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読書(フィクション)

2006年12月27日
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テーマ:本日の1冊(2997)

『カールズ・ブルー』あさのあつこ 文春文庫
文庫解説の金原端人が「80年代、ヤングアダルト小説は振るわなかった。なぜならそれに代わるものとしてマンガがあったからだ。」という意味のことを言って大島弓子、岡崎京子、吉田秋生、山岸涼子、岡野玲子、吉野朔実、川原泉、水野英子、内田善美の名をあげている。どうしてこれらの名の中に萩尾望都、清原なつみ、三原順の名が無いのか、疑問ではあるが、確かに昔の少女漫画には輝きがあった。(どのようにあったのかはここでは立ち入らない。)一方、ヤングアダルト小説なるものを私は読まなかった。ワンパターンの恋愛小説だと思っていたからである。金原端人によると、90年代からその様相が逆転したらしい。江口香織、三浦しをん、角田光代、梨木香歩、藤野千夜、野中柊、梨屋アリエ、森絵都、佐藤多佳子らの名があげられ、(何人かは直木賞作家になっている)「もうマンガではすくい取れなくなってしまった若者たちを驚くほどたくみに細やかにすくいあげているのだ」と評価する。その中でひときわ輝いてるのが、あさのあつこだというのだ。確かに、これらの作家のほとんどを私は読んでいないが、あさのあつこの中には吉田秋生や三浦順的世界が確かにあるのを私も感じる。

この本の感想をメモしていた土曜日の朝、私はマクドナルドにいた。4人くらいの17歳ぐらいの男の子がどやどやと入ってきて、店全体に響き渡るような声でおしゃべりを始めた。いや、4人がではない。よく聞くと、大きな声は一人のみ。一時間ほど聞いていると、この男のがどんな子なのか分かるくらいあけすけに思ったことをそのまましゃべっているという感じである。そういう性格なのだろう。
もてるらしい。
女の子たちはこの男の子をどうしようもない、と思いながら、でも良いところが忘れられずに付き合っているのかもしれない。なんか、そんなことまで分かるくらい彼はいろいろなことを喋り出した。
彼の言うには、
たくさんの女の子と付き合ってきて桃子のことが一番好きだったこと。
今の彼女とは上手くいっていなくて別れたいこと。
理科のテストで一番を取ったこと。
3ヶ月の子どもを堕ろしたこと。
3回浮気して許してもらったけど、
彼女の一回の浮気が許せないこと。
そういう彼に対して、一人の男の子は浮気なんて考えられない、と自分の彼女の話をする。
一人の男の子はぼそぼそと一言二言話す。
声の大きい男の子は「まじめな話‥」と言い出すと、隣の男の子はすぐに「お前が言うとまじめだと思えない」と返す。でもその男の子も本気で怒っているわけではない。
「だって遊びたい年頃なんだもん。今すぐカラオケに行って何時間でも歌いたいんだよ。」といって彼らは店を飛び出していった。
そのあと、店を出ようとした中学生の女の子が、テーブルの上に片付けられていない紙コップを見て鼻で笑って出て行った。

この小説は「落ちこぼれ高校」に通う女の子、男の子が出てきて、小説的には「リアルワールド」みたいな事件は一切起こらない。大半は彼らのおしゃべりで埋まっている。けれども、そこからは17歳の世界が、いかにりりしく、強く、反対に弱いかを何とか掬い上げている。子どもを堕ろすような「悪い子」は出てこない。けれども、すこしずつ危うい。あるいは頼もしい。微妙な世界をあさのあつこはよくもこうもリアルに書けるものだと感心する。

先のマクドナルドの男のたち、いつか君たちとじっくりお話ししたいものです。






最終更新日  2006年12月27日 20時15分10秒
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2006年12月25日
テーマ:本日の1冊(2997)
今年のベストワンです。テーマは「男の贈り物」。ハードボイルド短編集です。もちろん、男にも読んでもらいたいけど、女性にはもっと読んでもらいたい。私からのクリスマスプレゼントだと思ってもらって「まあ、今頃紹介されても遅いじゃない」と拗ねていただいたら、嬉しい。

