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教育基本法

2017年04月04日
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テーマ:ニュース(77474)
カテゴリ:教育基本法


怒り心頭である。教育勅語が教育現場でも、「否定的ではなく」使ってもいいということを、政府がお墨付きを与えた。1948年の「国会決議」をも踏みにじる、憲法違反の「閣議決定」である。教育勅語自体は一部分でもいい事は言っていないということはすでに述べたから繰り返さない。

教育勅語、教材で用いること否定せず 政府が答弁書 朝日新聞デジタル 3/31(金) 13:12配信

政府は31日、戦前・戦中の教育勅語を学校教育で使うことについて、「勅語を我が国の教育の唯一の根本とするような指導を行うことは不適切である」としたうえで、「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」との答弁書を閣議決定した。民進党の初鹿明博衆院議員の質問主意書に答えた。

勅語については、太平洋戦争後の1948年、衆参両院が排除・失効の確認を決議している。

また、稲田朋美防衛相が国会答弁で「親孝行や友達を大切にするとか、そういう(勅語の)核の部分は今も大切なもの」と述べたことの是非について、答弁書は「政治家個人としての見解」とし、政府としての見解を示さなかった。


教育勅語「唯一根本の指導」不適切…菅官房長官

読売新聞 4/3(月) 22:48配信

 菅官房長官は3日の記者会見で、教育勅語(ちょくご)の教育現場での取り扱いについて、「法制上の効力は喪失している。学校で教育の唯一の根本となるような指導を行うことは不適切だ」と述べた。

  その上で、「親を大切にするなどの項目もある。適切な配慮の下に教材として用いること自体は問題ない」との認識を示した。

  政府は3月31日の閣議で、「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」との答弁書を決定していた。


官房長官の説明にもならない言い訳は、下の毎日記事の最後の辻田真佐憲氏の批判(下線部分)で基本的に根拠を失っている。さらに言えば、昨日の国会答弁で、松野博文文科相は「どの一文でもって憲法に反しているのか、反していないのかを決める解釈権を文科省はもっていない」と言った。この人がこんなことを言っている中でどうやって「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いる」ことが可能なのか!!!その上で、「親を大切にするなどの項目もある。適切な配慮の下に教材として用い」たいとする政府の意図がどこにあるのか、あまりにもあきらかではないか!!!バカにするのにも、いい加減にしてもらいたい!!! 今すぐ閣議決定の撤回を!!!


<教育勅語>「戦前回帰」疑念招き 政権、保守層に配慮

毎日新聞 4/4(火) 0:01配信 

 安倍政権が戦前の教育規範とされた「教育勅語」を学校教材として使用することを否定しない見解を文書で示し、道徳教育を重視する姿勢と併せて「戦前回帰の動きでは」との疑念を招いている。見解は従来の政府答弁の延長線上にあり、安倍政権が実際に教育勅語の教材化を進めているわけではないが、安倍晋三首相を応援してきた保守層に対する配慮もにじむ。【野口武則】

  ◇「教材に教育勅語」

  「憲法や教育基本法などに反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」

  教育勅語についてこのような見解を盛り込んだ答弁書が閣議決定されたのは3月31日。民進党衆院議員の質問主意書に答えた。

  答弁書は「わが国の教育の唯一の根本とするような指導を行うことは不適切」ともしており、菅義偉官房長官は3日の記者会見で「戦後の諸改革の中で唯一の教育の根本として取り扱うことは禁止され、その後の教育基本法の制定で政治的、法的な効力は失っている」と説明した。

  実際、教育勅語は1948年に国会で排除・失効確認の決議が採択されている。それでもなお「戦前回帰」の疑念がくすぶるのは、従来の自民党政権が教育勅語の道徳的な面を強調し、「政治的、法的には失効したが道徳的には有効」との論理で全否定を避けてきたからだ。菅氏も「親を大切にする、兄弟仲良くする、友達を信じ合うことまで否定すべきでない」として、道徳の教材としては否定しない考えを示した。

  さかのぼれば国会決議に先立つ47年、第1次吉田内閣の高橋誠一郎文部相(当時)が「日本国憲法、教育基本法の施行と同時に、これと抵触する部分は効力を失うが、その他の部分は両立する」と述べたうえで、「政治的、法律的な効力を失い、孔孟(孔子、孟子)の教えとかモーゼの戒律と同様なものとなって存在する」との考えを示した。これが今日の政府答弁の原形になっている。

  近年では小泉内閣の小坂憲次文部科学相(当時)が2006年、「道徳律の一つとしてあるという見解も示されている」と答弁。安倍政権では道徳に重点を置く答弁が強まり、下村博文文科相(当時)が14年、「中身には今日でも通用する普遍的なものがある。この点に着目して学校で教材として使うことは差し支えない」と踏み込んだ。「日本が道義国家を目指すべきだという精神は取り戻すべきだ」とした稲田朋美防衛相の答弁もこれをなぞる。

  そもそも、第1次安倍内閣は「戦後レジーム(体制)からの脱却」を掲げ、憲法や教育基本法など戦後占領下の改革に否定的だった。それが教育勅語復活の意図を疑わせ、大阪市の学校法人「森友学園」の幼稚園が園児に教育勅語を暗唱させていたことがその疑念に拍車をかけた。稲田氏は06年の月刊誌で、幼稚園での教育勅語の素読を文部科学省が「適当でない」としたことに「どこがいけないのか」とかみついている。

