青春切符の旅1-3 伯耆大山を崇める弥生人
水木しげるロードをあとにして米子駅に着く。直ぐにバスに乗り換える。私の旅が考古学を無視するはずもない。来る途中地図を調べたら、米子に考古学資料館と埋蔵発掘センターがほぼ同じ処にありました。こういう処はたいてい大きな遺跡があるのです。
当たりでした。国の指定遺跡、福市遺跡のそばに考古学資料館がありました。福市遺跡は、数百にも及ぶ大規模な集落跡や、土壙墓など200以上の遺構の発見、土師器片が約35,000点が出土し、全国的に見ても類を見ないほど超大規模な遺跡だったらしい。1970年に一部が国指定遺跡に。山陰の市民運動で遺跡が保存された嚆矢になった。
公園には、お飾り程度の復元住居と竪穴式の墓にあったと思われる石棺が置いてあった。
素晴らしいのは、後期に墓が集中していたという丘の上に登ると、目の前に立派な伯耆大山が堂々と見えたことである。弥生人がこの景色を特別な想いで見ていたことは間違いがない。
地図をみると、昔は米子平野はもっと海が迫っていたはずだから、海から川を少し上ってこの村に帰った福市・青木遺跡の村人たちは、常に聖なる山の大山の意向を聞きながら生活していたことだろう。この地図の遺跡の右上には、日本最大の弥生「都市」妻木晩田遺跡がある。そこからは鉄が大量に出土している。朝鮮半島と密接な交流があったことは明らかで、その時大山は航海の大きな目標になったはずだ。この二つの遺跡がどのような関係だったのか、想像が暴走し始めたので、抑えた。
弥生時代の絵画土器は珍しい。
ベンガラが塗られた祭祀用の土器。
葬った亡骸に再度ベンガラを塗って、再葬するのは珍しいのではないか。
福市遺跡の東にある埋蔵文化センターにも行ってみた。あんまり見るものはなかった。
米子はネギが産地ということで、米子駅構内にあったラーメン屋でネギラーメンを食べた。そして、
18:23発 米子
伯備線(新見行)
乗車:1時間59分
運賃:2,590円
20:22着 新見
▼乗換31分
20:53発 新見
伯備線(岡山行)
乗車:1時間10分
22:03着 倉敷
こういうルートで倉敷に帰る。そこからさらに自転車で40分かけて帰った。流石に疲れた。