「セント・メリーのリボン」稲見一良 光文社文庫
「死を怖れ、怯えてただとり乱すことと、死ぬ覚悟を決めた上で息のある限り生きようと足掻くことは別だ。」
「麦畑のミッション」という短編の中で、B17爆撃機をイギリス田舎の水路に不時着させようとする直前、ジェイムス大尉はいつか見た罠にかかった雄ギツネのことを思い出す。
「信じられないことが時には起こるもんだ。絶対にありえないと言えることなど、世の中には何もない。」
大尉は息子にそんな風に話を聞かせてもいた。そして、この水路の近くにいる息子にいつかこのB17Fジーン・ハロー号を見せてあげるとも約束していた。

稲見一良のことはまったく知らなかった。今回「この文庫が凄い」で06年度第二位になったことで読んでみた。結果、ずーと手元においておきたい一冊になった。値段は税込み500円。本の厚さからいって100円ほどサービスしているような気がする。稲見一良の文章を広めようとして、遺族・出版社ともに儲け部分を削ったのだろうか。そう、稲見一良はすでに故人だ。活躍期間は89年から94年の5年間のみ。5冊の本が残された。処女長編「ダブルオー・バック」を刊行した時点で、医師から余命半年と宣告されていたと言う。

ガンはいつの間にか特別な病気ではなくなった。ガンを克服する人は多い。ガンで亡くなる人はさらに多い。ガンを告知されて、余命を延ばしながら素晴らしい仕事を成し遂げた人も枚挙にいとまない。例えば、余命は延ばさなかったが、「一年有半」の中江兆民、近くは約一年と少しで五冊の著書と旺盛な講演活動をした考古学者佐原真、今現在闘っている辺見庸。

みんなに共通しているのは、死を見つめていない、ということだ。死は見つめなくとも目の前にある。だとしたら、見つめるのはそこからしか見えない生の世界だ。とくに稲見一良はその人柄か、本当にやさしく見つめている。

中篇「セントメリーのリボン」で少女は犬専門のこわもての探偵、竜門卓に言う。
「無愛想に見えて、気配りのある優しいお人やから。」
「わたしがか?」
「とぼけてもだめ。自分でもわかっているはずや‥‥‥」






最終更新日  2006年12月25日 22時44分22秒
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2006年12月21日
テーマ:本日の1冊(2997)
私の長くない人生の中で、友達とつるんでいたという状況の中で、時と場所と人がすべて違っていたのに、同じ言葉を、おそらく三度ほど聞いたことがある。その言葉とは次のような、仲間に同意を促す台詞である。

「それにしてもなあ、俺たちほど個性的な人間が、こんなにひとつ処に集まるなんてめずらしいよなあ。」

バカか、お前は。と、私はそのたびごとに心の中で思った。ちょっと変わった趣味があるぐらいで、秘密の企てをしているぐらいで、中学生のときは四人の性格が単に違っているに過ぎなかったぐらいで、「めずらしい」もくそも無いもんだ、と。その時やはり自分は自覚していなかったのだと思う。自分では否定していたが、自分だけはこのような「ひと山いくら」のサルの群れの中には入らない、と自惚れていたのだ。



小説は四人の少女と、一人の少年の独白形式で話が進む。少年は母親を殺して逃走した。少女たちは興味半分に少年の逃走を助けてしまう。ケータイで結ばれる彼女たち。自分だけは、「特別な自分」を見事に「友達」の少女たちに隠しとおせると思っている彼女たち。その一方で、「本当の自分」を分かってくれる「誰か」を探している。桐野作品だから当然のように物語は悲劇に向って進んでいく。

いまどきの若者の覗き見はそれなりにスリルがあって楽しい。でも「柔らかな頬」(上)(下)「OUT」や「玉蘭」のように、私の心は引き裂かれない。若者たちの悩みはすでに私からはあまりにも遠いところにある。けれども、自分だけは人より特別だ、自分のことだけを誰か知っておいて欲しい、という欲望だけは今も健在だ。この高校生たちはバカだ、と笑いきれないのもそこら辺りにある。