  安倍首相自身も官房長官だった06年6月の答弁で「戦後の諸改革の中で神格化して扱うことが禁止された」と述べる一方で「大変すばらしい理念が書いてある」と評価もしている。

  政府が具体的に道徳教材とする方向で検討しているフシはない。松野博一文科相は3日の衆院決算行政監視委員会で、歴史や公民の教科書に参考資料として掲載される例を挙げ「わが国の歴史の理解を深める観点から用いることには問題がないというのが答弁書の趣旨だ」と火消しに努めた。

  ◇軍国主義助長の指摘も

 教育勅語は1890年10月、君主である明治天皇が、その「臣民」だった国民に守るべき徳目を説いた言葉として発布された。

  315文字で「朕(ちん)(天皇が自分自身を呼ぶ言葉)惟(おも)フニ」で始まる。根幹となっているのは「万一危急の大事が起こったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧(ささ)げて皇室国家のためにつくせ」(文部省「全文通釈」)という一節。「国の非常時には天皇のために命を懸けよ」という意味だ。

  国民教育の精神的支柱として戦前の学校で朗読が強制され、天皇の写真とともにまつられた。現在の道徳にあたる「修身」の教科書も教育勅語に基づいて作られ、軍国主義を助長したとの指摘がある。

  敗戦後、民主教育に転換する教育基本法が制定され、天皇を「象徴」とする国民主権の新憲法が公布された。これを受け、教育勅語は1948年6月、「主権在君や神話的国体観に基づき、基本的人権を損なう」として衆院で排除、参院で失効確認の決議が採択された。しかし、「親孝行や家族愛など良い面もある」などと再評価する保守系の政治家は後を絶たない。田中角栄、森喜朗両元首相らが典型だ。

  教育勅語に詳しい近現代史研究者の辻田真佐憲(まさのり)氏は「親孝行や家族愛も『天皇国家のために努力する』ための徳目の一つとして挙げられており、そこだけを抜き出して解釈するのは間違いだ。そうした価値観を説きたいのならそのまま言えばいい」と指摘する。教育勅語が学校教材として使用されることについて「歴史として否定的に取り扱うことはあってもいいが、つまみ食いをして道徳的価値観を押しつけるのは論外だ」と批判している。【伊澤拓也】







最終更新日  2017年04月04日 12時08分26秒
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2014年03月03日
カテゴリ:教育基本法
雨水、草木萌動 (そうもく めばえいずる) 卒業式の季節である。以下は君が代斉唱を巡って、Facebookで出て来ているコメントです。本人たちに無断でコピーしているので、名前は一切出しません。


そういえば、わたしは結構ダメさんだったかも。
立ったままで、歌わなかった記憶が。口元チェック対象ですね^^;
でも、いまこそ毅然とノーの態度を示さねばならない時ですね。

現在中1と小5の子どもたちの小学校入学式では、「国歌斉唱、ご起立願います」だったのが、昨年、小学校の卒業式と中学校の入学式では、「開会の辞、ご起立願います」の後、続いて国歌斉唱でした。「起立しないよりも敢えて着席する方がやりにくいからかな」と私も思いました。国歌斉唱で着席したのは私だけでした(夫は後れて来た 笑)。私も誰かに怒鳴られるんじゃないかとドキドキしましたが、他の場所で同じ行動を取っている人たちを思い浮かべていました。今まで、怒鳴られたり文句を言われたことはありません。

怒鳴られなくても、子供が人質になっているといろいろやりづらいですよね。

無理しなくていい。
同調する「フリ」でいい。
起立しても、内心の自由はあなたのもの。
自分の心さえ流されなければ、それでいい。
表面的におこないを強制させることはできても、心は屈服させることはできない。
しなやかに、したたかに。
みんな矛盾や後ろめたさを抱え生きている。
その秘めた気持ちだけには決して目を背けずに、明日もちゃんと生きていよう。

卒業式だと、もう縁が切れるから、着席でもいいですね。そうします。

形式的な式典なので、嫌ではありますが、起立はします。あくまで「形式的」にですけどね。反天皇主義なので、歌は当然歌いません。
親が起立拒否してもまわりから「変な人だな」と眉を顰められるだけでしょうが、教師や児童・生徒が意思表明するには現状相当な覚悟が必要ですね。良心的不服従を認めるインクルーシブな社会にしていきたいものです。日本は見事に逆行してるし...。

今31歳と30歳になった息子たちが子どもの頃、小・中・高の入学式と卒業式でわたしと妻は一度も起立しませんでした。そのことで息子たちが不利益を被ったことはなかったと思います。次男が小学校に入学して息子二人が在校生になった年のPTA総会で、わたしは日の丸・君が代に反対する意見書を朗読しましたが、そのことで息子たちがいじめられたりしたことはありませんでした。

以上とはまた、別の記事。
外国人のお母さんが「君が代斉唱の時に着席する」と、娘さんに伝えたら日頃は親思いの娘が「卒業式に来ないで」と言って部屋にこもってしまった、という記事に対して実に多くのコメントが寄せられた。これはその一部。


