事なことではないかと思う。我々が文部科学省に期待することは、個々の教員の資質の向上の努力をさせることよりも、システムとして、最低限のレベルが上がるように環境を整えることなのではないかと思う。無理やりに努力をさせるのではなく、自然に努力が出来る環境を整えるべきなのではないかと思う。

高島さんは国語の教師だったが、たまたま合唱指導に高い能力を持ち、それが発揮出来る環境があったおかげでこのような素晴らしい実践が生まれた。これが、「たまたま」ではなく、システムとして必然的に機能するような方向を考えるべきではないだろうか。

合唱指導というものが教育においてこれだけの素晴らしい成果を上げるのであれば、合唱指導にすぐれた教員を、合唱指導を目的として配置出来るシステムがあってもいいのではないかと思う。その他のものについても同様だ。教科を教えるだけが学校ではないという発想も出来るのではないだろうか。

これにはもちろん弊害も出てくるだろう。甲子園を目指す高校などは、野球の指導にすぐれた人間を特別に雇って野球の腕を上げさせようとする。しかし、これは生徒個々の指導と言うよりも、学校の有名度を上げるために生徒を利用するという面が強いもので、教育としては疑問を感じるようなものもかなり多い。このような弊害にどう対処するかというのも、システムとして考える必要があるだろう。

プロジェクトXの取り上げ方に疑問を感じるのは、高島さんの実践のすばらしさが、高島さん個人の実践のすばらしさとしてしか取り上げられていないからだ。これは、高島さんをほめることに嫉妬しているのではない。高島さん個人の実践のすばらしさは承知の上で、それでもなお、システムにも言及すべきではなかったかという疑問だ。個人が努力し、高い能力さえ持っていれば、素晴らしい成果が上がるのだという発信をしているように僕は感じてしまった。

システムに問題がなければ、成果が上がらないのは努力が足りないせいだと言ってもいいだろう。しかし、普通の教員が、普通に努力してもなかなか成果が上がらないという現実がある場合は、それはシステムの問題の方こそが重要なのではないかと思う。突出してすぐれた教員が成果を上げているからといって、システムの問題に目をつぶるのは間違いだと思う。

今の学校は、努力していない教員はほとんどいないと言っていいだろう。それでもなお、学校における問題はあとからあとから出てくる。これは、個人の問題ではなく、やはりシステムの問題だと僕などは思う。プロジェクトXは、そのシステムの問題を見過ごしているのではないか、というのが僕が抱いた疑問だった。





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最終更新日  2005.05.13 09:10:05
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