高校生を持つ親なら、この五人の独白小説を読んで背筋が寒くなるだろうと思う。






最終更新日  2006年12月21日 12時49分46秒
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2006年10月31日
2006年9月10日午後4時ごろ、私は韓国の水原駅からソウルに向かう電車の切符を買った。1400W。日本円にすると180円くらい。ゼロをひとつ間違えてはいないだろうか。私は唖然とした。釜山から長い旅をして10日目、私はいつの間にかソウルにそんなにまで近づいていたというのだろうか。

電車は一号線を北上していく。客車も対面式の椅子である。木曜日の夕方、学生や会社員が増えていき、五時を過ぎて九老という大きな駅まで来ると客車はいっぱいになる。隅の椅子に座っていた私は、前の主婦があまりにも私のことを睨むので、おかしいなあと思っていたら老人専用の椅子であった。逃げるように席を離れると、私より少し歳のいった初老の方が優雅にあとを腰掛けた。夕染めの街を電車は走り、工場労働者と学生がどっと入ってくる。恋人は電車に入っても二人だけの世界を濃密に作る。彼らは隣りにはむすっとした冴えない中年がいるが無視する。もはや私は旅人ではない。一人の冴えない異邦人に過ぎない。私は新吉という駅で2号線に乗り換える。もうここからは地下鉄だ。すでに電車は大都会のソウルの中心地に入ろうとしていた。新吉駅のひとつ手前に永登浦駅というのがあった。今から思えば、あの電車から見た景色は、申京淑が16歳の頃鬱屈した思いを抱きながら毎日見ていた景色の一部だったのだろう。

離れ部屋
離れ部屋」申京淑著 訳:安宇植 集英社

長い前振りで申し訳ない。
21世紀のソウルの郊外の下町が、小説を読みながらしだいと私の中で26年前のソウルと重なってきたので、少し旅の思い出も書いてみた。
この小説は田舎からやってきた16歳の少女が、九老工業団地で働きながら、永登浦夜間女子高校に通った四年間を自伝的に描いたものである。時代は1978年から81年。朴正煕大統領の暗殺、80年光州事件があり、徹底的な労組敵視会社運営、それに対する激しい闘争があった。しかし小説の視点はつねに『16歳の私』『17歳の‥‥‥』というものである。文章は散文、あるいは詩的。
たった22日間の旅では見えないものがここにある。
韓国人のイメージは常に前向き、声が大きいというものなのだが、この主人公は恥ずかしがり屋であまり声をださない。
いろんな時代、いろんな生活、いろんな韓国人がある。当たり前のことではある。
法律を無視して労組つぶしをする会社を見ていると、昔の日本を見ているようであり、現代の日本を見ているような気もする。
肌のにおいがするような文章を読んで、私は次の旅では必ず永登浦駅と九老工団駅で途中下車しようと心に決めたのであった。






最終更新日  2006年10月31日 23時53分09秒
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2006年08月21日
テーマ:本日の1冊(2997)
「不思議な笛ふき猫」北村薫・文 山口マオ・絵 教育画劇
ふしぎな笛ふき猫
民話「かげゆどんとねこ」より。千葉県千倉町の民話。
しょうやのかげゆどんは、おこめができなかったとし、ねこのしろがしょうぐんさまのところでもんぜんのこぞうよろしく、かげゆどんをまねてふえをふいて、しょうぐんさまにきにいらました。それでねんぐをへらしてほしいというと、しょうぐんさまはいいよ、といいました。----てな感じのお話。すこしSFチックになっています。北村薫の本はすべて読むという私のポリシーのために一応読んでおきました。

千葉県っていいなあ。
小作人のことを思いやる庄屋もいるし、
殿様は一応馬鹿じゃないし。
でも、埼玉県人の北村薫がなぜに千葉県?