東京の教育委員会は特に厳しいと聞いています。
私は去年自分の通信教育の修了式は国立のNHK学園で、公立ではないけれど、先生たちが日の丸にお辞儀する構成の中で着席&歌いませんでした。意味が通じているのかわかりませんでしたが。でも、子供の式では今まで歌わなかったけれど起立はしていたかしら。小学校以来いじめがひどかったので気が弱くなっていたのかもしれません。田舎でケーブルテレビで撮影され、何度も放映されますので、今度は()さんと共に着席のまま参加します。
 ()さんのお嬢さんはショックを受けられたかもしれませんが、そのことの意味があとになってお分かりになるのではないかと思います。私も最後だからきちんとして、子供が自分の良心に従って生きる一つのあり方を示しておきたいです。

以前「お母さんの思想信条は別のところで表明してくれ。ここは俺の学校だ」と言われて、上の子たちの時に、ちょっとやめといたこともありました。でも、今度卒業式の三男は話せばわかる子だと思うので、やってみます。たった1分半ですしね。座って目を閉じて息を三回止めようと思います。

権力による強制と正面衝突するだけが抵抗ではない。
「起立を強制されるので、嫌々ながら従っています」ということを、世界に知らせることのほうが重要。

娘も私も一応起立はしますが君が代は歌いません。でも、さきほど()さんの例を出して聞いたところ、娘の答えは「卒業式は娘のものであって親のパフォーマンスの場ではない」でした。娘のいうことも一理あると思います。親の思想信条は理解していても、お嬢さんがこれまで培ってきた人間関係や、感情的な部分もあるでしょう。まずはお嬢さんとじっくり話し合ってみたらいかがでしょう。アクションを起こすことも大切ですが、お嬢さんがそれをどう捉えるかのほうが将来的にはずっと大切な気がします。

私は、すべてにおいて、強制される事には 全て従いません。子供たちにも 私の考え 思想も押しつけません。日の丸 君が代は唄いませんし、着席してます。三人の子供たちは 父の生き方だと 感じてる様です。三人とも成人してます。選挙も自分で行きます。葬儀や神社とは…。ちょっと違う対応です。どのような国家であろうとも 権力者による強制には 従わない。これが 私の生き方です。

起立の強制と口元の監視...
幼稚過ぎるほどの「見せかけ」を求めています。
見せかけ... 日本人には国を愛するふりを求め、外国人には他国に敬意を表すふりを求めています。
しかし、そんな「ふり」を求める前に、愛するに値する国なのか? 敬意を表するに値する国なのかをいま一度考えてほしいと思います。

安倍政権の「教育再生」政策は最悪です。「愛国心」の強制、「教育委員会改革」、教科書検定制度の改悪、どれも歴史改竄、憲法崩壊へまっしぐらです。是非、教育現場からも「反対!」の大きな声を上げて欲しいです。でもそれができない現実。厳しいです。

教育現場への国家の介入は断じて許すことは出来ません。
この問題で、親子の溝が出来るなんてとんでもないことです。お気持ちを察すると、胸が詰まります。
シェアしたいのですが、プライベートな事柄でもあるので、お許しを得てからにします。よろしいでしょうか?

日本人は、コメみたい。同じ色同じ形。水のようにザーザーあちこち流れる。一粒では力ないと思っている。でも一粒一粒が強力。早く気づけばいい。誰に何を強制される必要もないし、雑穀のように、さまざまな色形も、また栄養。
自分が正しいと思うことをするか、しないか、これを丸ごと伝えるチャンス。
違うことは悪くない!

Hさん、オラの答えはいたって簡単。「「君が代」はうたいません」のプラカードを持って黙って立つです。去年の、Mの中学の卒業式では「すみません。退席しますので、ちょっと待ってください」と言って「君が代」がなっている間、外に出ていました。高校の入学式でもやるでと言ったら来るなというので、一晩考えて冒頭の戦法をとりました。アピール度抜群でした。今日も今からましポンの高校に保護者を名乗ったビラを持って、卒業生・保護者・教職員に配ってきます。後でそのビラの写真をアップしますね。教職員は3回歌わなかったら処分なんて、バカバカしいことを押し付けようとする大阪府です。断固許せません。お咎めなしの保護者ができることをやります。それと、どなたか書かれていましたが、卒業式は卒業生だけでなく、保護者や教職員にとっても大切な日なんですよ。

育鵬社の歴史・公民教科書を使用している武蔵村山市では卒業式でなく、卒業証書授与式と言い、主役は子供たちで無くなっている気がします。
1.国旗を至る所に飾れ(卒業制作よりも目立つ所に)
2.卒業生と在校生を対面で座らせない(式の間は国旗にお尻を向けさせないため)
3.式の開会宣言に続けて国歌斉唱を行う(着席する意図間を与えないため)
などを教育委員会から各学校に細かい指示を出しています。
私は今年も来賓として参加しますが、子供達の前で国歌には堂々と着席しようと思いますけどね…。
思想信条の自由を伝える最後の授業です。

3月1日の娘の高校の卒業式、同じような状況で欠席しました。幼稚園の入学式から意思表示を続けてきた理由も娘は知っています。でも思春期の子どもの感情も分かる。自分も信念を曲げられないので欠席しました。子どもの卒業を祝う気持ちが本人に伝われば良い。これを理由に親子で喧嘩してしまうことが1番の愚策。そこまで分断されてしまうわけには行きません。時が経てばわかってくれる。自分の娘ですから。それまで社会の歪みを正す活動に自分なりに参加して行きます。

일본만 그런 게 아니라 한국도 신자유주의 교육체제에 신음하고 있습니다. 일교조의 저항도 이젠 잦아진 모양이군요. 한일 모두 안타까운 일입니다.

