小説のようなストライキ(2)
昨日の続きです。
経営者に復讐したいという「感覚」ですき家のストライキを言い出した人たちに「少し面倒なことはあるかもしれないけど、正当なストライキはこれだけのことが出来るのだ」と分かってもらいたくて、この「全て事実」の事例を紹介しました。
もちろん、この小さな労組は小さな端緒に着いたばかりです。しかし、この最初のカウンターパンチの成功によって、不当労働行為は簡単には出来なくなったはずです。
2.超スピードで労組結成へ
数日後、事業所の労働者10名が来所。県労連議長、同事務局長、西部労連議長(、私)、同事務局長の4名が対応し、労組結成の手順、県労連規約、組合費などについて説明をし、労働組合とは?などの学習をしました。その一週間後にも別のメンバー9名が来所し、労働組合の権利など、資料をつかって学習し、労組結成にむけて確信を深め合いました。
その後は、組合規約、組合加入手続き、役員選挙の候補者名簿、投票用紙、委任状、県労連・西部労連加盟手続き、結成大会次第、組合結成通知書などの作成から、結成大会の会場探しまでほとんど事務局長と二人三脚で準備しました。
その一方で、組合結成までは会社に気づかれぬようにと、繰り返し注意を喚起しながら、無事加入対象者21名中17名を組織し、結成大会にこぎつけました。大会後に3人が新たに加入。
相談から3週間あまり、という超スピードの労働組合結成は、私にとっても信じられないぐらいの驚きです。いま振り返って考えると、相談に訪れた当初から「労働組合には何ができるか?」という素朴な疑問に対し、現場の状況にそくした具体的な話し合いやミニがを重ねてきたことがこのような結果に結びついたと思います。
3.結成直後から組合つぶし攻撃はじまる
第一回団交でいきなりすと通告‼委員長への解雇通告を撤回させる
結成大会終了後、3役が社長宅に出向き組合結成通告と役員名簿を提出しました。その直後から、委員長や執行委員に対し脅迫や分断攻撃の電話が始まりました。脅迫電話は結成後3日間でピタリと治まりましたが、団交申し入れ・要求書提出をしてからは、要求項目第一項(解雇協議条項)を意識した委員長(契約社員)解雇、組織分断・切り崩し攻撃へとエスカレートし、組合員の中に不安が広がりました。
できたばかりの労働組合を、その芽の小さいうちに摘み取ってしまえ、という露骨な不当労働行為です。労組は早速、委員長に対する解雇通知白紙撤回を求めてスト権投票を実施、私は「ストライキ配置の通告」書の作成に取り掛かりました。
団交前日、最後の団交対策会議を出席者全員(9名)で意思統一しました。焦点は要求項目第一項であり、委員長に対する解雇策動をどう跳ね返すか、でした。そこで労組の方から出てきたのは、ストライキをやってでも委員長の雇用は守る、この問題は委員長だけの問題ではない、組合員の90%以上が有期雇用(パート)であり、私たち自身の問題だ、という強い意識でした。
議論は俄然白熱、ストをやるからには絶対成功させねばならない、最も効果的なストはいつから始めいつまでやるか、に議論が集中しました。結論は、明日(団交の翌日)から土日の休日を含む8日間、という労組員の並々ならぬ強い決意と覚悟を感じさせる衝撃的なものでした。スト参加者は全組合員20名、とする「ストライキ配置の通告」書を、第一回団交当日の午前中にFAX送信し、夕方からの交渉に臨みました。
私たちが会場に入るや否や、相手社長が「出席者は5名まででお願いします」と食い下がるのを「そのことも含めて考えているので、先ずは席についてから」と説得し、団体交渉は労使にとって初めてのことなので、団交の基本的なルールを確認することから始めようと、(1)交渉時間 (2)交渉の録音 (3)交渉窓口の設置 (4)団交の当事者と担当者及び出席人数 の4点についての交渉から始めました。(1)(2)(3)はまとまりましたが、(4)について相手社長は「会社は3人しか出席者がいない。だから組合も5人に絞れ」と主張、私たちが「出席人数を規制する法的根拠は何もない。交渉申し入れ時に文書で説明済み、ただし、交渉の中身で増減はありうる」と主張し、会社側交渉担当者の委任状は後日提出するということで、本題に入りました。
委員長が冒頭「私の解雇問題で、組合はスト権投票を実施し、スト賛成100%だった。交渉の成り行き次第では、ストに突入する、という重大な決意で交渉に臨んでいる」と発言。緊張感が漂う中、組合結成直後からの組合員切り崩し・分断・組合つぶしを狙った言動の数々を不当労働行為として厳しく糾弾、委員長の解雇問題はその中心をなす重大問題だ、と指摘し追求しました。
その結果、冒頭に合意した交渉時間は大幅に延長、会社は別室で協議した結果、解雇通知を全面撤回し、これまでと同様の労働条件で雇用継続(更新)すると回答しました。組合はそれを受け「スト突入解除」を宣言し、次回の交渉日を設定して、初めての団体交渉を終えました。