最終更新日  2006年08月21日 10時48分38秒
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2006年08月19日
テーマ:本日の1冊(2997)
街の灯
『街の灯』文春文庫 北村薫 
最近『坂の上の雲』を読んだ方の映画『バルトの楽園』評を聞いた。日露戦争(1904)で発生した浮虜(捕虜)を当時の日本政府は非常に丁寧に遇したらしい。『バルトの楽園』は第一次世界大戦で捕虜になったドイツ兵の1914年以降の話。久留米の浮虜収容所では不潔な住居に住まわせ、暴力が日常になっていた。だからこそ、松平健扮する松江所長の坂東収容所が特別であって映画になったのだろう。件の方は、『日露戦争以降、日本は転げ落ちるように品格も何も無くなっていった、司馬遼太郎は書いている。私もその通りだと思う。」という。

そしてこの作品の時代は1932年(昭和7年)、東京の上流家庭の女学生、花村英子となぞの運転士、別宮みつ子ことベッキーさんが、日常の謎、小さな事件を解いていく物語である。北村薫なので、日常生活を細やかに描いているが、時代と舞台が違う。

昭和7年の上流家庭が見た東京の描写が見もの。この景色は、ものが溢れ、文化華やかしいまの庶民の生活と重なるところがある。

1904年から30年間で、日本は転げ落ちるように『決定的なところ』までいったということは、いまなら高校生くらいなら教科書片手に説明くらいは出来るだろう。では、バブル崩壊から約15年間で、日本は転げ落ちるようにのっぴきならぬところまでいったのではないか、というような想いが私の頭から離れなかった。

昭和7年の上流生活を垣間見る。微かに聞こえる軍靴の響き。日常描写を愛し、本格推理を愛する北村薫ファンからすれば、異端の読み方ではある。申し訳ない。






最終更新日  2006年08月19日 22時13分29秒
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2006年08月17日
テーマ:本日の1冊(2997)
『バッテリー5』角川文庫  あさのあつこ
6月発売文庫文庫版 バッテリーV(5)
毎回楽しみにしている今回の表紙絵は、早春の新田東の野原に座り込んでいる青波でした。退院直後だからなのか、少し痩せて見える。それとも少し背が伸びたからかもしれない。豪とケンカをして、仲直りをしたあとのりんごを持っているのかもしれない。

このシリーズは、少年野球物としてもすこぶる面白いのだけども、それよりも「このひとって、どういう人なんだろう」という一見すぐ結論がつきそうなことを延々この五巻に渡って(たぶんこのあともずっと)追い求めている不器用な小説なのだ。私は人にしても作品にしても『不器用な』ものは好きだ。

原田巧は自信過剰の我がまま天才タイプ。
永倉豪は気配り優しさいっぱいの努力家。
青波は素直で直観力優れた可愛い弟。
端垣俊二は天才スラッガー門脇に嫉妬しつつも
プライドは高い戦術家タイプ。
門脇秀吾は単純明快努力家天才タイプ。
……というような人間観察を、『そうとは言い切れないかもしれない……』とつぎつぎと壊していく。相手が分からない、自分のことさえ分からない、けれどもみんな野球が好きだ。だからぶつからざるをえない。

『人におもねる必要はない。馴れ合う必要はない。卑屈に従うことも、自分の想いを押さえ込んでしまう必要もない。しかし、人を拒んでは野球はやれない。人を愛しいと知って、初めて、本当の野球が出来るのだ。』そうだよ、洋三おじいさん。あなたの心配は的を得ていると私も思う。けれどもそんなことはきっと言葉では伝わらない。

2007年春、映画化。新田東は岡山県県北で撮影されている。
岡山にも、フィルムコミッションというものが出来て、ロケ地誘致に成功したのだなあ、と感心していまHPを見たら、全然情報が載っていない。岡山県ロケが実現していないわけではない。検索したら、今現在やはり新見市で撮影中だという。『釣りバカ日誌』みたいに『バッテリー』が観光映画になってもらったら困るけど、撮影情報はしっかりと宣伝してもらいたい。