私は、みなさんと一緒に立って、その後深くお辞儀をして着席しました。意見が違っても、礼はつくしたい。

娘さんとの葛藤が切ないですね(・_;)

「とくに日本人でもなければ在日でもない、外国人としての立場は、ある意味で複雑です。」
私が外国にいたとき、こうした公式行事等に参加しているときにおいても、「私は外国人だから」と気楽な立場でしたが、日本においてはそうではない、という状況が異常ですね。

私にも高二の娘がいて、約三年前に中学校を巡回するカウンセラーにお話しを伺いました。その時驚いたのは、そのお年頃の現代娘は過敏な程、他人と異なることを恐れるということで、(男女の違いがあるかもしれませんが)私のその時代は真逆であったように思うのでショックでした。

お嬢さんは、日本の学校に通学しながら、外国人であることで納得できない思いや、逆に多角的な視点を有効に駆使できる「自由」さなど、複雑な気持ちを抱えていらっしゃるのですね。私は、子どもの意向を汲まず親の思いを優先させることは一番マズイと思います。子どもの晴れ姿を見ないのは残念ですが、お嬢さんのご意向に添われるのも、「反意」としてアリなのかもと思います。でも、これは決めるのはあくまでも当該保護者ですが。私自身は、K さんと同じように、何十年も(何十年!!実に悔しく責任を痛感するのですが)「日の君」反対をやってきました。子どもたちと、とことん話しあって、最後には子どもが「おかあさんの思想を子どものためにやめろとは言えない」と「日の君」反対の本質に気づいてくれたからできたと思っています。簡単ではなかったです。教職員、保護者への働きかけも日常的にやることで随分と同じ思いの方々と出会え、現在もそこで一致した関係は繋がっています。日本での最後の卒業式ですから、なおさら苦悩されていることが、とても胸に迫ってきますが、だからこそ思い出に残る素晴らしい卒業式にしてください!

()さん
上の娘から聞いた話です。(上記の投稿は下の娘のことです)
東京高校生平和ゼミナールの集まりで、ある男子高校生が次のような発言をしたそうです。
「都立高校に通っていますが、入学式で君が代斉唱の時、起立しなかったら、教師がそばに来て、「立ちなさい!」と何度も言い続けました。しかしそのまま座っていました。式が終わったら校長室に呼び出され「あなたのせいで式が台無しになったのではないか」と、怒鳴られました」

式の主体である生徒・児童が不起立(現在は起立させたままの状態で進行させますので「着席」闘争ですが)すると、学校だけでなく、親、地域からの反動を受けることも多々あります。そのため「日の君ホットライン」など設けて子どもたちを守ることもしています。しかし、これで完全に守れるわけではありません。子どもの方が逞しく蹴散らかして伸びてくれるのでむしろこちらが助けられた気になります。私自身、失敗やこうすればよかったということがたくさんありますが、保護者、教職員がその先頭にたたなくてはダメなんだということを痛感しました。そのため小学校なら5年から参列させますから、来るべき時に備えて入学以前から学校、地域の保護者と、とにかく関係をつくりました。これは「踏み絵」なのですから、「踏み絵」足らしめないようにするには本腰を入れた準備が必要なのです。

()さんがどういう行動をとったのかは、今のところまだわからな。教職員の君が代斉唱問題も大変だが、賞罰が決定している処では、気持ちは楽な処はあるかもしれない。親と子の君が代斉唱問題はまた、その結果がどうなるか、わからない分複雑です。今年はまた去年とは事情が違うかもしれません。深く鋭い問題が立ち上がっているようです。






最終更新日  2014年03月03日 11時20分35秒
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2009年08月29日
カテゴリ:教育基本法
昨日FMラジオのJ-WAVEで全国学力テストの結果を受けて識者がコメントをしていた。誰がしゃべっていたのか、どんなことを喋っていたのか、あまり覚えていないけど、しきりと「やっぱりねー」と肯くことが多かった。覚えている限りを書きたい。

「全国学力テストは今年で三年目。結果は三年とも同じ傾向で、小学校はずっと秋田が一位、福井が二位です。もう傾向は分ったのだから、きっぱり止めるか、10年に一度にするか、したほうがいい。一回やるのに莫大なおカネをかけるのだから(200億と言ったような気がするのだが)次回からはその金は教育環境を整えることに使ったほうがいい。」
「なぜ秋田県や福井県が上位になるのか。別に詰め込み教育やスパルタ教育をしたわけではなくて、その反対。子供がのびのび学ぶことの出来る環境を整えただけなのです。」


この発言を裏付けるようにウエブで調べたら、こんな新聞記事があったようです。
秋田県が一位になった理由を<河北新報コラム「河北春秋」2009/8/29付け>に、次のように紹介していました。
『・・同県では塾に通っていない小学生が約8割、中学生も7割近い。なのに成績が良い訳は?▼浦野弘秋田大教授が『秋田の子供はなぜ塾に行かずに成績がいいのか』で理由を書いている。「かつての日本では当たり前だった、学習環境と生活環境が今でもある」というのがその解答 ▼授業に集中する、予習・復習を行う、朝食をしっかり取る。つまり「昔ながらのやり方を『変えないこと』」。当たり前にやれば、成績は後から付いてくる。・・』

「一方では大都市で就学助成の比率が高いところ(貧困率が高いところ)では、学力テストの結果も悪かった。秋田や福井では体力測定で上位に入っている。結局学力はどう高まるかというと、この三年間でそれはもう明らかになったのではないか」