岡山県は本来、日本映画の名作によく使われた場所でもあるのだ。私的にはもっともベストなのは、小津安二郎『東京物語』で笠智衆と原節子が穏やかな海を眺めるシーン。あれは物語的には尾道なのだが、海の景色の撮影は笠岡市の神島の南の先端でおこなわれている。今でもちゃんとベンチが置かれている。隠れたデートコースだといっていい。そうやって名作できちんと撮影されることで、観光以上の効果を生むはずなのだ。県の物産課よ、もっとしっかりして欲しいなあ。

話がずれた。ということで、この作品の映画化、期待している。







最終更新日  2006年08月17日 23時18分39秒
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2006年08月15日
無言館の戦没画学生には、フィリピン・ルソン島で戦死している学生が少なからずいる。たとえば山之井龍郎「昭和16年に出征し、シンガポール、サイゴンなどを転戦したのち、一時帰国するが、すぐに再び出征、20年5月フィリピンルソン島で24歳で戦死」。日本の自然や可憐な少女を描き、人一倍「美しさ」を感じ取ることの出来た精神が、ルソン島の中でどんな地獄を見たのか、どのように精神が変容していったのか、わたしは大岡昇平の「野火」を読みながら、さまざまな若い命のことを考えていた。
野火

お盆なので墓参りにいった。山の上の墓場に行くと、墓地の一等地にずらりと墓石のてっぺんが尖がっている墓が並んでいる。全て「名誉の戦死」をした人たちの墓である。当時の政府から多額の慰霊金が出るのでこのような墓になっているのだと知ったのはつい最近のことだ。
V6010019.JPG
そこに私の母の兄の墓もある。母はそのとき、13歳だった。もう一人の兄も戦地にいる。家事の一切と畑仕事をするのは、母の仕事だ。幼い妹を叱り、病弱の父と母を助け、病気がちの身体に鞭をうって、朝から晩まで働いていた。そのとき兄の戦死の報が届けられる。「昭和20年8月23日ビルマにおいて没する」墓にはそう記してある。「本当に賢いお兄さんだった。優しくて……」いつだったか、そのような母のつぶやきを聞いた気がする。母の兄がどのような死に方をしたのか、とうとう母からは聞かず仕舞いだった。戦後、父親はショックのせいか、すぐ死に、もう一人の兄がシベリアから帰ってくるのは、ずいぶんと後のことになった。その母も17年前56歳で死に、シベリア帰還の叔父も今年の6月に亡くなった。

戦争とはなんだったのか、それを考えることの出来る記録文学、評論、映画、ドキュメンタリーは幸いなことに多数ある。けれども、数の問題ではない。何かが足りない。それは「自分と関係のあることなのだ」という実感をもてるかどうかということなのだろう。母の兄がどのような地獄を送ったのか。賢くて優しかった兄が、地獄の中でどのように変貌し、生きて死んでいったのか、その想像のよすががこの作品の中にはある。

食料はとうに尽きていたが、私が飢えていたかどうかはわからなかった。いつも先に死がいた。肉体の中で、後頭部だけが、上ずったように目醒めていた。
死ぬまでの時間を、思うままにすごすことが出来るという、無意味な自由だけが私の所有物であった。携行した一個の手榴弾により、死もまた私の自由な選択の範囲に入っていたが、私はただそのときを延期していた。


この作品の主人公は高学歴の人間だ。ベルグソンの言ったことがすらすらと頭の中から出てきたりする。また彼はクリスチャンか、あるいはその信仰を持っている人間でもある。聖書の詩句が彼の頭の中にある。しかし、信仰はどうやら彼の救いにはならなかったようだ。

しかし死の前にどうかすると病人を訪れることのある、あの意識の鮮明な瞬間、彼は警官のような澄んだ目で、私を見凝めていた。「なんだ、お前まだいたのかい。可哀そうに。俺が死んだら、ここを食べてもいいよ」彼はのろのろと痩せた左手を挙げ、右手でその上膊部を叩いた。

この薄い文庫本を読み終えるのに、二年かかった。一文節たりとも、おろそかにできない文章が続く。「戦争とは何か」を突きつけてくるだけではなく、「人間とは何か」を突きつけてくる。当たり前だろう。戦争とはそういうものだから。







最終更新日  2006年08月15日 10時55分50秒
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2006年08月11日
テーマ:本日の1冊(2997)
明日の夕方、21年目のあの事故の日がやってくる。あの時は、私は気の合う者たちだけで、一週間のドライブ旅行をして白浜温泉で休んでいた。ふと見上げると、テレビに「日航機、埼玉・長野県境でレーダーから消える」というテロップが流れた、のを覚えている。今日はこの一冊をオススメする。

クライマーズ・ハイ
『クライマーズ・ハイ』文春文庫 横山秀夫
1985年8月12日、御巣鷹山に日航機墜落事故発生。群馬県の地元紙の遊軍記者、そして急遽全権デスクになった悠木和夫はひそかに『長野県に落ちてくれ……』と願っていた。『世界最大の航空機事故』という見出しが躍るに違いないこの事件のために、初めてのデスク体験に『クライマーズ・ハイ』に陥ることを無意識のうちに恐れていたからかもしれない。クライマーズ・ハイとは登山者の興奮状態が極限まで達し、恐怖感が麻痺し、ドンドン登ってしまうこと。事実悠木は上司と対立し、特ダネの記事を逃し、ひとり登っていく。

著者は。この事件当時地元群馬の上毛新聞の記者であった。この作品は著者最初の長編新聞記者小説である。新聞記者をリアルに描いたものにほかには高村薫『レディー・ジョーカー』がある。今まではこれが新聞記者小説ではピカイチだった。けれどもこれは新聞記者のみが主人公ではない。今度からは新聞記者小説といえば『クライマーズ・ハイ』が筆頭に上がるだろう。

記事の基本は『足で書く』だ。私も大学新聞を作っていたときに、徹底的に叩き込まれた。だから本物の事故現場を見た記者の滝沢が「現場を見たものだけが書ける記事があるのだ」と叫び、デスクの悠木と対立するのは名場面の一つである。あと三つ、この作品には『ヤマ』がある。(事件もヤマといい、作品の昂揚部分もヤマという。墜落現場はもちろん山だ。日本語とは不思議なものだ。)

紙面会議で悠木は、局長社長と大喧嘩をしながら、どの新聞よりも愚直に詳報に徹すること決心する。遺族が社屋にまで新聞を買いに来たことで、地元紙の存在理由を知ったためである。大事件が起きた後、一般紙は次第と日常記事にシフトしていくのであるが、悠木の新聞のみはつねに日航機事故をどの新聞よりも詳しく載せ続ける。阪神大震災のとき、神戸新聞や地元のラジオはまさにこれをした。御巣鷹山より10年後のことである。これが一つのヤマ。

裏がはっきり取れていない大スクープを果たして載せるべきか悠木は迷う。「(記事は)断定していない。大丈夫だ。うてる。だが……」真実を一番知りたがっているのは、世の中ではなく、遺族なのだ、と悠木は思うのだ。こが一つのヤマ。

そして最後のヤマ。これで悠木は一つの決心をする。

ずーとむかし、大学新聞を作っていたとき、新聞の見方だけではなく、世の中の見方も学んだ気がしている。「足で書く」とは理論をこねくり回す前に現場に足を向けることだ。現場にある無数の事実の中から、一番主張したい事実を拾い上げ、その事実を磨き上げることだ。しかし、新聞作りは記事のみが大切なのではない。どういう割付をするか。何を選び、何を外すか。も、重要な新聞つくりである。だからデスク悠木の役割は決定的だ。そして、どういう視点で新聞を作っていくか、これがもっとも大切でもっとも悩むところなのである。

大新聞である朝日の視点の定まらない姿勢については、何度も何度も、書いた。

この小説に関していえば、ジャーナリズムに関心のあるもの、ジャーナリストを目指すもの、ジャーナリストの初心を忘れている全ての人にぜひ読んでもらいたい。






最終更新日  2006年08月12日 01時15分53秒
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2006年08月08日
ふと思い至って新潮文庫版「走れメロス」を買う。420円。いまどき、これほど充実した内容で、この値段は珍しい。
走れメロス改版