ホントにそうです。子供たちが当たり前に生き生きと生活できること、「健康で文化的な生活」をすることが出来ること、それが結局「学力を高める」ということになるのです。学力に序列をつけ、競争させて、知識を植え込むことでは決して学力は付かない、そのことをお金をかけて三回も実験したのだから、新しい政権のもと、これはもうすっかり止めて、教師の免許更新制などもすっぱりやめて、子供の立場に立った当たり前の教育に切り替えてもらいたいものです。






最終更新日  2009年08月29日 22時58分41秒
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2007年06月02日
カテゴリ:教育基本法
もうチョー忙しいのだけど、
この報告についてだけコメントしておきたい。
大学や学校に「競争原理導入」 教育再生会議第2次報告

「道徳の時間」などを導入するといのも馬鹿らしいが、一応「今はまだ」点数評価しないというのが、今までの運動の成果ではある。これも参議院選挙しだいでどうなるかはわからない。

問題は「大学など学校間に競争原理を導入することで予算配分の適正化や教員の資質向上をめざすことを提言」するということだ。学校と先生に能力給を入れようというものだ。これは生徒を「成果」で評価するということと同じだ。社会でこれを導入して、うまくいっているところのほうが少ないということとを安倍首相はご存じないのだろうか。

これは生徒をランク付けするのと同じだ。それがどれだけ生徒を傷つけるか、想像できないのだろうか。

安倍首相は記者団に「こうすれば日本の教育は良い方向に変わっていくという提言をいただいた」と語ったという。









最終更新日  2007年06月02日 07時10分38秒
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2007年05月29日
カテゴリ:教育基本法
安倍信三内閣の支持率が急落した。いろんな要因があるだろうが、やっとこのまま彼に思うようにさせたらとんでもないことになりそうだ、という「声なき声」が浸透しだしたのだとっていいだろう。それは例えば、ネットウヨがごまんと投票するリアヨロの調査でも自公を足しても民主に追いついていないという結果になっていることからも分かる。こういう自体に胸をなでおろしていては駄目だと、私は思う。
「水滸伝」の軍師呉用ならこの機を逃さずに教育3法反対で一週間も待たずに二万の参加者で国会を包囲させるだろう。林沖の騎馬隊ならぬ1000の先発隊ですぐにでも座り込みをさせるだろう。宋江よろしく、全国民が納得する「共同宣言文」を出すだろう。
と、長屋の諸葛孔明はつぶやく。すみません。愚痴のような記事でした。

produced by 「13日の水曜日」碧猫さん






最終更新日  2007年05月29日 13時06分56秒
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2007年03月19日
カテゴリ:教育基本法
あなたの母校が消える。かもしれない。(下の朝日の記事を参照)
こんな事態になって、なぜ大学が黙っているのか、不思議でならない。OBが声を出さないのか、不思議でならない。
この場合、大切にしなければならない視点が二つあると思う。
ひとつは、半分以上の大学ではなく、この数が減ったら好しということではない、ということだ。大学への予算配分に「競争原理の導入」を入れること自体が、大学の「学問」への政府の大きな干渉であり、破壊であるということである。
もうひとつは、確かに少子化の影響で、大学に来る学生も減っているし、小さな政府を目指すためにも経費削減は必要であろう。けれども「小さくする」のは軍事費や無駄な公共事業であって、教育予算ではない、ということである。
今度のグァムへの米軍基地建設費用に約7320億円が一年間で投じられようとしている。「米軍再編」で投じられる国家予算は全部で三兆円だとかそれ以上だといわれている。そんなことのために、もっとも大切な自主的で未来のある大学教育を潰していいのか。

二つの視点を通していえるのは、安倍政権の根本を潰さない限り、この流れを止められないということだろう。

学生よ、教授会よ、OBよ、怒れ!

地方国立大「存続ムリ」 競争型の交付金案牽制2007年03月18日19時06分

 日本の半分の県から国立大学が姿を消しかねない――。国立大への国の運営費交付金の配分方法について、経済財政諮問会議の民間議員が「競争原理の導入」を提言したのに対し、文部科学省がこんな試算をまとめた。国立大の危機感を背景に一定の前提を置いて計算したもので、諮問会議側を牽制(けんせい)する狙いがあるとみられる。

 発端は、日本経団連の御手洗冨士夫会長ら民間議員4人が2月末の諮問会議に出した提言。運営費交付金が、学生数や設備などに連動して配分されている現状に疑問を投げかけ、配分ルールについて「大学の努力と成果に応じたものに」などとの改革案を示した。

 3月上旬に都内であった国立大学協会の総会では、学長らから悲鳴に近い訴えが相次いだ。「日本の大学教育がほろびかねない」「地方の大学は抹殺される」

 このため文科省は、競争原理を導入した際の各大学の交付金の増減を試算した。研究の内容や成果に従って配分されている科学研究費補助金(科研費)の05年度獲得実績に基づいて計算すると、全87校のうち70校で交付金が減り、うち47校は半分以下となって「経営が成り立たなくなる」(文科省)との結果が出た。国立大がなくなるとされたのは秋田や三重、島根、佐賀など24県。私立大も少ない地方が多く、地元大学への道が狭まりかねないとする。

 文科省は最近、国立大に対する補助金に「競争的資金」を増やしてきた。科研費のほか、世界的な研究拠点を目指す大学に対する「21世紀COE」などがある。その文科省も運営費交付金については「人件費や光熱費などをまかなう、人間で言えば三度の食事のようなもの」として、大幅な見直しには否定的だ。