私はまだ一度も「太宰かぶれ」をしたことがない。中学生のとき一応は読んだけれども、すっと横を通り過ぎただけだった。クラスの隣にのちにボクシングチャンピオンになる奴がいたのに、悪ガキがいたとしか記憶していないことと少し似ている。(私の知り合いに辰吉の同級生がいるが、そういって悔しがっていた)

この年になって昭和13年から18年にかけての短編を読み返す。なんか一瞬「かぶれ」てしまうような気になる。太宰の孤独は私なら理解できる、というような気さえしてくる。おやおや……。

実はこの一ヶ月テレビを見ていない、8年間電源をつけっぱなしにしていたテレビのブラウン管が、ついに真っ黒になったためである。いまどきテレビなぞなくても、新聞とインターネットさえあれば、世の中の動きから取り残されることはない。一つか二つ残念なことといえば、NHKスペシャルの幾つかの番組と「純情きらり」を見ることができなかったことだ。もっともNHK受信料をいまだかってはらったことのない私が自慢げに言うことぢゃあない。

すみません。いつものことだけど、回りくどい書き方をしています。実はこの「走れメロス」の短編の中に「純情きらり」の桜子を見つけたということを報告したかっただけなのです。

この短編集の中に「東京八景」というのがある。津軽の大地主の家に生まれ、東大に入学するも、授業には出ず、左翼運動にかかわり、数度の自殺を試み、実家に無心をし、借金を重ね、薬物中毒におちいり、妻と別れ、心機一転作家として立ち直り、結婚をした半生を振返った自叙伝小説である。その小説の最後にまるで付け加えたように、ひとつのエピソードがある。小説で要約なんて野暮ではあるが、要約して紹介したい。

再婚した妻の妹には婚約者のT君がいる。「はきはきした。上品な青年」であるが、ついに戦地に出発することになった。妹から速達が来る。
「明朝9時に、芝公園に来てください。兄上からTへ、私の気持ちをうまく伝えてやってください。私はばかですから、Tには何も言っていないのです。」それから二時間もたたないうちにまた速達が来る。「よく考えてみましたら、先刻のお願いは、蓮っ葉なことだと気がつきました。Tには何もおっしゃらなくてもいいのです。ただ、お見送りだけ、してください。」これには太宰も妻も噴き出した。ひとりでてんてこ舞いしている様が、良く分かるから。当日太宰は妹に聞く。「どうだ、落ちついているか?」「なんでもないさ」妹は陽気に笑って見せた。「どうしてこうなんでしょう」妻は顔をしかめた。「そんなに、げらげら笑って」太宰はT君に「珍しく、ちっとも笑わずに言」う。「あとのことは心配ないんだ。妹はこんなばかですが、でも女の一番大事な心がけは知っているはずなんだ。少しも心配ないんだ。私たちみなで引き受けます。」

妹=桜子はドラマよりはずいぶんと大人しい。大人しいけど、この小説でも妹の芯の強さと可愛らしさは伝わってきた。「純情きらり」は津島佑子の「火の山ー山猿記」を原案とする作品で、西島秀俊演じる冬吾さんは太宰がモデルらしい。ほとんどそれだけの情報でこのような思い込みの記事を書いているというわけだ。果たして「純情きらり」でもこのような場面はあったのだろうか。

テレビはあと一週間ほどしてやってくる。宮崎あおいのあの大きな瞳は今は何を見つめているのだろう。

驚くのは、「東京八景」は昭和16年に発表されているということだ。太平洋戦争が始まる年である。転向する作家や、筆を絶った作家や、投獄された作家が続出する中で、戦争を賛美する言葉が一つも出ていないのは素晴らしい。だから戦後すぐに作品を発表することが出来た。太宰の小説の中に出てくるアイデンティティを捜し求める青年の姿はそのまま現代青年の課題でもある。左翼運動に挫折し、自殺を重ねる、この昭和のはじめごろの青年の姿が、現代と重なるような気がするのは私だけか。

「走れメロス」を久しぶりに読んで、少し思うこともあったのだが、それはまた次の機会に。









最終更新日  2006年08月08日 23時54分34秒
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