 諮問会議の民間議員は改革案を6月ごろに閣議決定される「骨太の方針」に盛り込みたい考えだ。今後、国立大側が反発を強めるのは必至で、議論は紛糾しそうだ。








最終更新日  2007年03月19日 13時28分00秒
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2007年02月28日
カテゴリ:教育基本法
陪審員制度では、このような裁判は扱わないのだろうか。
けれども、陪審員になったつもりで少し考えてみる。
君が代のピアノ伴奏命じた校長の命令は合憲 最高裁判決
東京都日野市立小学校の99年の入学式で「君が代」のピアノ伴奏をしなかったとして戒告処分を受けた女性音楽教諭が、都教育委員会を相手に処分取り消しを求めた訴訟の上告審判決が27日、あった。最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)は「伴奏を命じた校長の職務命令は、思想・良心の自由を保障する憲法19条に反しない」との初判断を示し、教諭の上告を棄却した。5裁判官中4人の多数意見で、藤田宙靖(ときやす)裁判官は反対意見を述べた

上告破棄の根拠は以下の三点である。

 (1)「君が代が過去の日本のアジア侵略と結びついている」とする教諭の歴史観・世界観自体を否定しない

当たり前ですね。「思想信条の自由」は何人にも犯されない最終的な基本的権利です。

2)(伴奏命令は)特定の思想を持つことを強制・禁止したり特定の思想の有無の告白を強要したりするものではない。命令当時、君が代斉唱が広く行われていた

異論がある。しかし、少し長くて回りくどいが、昨年九月の東京地裁の判決を援用して反論に変えてみよう。
「被告らは,本件通達に基づき校長が教職員に対し国歌斉唱を命じ,ピアノ伴奏を命じることは,教職員に対し一定の外部的行為を命じるものであり,当該教職員の内心領域における精神活動までを制約するものではなく,思想,良心の自由を侵害していないと主張する。しかし、人の内心領域の精神的活動は外部的行為と密接な関係を有するものであり,これを切り離して考えることは困難かつ不自然であり,入学式,卒業式等の式典において,国旗に向かって起立したくない,国家を斉唱レたくない,或いは国歌を伴奏したくないという思想,良心を持つ教職員にこれらの行為を命じることは,これらの思想,良心を有する者の自由権を侵害しているというべきであり,上記被告らの主張は採用することができない。」

「人の内心領域の精神的活動は外部的行為と密接な関係を有する」つまり、年二回30秒だけ「気に入らないこと」を命令したとしてもそれは、心の奥の重要な部分をひどく傷つけることになるのである。最高裁の裁判官は、そんな一般庶民のささやかで譲れない「心」を理解できないのでしょう。さらに言えば、

「原告らのうち音楽科担当教員は,音楽科の授業においてピアノ伴奏をする義務を負っているものの,入学式,卒業式等の式典における国歌斉唱の伴奏は音楽科の授業とは異なり、必ずしもこれをピアノ伴奏で行わなければならないものではないし,仮に音楽科担当教員が国歌斉唱の際のピアノ伴奏を拒否したとしても,他の代替手段も可能と考えられ,当該教員に対し伴奏を拒否するか否かについて予め確認しておけば式典の進行等が滞るおそれもないはずである。  そして,原告ら教職員が入学式,卒業式等の式典において国歌斉唱の際に国旗に向かって起立して国歌を斉唱すること,ピアノ伴奏をすることを拒否した場合に,これとは異なる世界観,主義,主張等を持つ者に対し,ある種の不快感を与えることがあるとしても,憲法は相反ずる世界観,主義,主張等を持つ者に対しても相互の理解を求めているのであって(憲法13条等参照),このような不快感等により原告ら教職員の基本的人権を制約することは相当とは思われない。」

ここの文章はわかりやすい。東京地裁の言うとおりだ。「命令当時、君が代斉唱が広く行われていた」それが何だというのだ。憲法13条を読みなさい。

▽憲法は公務員は全体の奉仕者と定めており、地方公務員は法令や職務命令に従わなければならない立場にある、とも指摘した。

ほう、そうか。しかし、公務員は憲法を遵守することを誓った者たちである。上司の命令よりも、憲法を守るほうが最優先されるのは明らかでしょう。最高裁の判事がそのことを知らないとは言わせません。「思想信条の自由」の確保、それが最優先されるのです。

 
 小法廷の意見は割れた。「卒業式の秩序維持」を強調する補足意見が出る一方、藤田裁判官は「君が代斉唱の強制自体に強く反対する信念を抱く者に、公的儀式での斉唱への協力を強制することが、当人の信念そのものへの直接的抑圧となることは明白だ」として、審理を高裁に差し戻すべきだと述べた。

女性教諭はこの補足意見が出たことで、上告してよかった、と語ったそうだ。
藤田裁判官以外は今度の参院議員選挙で全員落とそう。

ピアノ伴奏について最高裁の判決が出てしまった。しかし、この論理はそのまま国旗起立、国家斉唱には援用できない。まだ、次がある。







最終更新日  2007年02月28日 22時12分13秒
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2007年01月28日
カテゴリ:教育基本法
abi.abiさん にこの記事をささげます。

不安倍増首相の施政方針演説を我慢して全文を読んでみた。まるでマニュフェストみたいに箇条書きに方針がならぶ。全体として感じることは、「なんだか、ものすごく悲しい」ということだ。まるで「心の真ん中にビュービューと風が吹いているようだ」これはいったいどういうことなんだろう。少し考えてみた。

不安倍増は言う。
「公共の精神や自律の精神、自分たちが生まれ育った地域や国に対する愛着愛情、道徳心、そういった価値観を今までおろそかにしてきたのではないでしょうか。こうした価値観を、しっかりと子どもたちに教えていくことこそ、日本の将来にとって極めて重要であると考えます。」‥‥‥国が、地域や国に対する愛着愛情をしっかり子供たちに教えていくこと。 もう、法律が出来たものだから何はばかることなく言っています。実際こんな文章が活字になって新聞に載っているのを見るのは、嫌いだった先生に予想とおりひどいこと言われた時のようにつらい。憲法が変わった暁には今度は「国を守る」ことも教えるのだろう。

「愛情を教える」と言うことを改めてどういうことなのか、考えてみる。

手塚治虫の「火の鳥・未来編」では愛情を教える主体は巨大マザーコンピューター「ハレルヤ」であった。若い指導者ロックは彼女の言うことは母親のようにすべてそのまま聞く。メガロポリス・ヤマトの場合、服装も朝食も彼女の指示通りに動いているのだ。ロックもハレルヤから「私の計算では幸福になれない」といわれ、恋人と別れる。まさに愛情まで、コンピューターが計算して管理する未来なのである。そして西暦3404年、全てをコンピューターに任せた五つのドーム都市はコンピューター同士がけんかをして同時に核戦争で滅亡する。

人類の危機にあたって、人類よりもはるかに優秀な機械に国の方針を任せたことが、すべての間違いだった。

今回再読して気がついたのであるが、未来編にはひとつの悲しい「愛情物語」があった。天才・猿田博士と女性型ロボットたちとの顛末である。大きな鼻で顔の醜い猿田博士はどの女性からも愛されなかったため、ロボットで恋人や娘を何人も作る。けれどもやがてロボットの「好きよ」という言葉が信じられなくなる。すべてのロボットの声帯を取り、保管する。さて、主人公山之辺を追ってきた軍隊を退けるため、彼女たちは博士に命じられ外に出て行き敵と戦い一人ひとり自爆していく。(その戦闘場面のなんと美しいこと。韓国映画「トンマッコルへようこそ」はこの場面を使ったのだろうか)人間的な召使ロボットのロビタは博士に言う。「彼女たちは心から博士を愛していました。」それに対して博士は「‥‥‥わかっておる」というのだ。
‥‥‥なんて複雑な愛情なのだろう。人間にも愛情があるように、ロボットにも愛情がある。けれども二人は結びつくことができない。お互い理解しているのに、かけるべき言葉がないのである。(ロビタは実は奇跡的に結びついているのだが、それはまた別の物語)少年だった私はこの場面の意味が分からず、素通りしてしまった。今なら微かに分かる。本来たった4Pで描かれるような内容ではない。「鉄腕アトム」のリメイクを描いている浦澤直樹なら大長編の物語に変えてしまうだろう。

「愛情」とはそもそもそんなにも難しいものなのに、だれが「愛する」ことを教えることが出来るというのだろう。

ロックもいったんはメガロ・ポリスを見捨てて逃げようとするが、自分の死期を悟ると放射能渦巻く自分のふるさとの火口で一生を終えるのである。これは「愛国心」というのでしょうか。どうでしょうか。

「こうした価値観を、しっかりと子どもたちに教えていく」とは、そこまで考えた上で、熟考した上で言われた言葉なのだろう。一度最高責任者が模範授業を見せてもらいたい。その上で、具体法を決めたらよろしい。

首相の演説を読んだ後の私の精神状態は例えば、ボブ・ディランの次の歌のようなものなのかもしれない。この歌の「風」は「むなしさ」ではない。「愛情」の一形態なのである、と私は思う。

Blowin' In The Wind
風に吹かれて


How many roads must a man walk down
Before you call him a man?
Yes, 'n' how many seas must a white dove sail
Before she sleeps in the sand?
Yes, 'n' how many times must the cannon balls fly
Before they're forever banned?

The answer, my friend, is blowin' in the wind,
The answer is blowin' in the wind.

ねえ、どれだけ歩きゃいいんだよ?
あんたに人間扱いしてもらうためにはさ。
ねえ、いくつの海を越えればいいのさ?
飛び疲れた鳩が浜辺でゆっくり眠るためにはさ。
まったく、
どれだけ大砲の玉をぶっ放せばいいのさ?
そんなもの、この世から無くしちまうためにはさ。

ほら、その答はさ、あの風を見なよ。
風ん中にびゅうびゅう吹かれているじゃないか

Words and Music by Bob Dylan; 1962 Warner Bros. Inc
Renewed 1990 Special Rider Music
J-T@keさんの訳


「20万アクセス突破記念」abi.abiさんから宿題として出された三題話「憲法」「火の鳥」「ボブ・ディラン」をやっと書き終えることができました。申し訳ありません。こんなんでご勘弁を。






最終更新日  2007年01月29日 01時05分01秒
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2007年01月09日
カテゴリ:教育基本法
今日おそらくほとんどの全国紙に、一面を使って不安倍増の笑顔が載っている。
「皆さんは何から始めますか。私はウォームビズから始めます。」自民党の広告でもなければ、内閣府の広報でもない。地球温暖化対策推進本部の全国的なキャンペーンの一環である。

教育を重視する不安倍増は、飲酒運転や温暖化防止キャンペーン、まずはみんなが反対できない事柄から国民をひとつの方向にまとめて行く戦術のように思うのはうがち過ぎなのだろうか。

世耕弘成首相補佐官は25~35歳(ロストジェネレーション)対策で
「話が官僚調だとアクセス数はてきめんに落ちる。ビジュアルで身近なテーマには飛びつく。」と特徴を捉えているらしい。。あるいは、「1.政策に共感すれば自民でも共産でもぱっと乗るが、媚を売ると見透かされる。2.経済的にいい思いをしておらず、生活に関心が高い。3.強いリーダーを求める。」とも考えている。そういう見方でこの広告を見ると、おお、計算されているなあ、と思う。

ただし、まだ慣れていないのか、その効果は疑問である。例えば社会に自覚的なロストジェネレーションのカナエさんはこのように突っ込みを入れている。

「ん? ちょっとまってよ。わたしなら外ではコートも着るけど?? 外も中もこの格好?? それとも、上着がコートでやっぱり室内では寒い格好?(暖房は?) 
 いや、「ウォームビズとはこういう格好です」と言っているのだわ。じゃあ、室内での撮影でもいいじゃない? 外にしたのは・・・マフラーつけたほうが格好いいから?? よくよく見れば、「エコ商品を選んで買っている女性」も寒そうな格好。ブラウスとスーツとスカートとパンプス。タイツや長い靴下もなし。後ろから歩いてくる人たちがコート姿なのを見ると、暖かい日でもなさそうな・・・。なんだか中途半端なウォームビズだなあ・・・。」

一生懸命、金かけて計算しているのに、中途半端。たぶん本気で地球温暖化阻止のためにこの広告を使っていないからだろう。一面広告の左上に首相のお言葉を配す。つまりこの広告は「美しい国」キャンペーンの一環なのである。
「(略)これからは環境でこそ世界一を目指す時代です。私たちには、昔から伝えられてきた知恵や、目覚しい進歩を遂げた環境技術があります。温暖化対策の最先進国へ。一人ひとりが本気になれば、日本は世界から信頼され、尊敬される美しい国になれると信じています。」チームリーダー内閣総理大臣 安倍晋三
言葉をひとつ二つ書き換えれば、見事な美国(アメリカ)の属国日本の姿になる。

そこで私は少しだけ言葉を変えて、首相に進言したい。
私もこのキャンペーンに乗っかり、エコクイズなるものをして見ました。その中にアメリカは地球全体の熱量の何%を消費しているでしょうか、というのがありました。びっくり!22%です。そこでぜひともこのように書いて欲しい。
「温暖化対策の最先進国へ。京都議定書を拒否している米国に批准するように同盟国としての義務として進言します。わたし一人が本気になれば、日本は世界から信頼され、尊敬される美しい国になれると信じています。」チームリーダー内閣総理大臣 安倍晋三

安倍さんは何から始めますか。あなたはここからはじめて欲しい。無理だけど。






最終更新日  2007年01月11日 00時00分05秒
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2006年12月19日
カテゴリ:教育基本法
昼休みの時間に書いていて、あまり時間も無いのでコピーだけします。
教育基本法改悪抗議・要請・檄礼メールは改悪法が可決された後も、まだまだ元気なようです。実際、これから基本法を具体化するために37もの具体法が準備されるそうです。市町村段階では法令という形でさらに具体化されるかもしれません。ぜんぜん絶望している暇など無いのだ、ということなのでしょう。

メールした文章を見ていると、うなずいたり、上手いなあと思うような文章ばかりです。
その中でこんなメールもありました。12月17日付けのメールにあったものです。

(以下転載)
小学校の先生からメールをもらいました。
抗議声明を書けないから、こんなかたちで抗議の声を書いてみた、と。かわりに紹介します。
ーーーーーーココカラーーーーーー
学校は泣いています。
「平和的な国家及び社会の形成者」としての子ども達を尊敬の念をもって教え育てる教育の場・・「学校」はどこへいったのでしょうか。
学校は子ども達の学びの場ではなく、「学力」向上をめざすドリル工場となってしまったのでしょうか。

学校は嘆いています。
子ども達や教職員、父母、国民の声に耳を傾ける事なく虚偽に塗り固められた卑怯な手口で教育基本法を書き換える事で学校は「愛国心」を教え込む場、内心の自由を侵す場となるのでしょうか。

学校は怒っています。
教師間、学校間に競争を持ち込み学校は、「特色づくり」「学校選択の自由化」という名の競売にかけら
れるのでしょうか。

学校は尋ねています。
あの戦争の暗黒の時代から「明けない夜はない」と守り続けた教師の良心、教育への希望を託した「教育基本法」の行方を。

子ども達は 声なき声で叫んでいます。
不登校、学級崩壊、いじめ、自殺・・・
言葉にならない子ども達の叫びに耳を傾けて下さい。

子ども達はもとめています
競争ではなく、共同の学びの場を
排除ではなく、共生の生き方を
「平和的な社会の形成者」として人間が尊重される学校を
「真教育基本法」が息づき、生きる学校を
ーーーーーーココマデーーーーーー

十分な審議もせず強行採決した政治家たち、まともに報道しなかった報道機関の人たち。この声に応えてください。







最終更新日  2006年12月19日 12時59分53秒
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